集団的意思決定

真社会性哺乳類ハダカデバネズミを対象に、言葉も持たない動物の集団が、どのように意思統一をするのか?という集団的意思決定を研究しました。集団的意思決定は、群れの移動でよく研究されていますが、私の研究では、 ハダカデバネズミが、トンネル状の巣のなかで、どのように巣材を運搬し、部屋割りを決めるのか? という点を分析しました。その結果、女王の匂いがついている部屋から、巣材が多く除去されることがわかりました。このことから、女王の存在が部屋割りに重要であることがわかりました。また、女王が存在すると、他の個体がよく働くこともわかりました。


この行動ルールをもとに、ハダカデバネズミの巣トンネル構造は再現できるのでしょうか? これから、エージェントベースモデルを用いて、検証したいと考えています。


(おまけ)

集団的意思決定する際、他の個体の労働を邪魔するという奇妙な行動が見られました。これは、働いている個体の尻尾を引っ張って、他の場所に連れて行ってしまうというtail-tuggingという行動です。tail-tugging行動は、すべてのカースト(女王、繁殖オス、ワーカー)の個体が行い、すべてのカーストの個体が邪魔されていました。この行動の機能は不明ですが、協力性の高い真社会性動物であっても、意思の統一が必ずしも取れていないことを示しています。(詳しくはこちら


Kutsukake N, Inada M, Sakamoto SH & Okanoya K. 2012 A distinct role of the queen in coordinated workload and soil distribution in eusocial naked mole-rats. PLOS ONE 7: e44584

Kutsukake N, Inada M, Sakamoto SH & Okanoya K. in press. Behavioural interference in work among eusocial naked mole-rats. J Ethol.



以前科研費の申請書

要旨:本研究では、真社会性ハダカデバネズミを対象に、群れ生活の維持に重要な役割を果たす集団的意思決定(個体が協調して複数の選択肢からひとつの選択肢を選ぶ意思決定)を研究する。同種は、複数個体が協調した労働行動によって地下トンネル内に複数の部屋を形成し、それぞれの部屋をネストや巣材溜め場に使い分ける。本研究では、この決定過程における決定個体、労働コストとの関連、個体間コミュニケーションを実験的に検証する。また、シミュレーションを用い、個体の行動ルールと集団的意思決定の関係を検証する。理論と実証の併用により、カースト制という複雑な社会的特徴を持つ真社会性哺乳類における集団的意思決定の理解を進める。

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群れで生活する動物において、個体が協調して複数の選択肢からひとつの選択肢を選ぶことがある。このような意思決定は集団的意思決定と呼ばれ、無脊椎・脊椎動物を問わず多岐にわたる動物において報告されている。もっとも有名な例として、ミツバチにおけるダンスコミュニケーションを介した巣の引越しが挙げられる。集団的意思決定は、群れ生活の維持する、または群れ生活によって生じる利益を増加させるという重要な生物学的機能をもつ。過去10年間、海外において、集団的意思決定に関する実証的・理論的研究が進んだ(Conradt & Roper 2005 TREE 20: 449-456)。進化生物学、行動生態学の観点から、集団的意思決定のメカニズムを理解するためには、以下の事項を解明することが不可欠である。

(1) 誰が決定するか?:群れが最終的な選択肢を決定する様式として、特定の個体(リーダー)が行う専制的決定、個体間の多数決による決定、それぞれの個体がもつ意思決定ルールから最終選択肢が創発される平等社会的決定が報告されている。しかし、決定様式は種間・種内で異なり、これらの違いがどのような生態学的、社会的要因によって説明されているかは分かっていない。また、過去の自然観察法を用いた研究にて、集団的意思決定とみなされている例のなかには、全個体が環境からの手がかりを得て、利益の高い選択肢を独立に選択した(その結果、集団的意思決定と見えてしまう)可能性を完全に排除できてない例もある。この可能性を排除するためには、環境的手がかりを統制した実験的研究が不可欠である。

(2) 個体の収支は集団的意思決定にどのように影響するのか?:集団的意思決定が形成される際、個体の役割を決定する一要因として、行動による収支があげられる。たとえば、Rands et al (2003Nature423: 432-434)によるシミュレーションでは、群れが移動する際、移動を開始することによって得られる収支が高い個体が自発的なリーダーとなり、その収支が低い個体はリーダーに従う追従個体となって移動し、その結果、集団的意思決定に至る可能性が示されている。しかし、実証的な研究で行動の収支を定量的に測定した例は存在せず、たとえば、各個体の行動コストが集団的意思決定にどのような影響を与えるかは分かっていない。このため、集団的意思決定における各個体の役割を行動生態学的な見地から実証的に検証することが難しかった。

