伊藤さんは私が社会人になり,最初に就職した会社で仕事を教えてくれた人である。伊藤さんと記したが実は名前の記憶は定かではない。不明では文章が書き難いので伊藤さんとした。よって,実名ではなく仮名である。
伊藤さんと出会ったのは今から50年以上前である。大学を出て就職した会社は主に公共事業の設計を行なっている建設コンサルタントであった。4月に会社に就職したが,会社の方針で本来所属する部署ではなく他部で研修を兼ねて仕事をすることになった。その部署は道路の設計を行なう部署であった。
そこで紹介された技術者が伊藤さんであった。その時は新入社員の私には解らなかったが伊藤さんは正社員ではなかったようだ。なのに何故伊藤さんと仕事をすることになったのか事情はわからない。正社員ではないので部下が居ないため私が補助技術者として回されたのかもしれない。伊藤さんは端正な顔立ちで,スタイルも良く,対応は易しく,女性なら惚れてしまうような好男子だった。
最初の仕事は東北自動車道路の加須インターチェンジの設計の仕事であった。そして何故か新入社員で仕事のことはさっぱり解らない私を加須インターチェンジの建設予定地の現場に連れて行ってくれた。現場は埼玉北部の田畑や山林が広がり,農家が点在するような田舎だった。インターのランプになる予定の農家の裏の林を調査していたらコジュケイと出くわした。
その晩は伊藤さんと一緒に加須の街中の古い旅館に宿泊した。今の新入社員ならこんなところに泊まるなら仕事辞めると言出しそうな旅館だった。ただその時は特段なにも感じなかった。初めての仕事での宿泊なので,そちらの方に気をとられていた。ただ出張だったにも係わらず,出張届けや旅費を会社に請求した覚えが無い。旅館代は伊藤さんが支払ってくれた。後になって考えれば伊藤さんの自費で支払っていたような気がする。だから安宿だったのかもしれない。初めてのことなので何も分からなかった。
翌日は事務所に行き仕事の説明をした。事務所は日本道路公団の事務所だったような気がする。何を話したか憶えていないが,雰囲気は悪くなかったので打合せは上手くいったのだろう。伊藤さんに教えらもらい,事前に小さな擁壁の設計をしていたが,今思えば稚拙な設計だった。事務所の担当者も設計内容には不満もあったろうが,新人の仕事なので大目にみて貰った記憶がある。
加須の仕事では現場にも行くので私は大宮の自宅から車で行った。その頃親が仕事で使っていた車が古くなったので,新しい車に替え,古い車・スバル360を私が自由に使っていた。もしかしたら伊藤さんが加須に連れて行ってくれたのは私の車を利用したかったのかもしれない。当時明確な規定は無かったが許可も無く,個人の車を仕事に使うのは問題がある。私はそんなことは全く知らなかった。
加須は鴻巣の隣町である。車なら近い。鴻巣には私を育ててくれた祖父母が暮らしていた。私は鴻巣に近いところに最初の仕事で行けるのが嬉しくて,有頂天だった。最初の給料を貰った後でもあり,祖父母にお土産を買った。そして仕事が終わった後,伊藤さんを加須の駅まで送り,一人鴻巣の祖父母の元に向かった。突然訪れた私に祖父母は大喜びで向かえてくれた。今でもその時の祖父母の笑顔が忘れられない。
しかし,新人が車で現場に行き,帰りに個人的な用事で祖父母のところに行くなどは,今なら許されないだろう。その当時は規律が緩かったし,それを認めてくれた伊藤さんの優しさがあったのだと思う。おそらく私が祖父母を慕っているのを仕事中の話しから察してくれていたのだろう。
加須インターの仕事は夏の前まで続いた。しかし,ある日伊藤さんは部長から激しく叱責された。部長は激高していたので私には事情が判らなかった。その場に居るのも気まずいので席をはずした。ただ,その内容には私のことも含まれていることは判った。伊藤さんは首をうな垂れて部長の叱責に耐えていた。
その後,私は本来の所属部に戻されることになり,加須インターの仕事から離れた。程なくして伊藤さんの姿が会社から見えなくなった。加須インターの仕事が完了したのかどうかも不明である。
それ以来私は伊藤さんと会うことはなかった。本来の所属部での仕事が忙しくなったことと,社内で伊藤さんのことを話題にすると気まずい雰囲気になるので,伊藤さんがどうして居なくなったのか聞ける雰囲気ではなかった。
伊藤さんは私が擁壁の設計を間違えても怒らず優しく指導してくれた。ただ今から考えるとその設計法は古い方法であった。無論古い方法でも駄目な訳ではない。むしろ古い方法の方が基本的なことを学べる機会でもある。部長の叱責の中には伊藤さんの仕事のやり方が今風ではないとの叱責もあった。
こうして私の最初の仕事は苦い思い出とともに終わった。今でも加須インターを通る時,伊藤さんのことを思い出す。後年,東北自動車を利用した家族旅行の帰りに久喜インターあるいは岩槻インターで降りなければいけないのに,伊藤さんのことを考えていたら,ずっと手前の加須インターで降りてしまって,大宮の自宅への道が分からず苦労して帰宅したことがある。
私はその後もずっと建設コンサルタント業界で働いてきた。おそらく伊藤さんも建設コンサルタント業界で働いていることと思う。狭い業界なので,その内伊藤さんに会えるものと思っていた。会社が変わっても同じ業界にいると,仕事の関係で時々顔を合わせることはよくある。しかしその後1度も伊藤さんに巡り会うことはなかった。