2022年の流行語大賞の候補の1つに「メタバース」という言葉がありました。また,Facebook社が社名を「メタ(Meta)」と変えたことから2022年は「メタ」という言葉が脚光を浴びるようになりました。
メタ(meta)という言葉は古代ギリシャ語の古い言葉で新しい言葉ではありません。元の意味は「あとに」という意味でしたが,それが転じて「超越した」「高次の」という接頭辞で用いられるようになりました。これまでも様々なことで用いられてきました。
私がメタという言葉を知ったのは1980年代,初めて人工知能(IA)開発に取組んだ時でした。人工知能には多くの知識が必要になりますが,それら全てを記憶することはできません。そこで多くの知識をグループに分けて,その知識が何処にあるのかが分かる知識をメタ知識と呼んでいました。即ち,膨大な詳しい知識を憶えることはできないが,それが何処にあり,それを呼び出すメタ知識(高次の知識)があれば,必要な時詳しい知識を利用することができます。これをメタ知識と称して用いていました。
それから時が経ち,メタという言葉を忘れていましたが,2022年「メタ」という言葉が突然脚光を浴びてその頃を思い出しました。
2022年,このページの消えゆく記憶を作るため多くの短歌を作りました。記憶には膨大な記憶があり,1つ1つを記述したのでは幾ら文章を書いても書ききれません。しかし,短歌では1つの出来事を五七五七七,計31文字で表現します。不思議なことに文章にすると長々とした文章が短歌にするとたった31文字になります。
そこで気が付きました。もしかしたら短歌はメタ記憶という概念ではないかと。メタ記憶というのは私の造語です。メタ記憶-Meta Memory。記憶は薄れていきます。しかし短歌にしておくと,その短歌を見たときにさわやかに忘れていたその時の記憶が蘇ります。
メタ記憶は必ずしも短歌である必要はありません。俳句,詩,絵などでも良いでしょう。
ここでは私の記憶を短歌というメタ記憶で表してみました。この中で1つでも2つでも同じような記憶があるなと思って頂ければ嬉しいです。
あなたも,あなたの記憶をメタ記憶にしてみませんか?
[田舎の想い出]
2年生 バスに揺られて 一人旅 向かうところは 祖母待つ田舎
田舎行く バスの席は 一番前 帰りの席は 一番後ろ
縁側で 祖母と一緒の 昼ご飯 冬の西日が 温かくさし
昼ご飯 おかずは白菜 だけだけど ご飯を巻いて 食べた美味しさ
電球の オレンジ色の 暗い影 食事する我 祖母がみつめて
夏休み 帰りのバスは 決まっている 8月31日 午後の便
帰りの日 リアウィンドーより 見る祖母の 姿小さく 休みは終わる
夏休み 冬休みごとの 田舎行き 迎える祖母の 笑顔は遠く
来ぬ我を 迎えに出ていた 祖母のこと 亡き後聞いて 涙止まらず
草が生え 曲がりくねった あの道は 今は舗装の 直線道路
リヤカーの わだち部だけが 草生えぬ あの道跡に 家立ち並ぶ
竹林の 上に登りて 顔出せば 彼方に見えた 荒川堤
幼き日 往還といった その道を 中山道と 受験で知る
昔の日 バスが通った 往還に 舗装はされても バス停は無く
区画整理 始まる前に 撮り回る 故郷の道 故郷の川
15畳 祖父が自慢の 大部屋は 今はそれ程 大きくはなく
赤子でも 我が家近づく 嬉しさに 足バタつくは 我のことかな
幼き日 祖母と別れた その時の 記憶は無いが 淋しさつづき
幼児期に 抱えてしまった 悲しみは 大人になっても 癒えることなく
幸せの 時は短く 寂しさや 哀しみ多き 過ぎ去りし日々
寂しさの 気持ちを歌に 委ねても つのる寂しさ さらに増すだけ
真夜中に ふと目が覚めて 「おばあちゃんに会いたいな」と 独りつぶやき
縁側で 娘と一緒に 食事して 遠き昔が 想い起こせり
孫育て 祖父母の気持ち 今になり どのようだったか やっと解かれり
故郷を 訪ねてみれば 家はなく 井戸の跡だけ 寂しく残る