(3) 個体間でコミュニケーションはどのように行われるのか?:複数個体間で統一した意思決定に至るためには、決定個体と追従個体間で、状況特異的な信号により情報伝達がなされる必要がある。ミツバチのダンスはそのもっとも有名な例であるが、ミツバチ以外の多くの種においては、コミュニケーションがどのように行われているかが分かっていない。

研究は、限定された研究対象・行動状況のみが扱われてきた。研究対象に関しては、魚や真社会性昆虫のワーカーなど、個体の属性が均一である単純な意思決定系を対象とした実験的研究が多かった。その一方で、個体間順位やカースト制の存在によって個体の

属性が異なるような社に複雑な種を対象とした研究は少なかった。さらに、社会的に複雑な種を対象とした研究では、おもに自然観察法が用いられ、実験的検証が行われることは少なかった。行動の状況に関しては、群れの移動方向の決定に関する集団的意思決定が盛んに研究されてきたが、その他の状況を対象とした研究はない。これらのバイアスのため、現在までの集団的意思決定に関する考察は、きわめて限定した知見に基づくものであるといえる。

これらの問題点から、個体間の属性が異なるような社会性動物において、集団的意思決定に関する実験系を確立し、集団的意思決定のメカニズムを総合的に検証することが必要であった。本研究対象のハダカデバネズミHeterocephalus glaberは、地下にトンネル状の巣を作り、血縁個体からなる群れで生活する真社会性齧歯目の一種である。ひとつの群れには、1頭の繁殖メス(女王)と1~2頭の繁殖オスが存在し、繁殖個体の子は自ら繁殖しないワーカーとなる。ワーカー間には、その体の大きさに応じた役割分業が存在し、大きなワーカーは巣の防衛、小さなワーカーは子の世話などの労働行動を専門に行う。同種は、地下トンネル内に複数の部屋を形成し、野生・飼育環境において、それぞれの部屋を個体が休息するネストや、不要な巣材を溜める部屋に使い分ける。これらの部屋割りは、労働行動の一種である運搬行動を複数個体が協調して行うことによって形成される(図1)。申請者は、同種における協力行動の研究プロジェクトの一環として、部屋割りの全過程を観察できる実験施設を開発し、部屋割りの決定過程が集団的意思決定とみなせることを発見した(沓掛, 稲田, 岡ノ谷2007 第26回日本動物行動学会にて発表)。この研究において、全個体の労働行動、個体コスト、巣材の分布を定量的に測定すること可能であり、かつ再現性の高い結果が得られるため、集団的思決定を調べるうえでの理想的な実験系であるといえる(方法についての詳細は次項を参照)。

本申請研究では、上記の実験を発展させ、ハダカデバネズミにおける集団的意思決定のメカニズム、とくに決定個体、労働コストとの関連、個体間コミュニケーションを調べることを目的とする(仮説等については次項を参照)。本研究から期待される成果として、以下の3点がある。(1)集団的意思決定の研究例が少ない社会性哺乳類を対象に、群れの移動とは異なる行動状況を実験的に調べることによって、過去の集団的意思決定における結論の検証、知見の拡張ができる。真社会性は、脊椎動物においてハダカデバネズミとその近縁種のみで進化しているが、真社会性昆虫と比較して、個体間の形態分化が顕著でなく、すべてのカーストの個体がほぼ等しい運動能力と行動パターンを持つ。このため、真社会性昆虫を対象とした過去の研究と比較して独自の成果が期待できる。(2)労働行動のコストを定量的に測定することによって、個体コストが集団的意思決定に与える影響を世界で初めて検証できる(測定法については次項を参照)。(3)実証的アプローチと理巣材の集中度合い、行動のコスト(実験前後の個体の体重減少分)、活動中の音声を記録する。また、実験個体の構成や行動コストを変化させた条件で実験を繰り返し、集団的意思決定のメカニズムの検証、とくに、個体が集団的意思決定において果たす役割は労働行動のコストに応じてに変化するという仮説を検証する。理論的研究では、実証的実験と類似した条件のマルチエージェントモデルを構築し、実験結果の解釈、実証的に検証可能な仮説の発見を行う。

平成20年度・実証的研究

図2 実証的研究:実験の手順

理化学研究所脳科学総合研究センターにおいて飼育されているハダカデバネズミ(8群合計約150頭)を対象に実験を行う。実験手法は、申請者による過去の研究に従う(図2)。4つの部屋からなる実験施設を作り、各部屋を色が異なる同量の固形巣材で満たす。群れで飼育しているハダカデバネズミから実験対象個体4頭を選び、群れから隔離し、各個体の体重測定を行う。実験個体を実験施設に移し、90分間ビデオ撮影を行い、行動を全行動記録(all occurrence)法によって記録する。この実験施設において、個体は自発的な巣材運び行動を行い、巣材を1~2部屋に集中させる集団的意思決定を行う。実験中、固定マイクによって音声録音を行う。その後、個体を実験施設から出し、全個体の体重を測ったあと、群れに戻し、一回の実験が終了となる。ビデオ分析により、個体ごとに労働行動頻度を算出する。各部屋における巣材の分布を色ごとに数えることによって、巣材の移動、それぞれの部屋における巣材の分布を定量化する。実験前後の体重減少を実験における行動のコストとして用いる。

