『黄山瀬』は作家・田宮虎彦の短編小説である。既に絶版となって久しいので,若い方で読まれた方は殆どいないだろう。田宮虎彦の作品では「足摺岬」「白金心中」「落城」などが著名である。私は若い頃,出版されている田宮虎彦の作品は全て読んだ。
田宮の作品の殆どは人生の悲しさ,哀れさ,空しさで満ちている。救いがない。陰々滅々とした文脈にたいがいの読者は途中で嫌になってしまう。人生は悲しい,でも人生ってそんなもの,と作者は語りかけているようである。悲しいのは決して君だけではない,だから悲しいのは仕方ないことと諭しているように私には思われた。
田宮の作品は沢山ある。その中でも『黄山瀬』は私にとって特別なものであった。何をやっても駄目で落ち込んだ時はこの小説のことがが頭に浮かんだ。そして何故か気持ちを切替えてやり直すことができた。人生にはたった1つでも人生を諒とできることがあれば人は救われると,この小説は教えている。私の人生の貴重な道標である。
小説の主人公・道一郎はしがない一人の中年男性である。至福な家に生まれ,有名大学を出るが,何をやっても上手く行かず,妻には愛想をつかされ離縁され,一人寂しく日銭暮らしを続けるだけの,人生を失ってしまった哀れな男の物語である。
しかし,ふとしたことから暗い過去を背負った「きいの」という女性と知り合う。小説の中では「きいの」が暗い過去を背負った女性とは書かれていない。しかし,暗にそれを匂わす記述にとどめ,読者の想像に任せている。やがて「きいの」は道一郎と一緒に暮らし始める。そこにたまたま道一郎に良い仕事の話しが持ち上がる。道一郎は人生をやり直そうと頑張り始める。
仕事が軌道に乗りかけ,暫しの休息を取るため道一郎は「きいの」が行きたいと言っていたひなびた温泉に一緒に旅行する事になった。
しかし旅行に出る前日「きいの」は交通事故にあい,突然亡くなってしまう。残されたのは習字の半紙に書かれた幾つもの『黄山瀬』という文字だけであった。生きる気力を失った道一郎は家に閉じこもってしまう。
でも「きいの」が行きたがっていた温泉はどんな所か確かめたくて一人温泉に出掛けてみる。そこで道一郎は『黄山瀬』という文字と「きいの」がつながっていることを知る。しかし,その結末も実に哀れである。
読み終えた感想は実に切ない。道一郎は一生哀れな人生を送っていくことだろう。何のための人生か?救いが無い。
でも「きいの」との短い僅かな時が道一郎が生きた唯一の証である。人の一生を諒とすることが1つでもあるのなら,その人の人生は無駄ではなかったと言えるのではないだろうか?
あなたは,あなたの人生のなかで「諒」とすることがありますか?
あなたの人生はこれで良かったと思えることはありますか?