伝説「見えなくした仏さま」
昔、親鸞という偉い和尚さんの弟子に是信房という和尚さんがいました。ある時、親鸞和尚さんが是信房和尚に、お前は奥州に言って、仏の教えを説きなさい。と言って自分が彫った木の仏さまを是信房にわたしました。
それからいく日もいく日もかかって、是信房和尚さんは今の秋田県を歩きまわり、和賀郡の一柏という所にたどりつき、一宇を建て仏さまの教えを説きました。
ある日のこと、親鸞和尚さんから頂いた仏さまをどうした事か見えなくしてしまいました。是信房和尚さんは大変困って、食べ物ものどを通らず、一生懸命探しましたが、どうしても見つかりませんでした。疲れ果てた是信房和尚さんは、うとうとと眠ってしまいました。 その時、北上川を北へ北へと上って行くがよい。誰かの声が
したので、はっと目を覚ましましたが、誰もいない。ははー、これが仏さまの声だったのか。急いで旅のしたくをした是信房和尚さんは、舟にのりながら北上川をのぼって、彦部のあたりまできたとき、「魚がよくとれますか」と和尚さんは一人の魚とりに声をかけると、「さっぱりだめだす、石ケ森という所から、ふしぎな光がでて、川の魚がびっくりして、とれないす」。是信房和尚さんは、これはなにか、わけがあるなと思ってその石ケ森と言う所をたずねると、そのころ、彦太夫という人の子供が、二日ばかり前から見えなくなって、村の人達が探し回った所へ、是信房和尚さんが出会い、一緒に石ケ森に探しに行ったところ、もう、日がとっぷり暮れて、大岩の近くが明るく輝いて見えたので、皆急いで一緒に行って見ると、岩の上に見えなくした仏さまが、にっこり笑って、そのそばにさがしている子供が楽しそうに遊んでいました。このことあって、是信房和尚さんは、この石ケ森に住み、仏さまの教えを説いて、一生くらしたとさ。(資料工藤隼人先生より)