この実験は、周囲の環境が統制された実験状況で行われるために、環境的手がかりによって部屋割りが決定されることはない。そのため、巣材が集められる部屋は、実験のたびに異なる。過去の集団意思決定研究において、研究対象動物の行動観察のみならず、非生物学的環境要因との相互作用まで観察をした例はなかったが、巣材の分布・移動を定量化できる点が本実験系のオリジナルな点であるといえる。なお、ハダカデバネズミは目が見えないため、巣材の色の影響はない。図2の実験を基本形として、集団的意思決定に影響を及ぼすと考えられる要因(個体構成、個体コスト)を操作した状況で実験を繰り返し、以下の仮説を検証する。また、実験個体数を変化させ、結果の頑強性を検証する。

個体構成:4頭の個体構成(繁殖個体がいる・いない、大小ワーカーの組み合わせ)を操作した条件での実験結果を比較することにより、どのような状況で、だれが集団的意思決定に主導的な役割を果たすか、カースト制が集団的意思決定にどのような影響を与えるかを調べる。

予測・仮説:(1)カースト制による役割分業より、女王や繁殖オスは労働頻度が低く、ワーカーがおもに労働行動、意思決定を行う。(2)大きなワーカーは小さなワーカーよりも効率的に労働行動ができるために、大きなワーカーの意思決定が優先される。このため、ワーカー間の体重差が大きいときには、大きなワーカーがリーダーとなり部屋割りが起きるが、体重差が小さいときには、多数決的決定により部屋割りが決定される。

個体のコスト:労働行動のコストが高い個体は集団的意思決定に果たす役割が小さいという仮説を検証する。個体の労働コストを上昇させるために、(a)実験前に全実験個体を絶食状態にした状態、また、(b)一部の個体だけを絶食状態にし、その他のコントロール個体は絶食状態にしない状態で実験を行い、集団的意思決定に与える影響を調べる。

予測・仮説:(3)労働行動頻度が高い個体ほど、行動コスト(実験前後の体重減少)が大きい。(4)全個体絶食条件では、全個体の労働頻度が減少し、巣材の集中度合いが低下する、もしくは集団的意思決定に至らない。(5)一部個体の絶食条件においては、絶食中の実験個体は労働頻度が低く、集団的意思決定における役割は小さくなる。それに対し、コントロール個体は労働を高頻度で行うリーダーとなり、部屋割りを決定する。

コミュニケーション:音声データから、集団的意思決定に関係すると考えられる音声を探索的、網羅的に調べる。同種では、ミツバチにおけるダンスのように、餌のありかを他個体に知らせるために特有の音声を用いることが知られており(Judd & Sherman 1996 Anim Behav52: 957–969)、音声によって集団的意思決定に関するコミュニケーションが行われている可能性は高い。候補となる音声が見つかった場合、再生実験を行い、音声の機能を検証する。

理論的研究

マルチエージェントモデルを用いて、実証的研究のみでは明らかにできない探索的仮説検証を行う。具体的には、エージェントベースモデル用ソフトであるNetLogoを用い、実験施設と類似した部屋空間と巣材の分布を作る(図3)。申請者によってプログラミングされた意思決定ルールに従って行動をする個体を4頭作り、モデル空間内で「巣材運び」、「部屋割り」を起こす。個体のエネルギー残存量をパラメーターとしてモデルに組み込み、個体の労働コストに関する実証的結果と比較する。

理論的研究の目的は二つある。第一に、実証的実験の結果と合致するような集団的意思決定が生じるのは、モデル内の個体がどのような意思決定ルールを持つかを探索的に調べる。第二の目的として、モデル中のパラメーターを変動させることによって、巣材の分布、集団的意思決定の成立への影響を調べ、実証的に検証可能な新しい予測を発見することである。その後、実際の実験において同様のパラメーターを操作し、モデルから得られた予測を実証的に検証する。パラメーターとしては、個体の労働コスト(時間による個体残存エネルギーの減少速度)、カーストの影響(個体の行動特性)、個体数を予定している。

平成21年度

実証的研究・理論的研究ともに、基本的に平成20年度の研究を継続する。成果は随時、国内外の学会、または国際学術誌に発表する。実証的研究に関しては、現在、実験系が確立されている状態なので問題点が生じる可能性は少ない。理論的研究に関しては、問題点が生じた場合、同研究室の複数の数理生物学者から助言を仰ぎつつ、柔軟な解決策を模索する。