誰植える 故郷庭に 咲く花に 孫は楽しく 遊びおりけり
床の間と 違い棚ある その部屋の 記憶の色は セピアになりて
4歳の 悲しい別れ 突然に 70年経て ふとよみがえり
故郷の 家は朽ち果て 無いけれど まぶた閉じれば 今でも見えて
「我の骨 故郷の地に 埋めてくれ」 それが子らへの 最後の頼み
[ビルマ]
ヤシの木が 間近に見えて 突然に 暗闇の中 着陸する
着陸の 「ドスン」と衝撃 伝わりて 思わず「ビルマ」と 心に叫ぶ
遙かなる トングーに向かい ひた走る 車窓の外は 漆黒の闇
幼き日 祖父から聞いた トングーは 記憶のとおり 町が広がる
トングーの NIKKO STUDIO 前に立ち 55年間の 空白つなぐ
通訳と ガイドを兼ねた ミャミャトエに 「ラーレな人ね」と 伯母がつぶやく
黄金の シュエダゴンパゴダ 背景に ラーレな女(ひと)の 写真を撮る
(注記:ラーレとはビルマ語で「きれいな」という意味です)
国軍と 思わね所で 遭遇し 銃撃戦を 危うく逃れ
バッグには 麻薬と銃を 忍ばせた ゲリラの車で 闇夜を走る
[気分転換]
(射撃訓練)
ライフルの 実弾込めて 射撃する 緊張極め 視野狭窄に
銃眼で 飛び去るクレー 叩く様 撃てば獲物は 細かく砕け
(ハンググライダー)
バーを引き 急旋回を 試みる 360度 地面が回り
突然に 左ウィング 上げられて 左旋回 気流を掴み
目に見えぬ 上昇気流 掴まえて 我の機体は 高度を上げて
空からは 山の斜面の 勾配が 鋭く立って 尖って見えて
遠目には 無音のように 見えるけど 風切り音は 意外に大きく
[中山道]
中山道 遙けき道を 京都まで 日本橋から 歩みはじめる
故郷は 浮世絵のごと 富士が見え 伝わる古道は 曲がりくねって
霧煙る 碓氷峠を 独り越え 人で賑わう 宿場に入る
我もまた 長き旅路を 歩み来て 休むとこまで 旅を続けて
[軽井沢]
100回は 登ると決めた 離山 残りはついに 10回になり
紫の 花を咲かせた ケマンソウ 登山の疲れ 癒やされる時
山ツツジ 三つ葉ツツジの 咲く道を 独り登りし 至福の時間
(碓氷道)
遠き日に 通ったことある 碓氷道 激しい霧に 道を失い
雨上がり 旧道の木々の 間から 木もれ陽作る 光のカーテン
[思春期]
暗い夜 畑の隅で 泣いていた 幼き頃を 思い起こして
学友を 刃物で刺した 事もある 暗い過去を 消すことできず
暴力に 暴力で返す 我のこと 諭す先生 今でも忘れず
西日さす 冬の教室 片隅で 優しく諭され 我は変われり
今になり 発達障害と わかっても 変わり者の 烙印消えず
[仕事]
ADHDの 特性活かし 仕事では ソフト開発 手腕を発揮
淡々と 仕事したかった だけなのに 組織のしがらみ それを許さず
びん沼を 訪れてみれば そこは今 大きな鳥が 舞うビオトープ
[前橋]
梅雨時の 晴れ間に訪ねた 赤城山 蝦夷春蝉の 鳴く声聞こえ
[愛孫娘]
(川崎病を発病し)
息荒く 熱にうなされ 孫娘 ただ事でなく 不安が襲う
孫娘 ほてる身体を 抱きしめて 不安な夜を 眠れず過ごす
ただ事で ないと娘に 強く言い 直ぐに診察 行くを促す
病名は 川崎病と 診断で 直ちに孫は 入院となる
1歳に 至らぬ孫を 保育園 泣いてすがるを 無理やり預け
孫入る 小児病棟 子供だけ 過ごす姿は 辛く寂しく
「ママ,ママ」と 呼び続けた 幼子も 疲れ果て寝る 小さきベッド
面会の 終わる時間が 近づきて 心凍らせ 別れを告げる
「バイバイ」と high-touchし 部屋を出る 我の背中に 泣き声響く
誕生日に 入院し 「4歳に なれなかったの」と 君はつぶやく
久しぶり 家に戻りし 孫娘 2階の部屋で 楽しく遊ぶ
(軽井沢で)
手を振りて 孫を送りし その後に 幸せ変わり 寂しい時に
孫帰り 騒ぎが消えた この家に やがて漂う 沈黙の時
