生活史

科研費・若手A(H25 - H28)


研究目的

哺乳類の社会において、個体は異なる社会的段階(順位)、繁殖、生活史(年齢、群れからの移出入)のステージを経る。その一連の過程は社会的変遷social trajectoryと呼ばれ、さまざまな生態学的現象に影響する主要因となっている。本研究は、個体の社会的変遷の過程を軸に、適応的な行動戦略、群れレベルの変数(群れサイズ、群れ構成、血縁構造)への影響、個体適応度の決定要因、個体群動態を統合的に理解する。哺乳類の野外調査、長期人口学的データのパラメーター推定と計算機統計学的分析によって、哺乳類における社会的変遷とその影響に関する新しい概念・知見を提供する。


【本研究の背景】

動物個体は生涯のなかで、年齢・順位の変化、群れからの移出入、繁殖など、いくつもの異なる社会的・生活史ステージを経る。その一連の過程は、個体の社会的変遷と呼ばれる(Emlen and Wrege 1994; Cahan et al. 2002)。寿命が長い哺乳類では、そ の段階数、各段階における戦略の選択肢が多様であり、行動戦略、適応度(繁殖成功度)、個体群動態といった進化行 動生態学における主要なテーマに大きな影響を及ぼす概念で ある。しかし、以下に述べるように、従来の各研究分野 では、社会的変遷が十分に考慮されてきたとは言えなかった。


(1)行動戦略:社会的変遷の各段階における個体の最適 戦略を予測することが難しい 過去の研究では、哺乳類のように複雑な社会的変遷を経る 種における個体の適応戦略を予測・理解することは難しかっ た。個体にとっての最適戦略は、個体の社会的変遷 (順位、年齢)のみならず、個体外の社会環境によって複合 的に決定される。たとえば、進化ゲーム理論が予測する頻度 依存性、社会的順位に起因する社会的制約の存在によって、 それぞれの個体にとっての最適戦略は異なる。 また、個体の社会的変遷段階と社会環境は刻一刻と変化す るために、個体の最適戦略は動的に変化し、その予測を困難 にする。群れレベルの社会環境(例:群れサイズ、群れの個 体構成、血縁構造)は、個体レベルの行動戦略の集積によっ て決定され、さらにフィードバックして個体の行動戦略や適 応度に影響を与える。その一例として、個体がある戦 略を取る事ができるかどうかは、社会的パートナーの利用可 能性に依存する点があげられる。血縁淘汰の場合、社会交渉 の相手として血縁個体が存在する確率は個体の社会的変遷段 階によって変化する(血縁個体が群れ内に存在する確率は、 出生群からの分散する性において低く、繁殖する社会的変遷 段階に長くいる個体ほど大きくなる)と予測される。しか し、従来の研究では行動戦略を考える際、社会構造や社会的 変遷が考慮されることは稀であり、現在までに、複雑な社会 的変遷を持つ哺乳類において、個体と群れを結ぶ双方向 フィードバックを理解する理論は存在しない[業績10]。この ことは、個体構成が比較的均一で、自己組織化などの研究手法が確立している他の動物群(例:魚群や真社会性昆虫のコロニー)と比較して、未開拓なテーマといえる。


(2) 適応度:社会的変遷の各段階における行動戦略や、短期的な適応度成分が、長期的な適応度に与える影響を調べることが難しい 多くの研究では、社会的変遷の各段階における行動戦略と、短期的な適応度の指標(適応度成分、一時的な繁殖成功度)の関連が、横断的データによって調べられてきた。しかし、寿命が長く、複数の社会的変遷の段階を経る哺乳類では、短期的な適応度の指標が長期的な適応度(e.g., 生涯繁殖成功度)を反映していない可能性がある。理想的には、各社会的変遷における短期的な適応度の指標に加えて、長期的な適応度の定量化、および適応度の決定要因を縦断的データによって検証する必要がある。しかし、従来の哺乳類の野外研究では、個体の生涯繁殖成功度が記録されていることが稀であり、上記の設問を検証した実証例はいまだに少ない。


(3) 個体群動態:個体群動態の理解に社会的要因が十分に取り入れられていない 従来の個体群動態に関する研究は、齢構造や繁殖段階など、個体間の簡単な違い(構造)を考慮するに留まり、哺乳類にみられるように個体ごとに異なる社会的変遷段階、複雑な社会構造を考慮した分析は行われてこなかった。また、生命表やmatrix population model(Caswell 2000)などにおける人口学的パラメーターには、生態学的環境や社会環境の変動を無視した長期データ平均値が用いられてきた。この単純化のために、推定されたパラメーターは個体群動態を正しく反映していない可能性がある。生態学的に真に必要とされる研究は、個体を「個性のない粒子」と見なすのではなく、その履歴や社会的変遷、血縁構造など、個体を特徴づける重要な変数を考慮したうえで、個体群動態を理解する試みである。


【本研究が解明する点、申請者の現在までの研究との関連、独創的な点】 以上のように、哺乳類を対象にした進化・行動生態学の各テーマに関して、個体の社会的変遷は無視することができない重要な位置を占める。しかし、上記のように、従来の社会行動研究には、個体の社会的履歴を考慮する視点が必ずしも浸透していない。そこで本研究では、哺乳類社会を対象に、個体の社会・繁殖行動戦略、適応度の決定要因、「個体」と「群れ」の社会的変数との関連、個体群動態を、統合的に理解することを目的とする。申請者はこれまでの15年間、一貫して哺乳類の社会に関する実証研究を行い、社会的変遷の重要性を定性的に提唱してきた。この研究経験から、個体に複数の社会的変遷の段階が存在する点が哺乳類社会を複雑化させる重要な特徴であると考えるに至り、今回、その定量的分析に着手する。