デリシアの 宣伝ビデオ いつまでも 飽かず見続け 愛孫娘
「おばあちゃん,もういいよ」と泣く孫に 祖母の間際の 言葉重なり
「軽井沢のお家に帰りたい」と泣く孫抱きしめ 遅れ来ぬ 列車待ち
いつまでも このままでいて 欲しいから 穏やかな時 優しい時間
(孫訪ね)
小さき子 必死に習う スイミング きっと我より 上手になるね
孫娘 一つ布団に 入り来て 「寂しいよう」と 我に抱き付き
走り出す 我の車を 追いかけて 愛しき君は rear mirrorの中
泣きながら うつむき向かう 通学路 君の姿は rear windowに
真夜中に 「帰っちゃ嫌だ」と 泣きながら 抱きつく君の 背中をさすり
[父]
「ジジ」「マリ」と 言えた言葉が 初めての 父にとっての 内孫娘
風呂上り バスタオルだけの 父を見て 痩せた姿に ドキリとする
もう少し 付いててあげれば 良かったと 思ってみても その時できず
父植える かぼちゃの種が 実を結び ぽつりと一つ 新盆に生る
[あれこれ]
人生は 我が主役の ドラマだけど 悔いなきように 演じられたか?
何もかも 遠い昔に 感じられ 残された日々 あとどれくらい?
人生は 失うものと 得るものの 辛い選択 いつでも迫る
何ごとも 必ず終わり 来るものと ビルマの寺で 学んだけれど
誰も皆 辛い思いを 胸に秘め 生きていくのは 悲しいけれど
(Francois Roland TruffautのLa vie est triste:人生は悲しいから)
世の中は 上手く行かない ことばかり 一人寂しく 呟いてみて
こんなはず じゃなかったと 今になり 悔やんでみても 過去は戻れず
誰にでも 人それぞれの 事情あり 一括には しないで欲しい
レストラン 働く店員 姿無く 食事運ぶは 接客ロボット
恋の味 甘酸っぱくて ほろ苦く 振り返えみれば 少し寂しく
人は皆 誰かを励まし 励まされ だから明日も 頑張れるかな
月曜日 ママに連れられ 保育園 向かう子ずっと 頭を垂れて
幸せは 幸せかどうか わからない 無くした時の 嘆き大きく
人生の 幸,不幸の 割合は 自然に上手く 按配されて
統計の 極値解析 理論では 不幸が続く 確率も有り
歳をとり 生きとし生ける ものたちが 皆愛おしく 見ゆる時あり
明け方に 目覚めて思い 浮かぶのは 過ぎにし日々の つらき出来事
少数派 反権力に 身を置けば 見えないものも 見えることあり
依頼され 利害のための 投票は 悪魔に心 売るのと同じ
[学友]
早朝の 東京駅に 集まりて 我の出立 祝ってくれて
学友の 結婚式で 下手くそな ピアノ伴奏 校歌を歌い
バーベキュー する予定だった 軽井沢 君が来ること 叶わなくなり
カラオケで 五番街のマリー 歌ったね 僕の歌だけど 君に譲って
島君の 遺作のグラス 酒そそぎ 学生時代 暫し偲んで
[ウクライナ]
戦闘で 兵士の心 痛まねど 幼子が叩く 痛みは強く
ウクライナ 支援のための 義援金 コインではなく お札を入れて
矢ヶ崎の Nataliya Gudziy Concert 胸に響いた 防人の詩
[君達へ]
もし君が 上司と上手く いかぬなら 就職先を 早く探して
辞める前 転勤先が 有るのなら そちらの事も 考慮してみて
できるなら 技能や資格 早く取り 君のゆく道 定めて欲しい
愛社精神?そんなもの どうでもよい 君は君のため 仕事をしよう
会社では 素敵な仲間と 出会いもある それはそれで 大切にしよう
退職し 迷えることも あるけれど これで良かったと 思う日は来る
性格に 合った仕事か 目極めよう 合わない仕事 するは虚しい
できるなら 会社離れた 活動を やってみるのも 一つの手段
全力で 仕事するのは やめにしよう いざの時への 余力を残して
悩み事 文字にし詠めば 頭から やがて離れて 紙の上へと
もし君が 復帰できると 思うなら 勇気を持って 仕事に戻って