写真は100年程前,祖父がビルマ(現ミャンマー)で写したシュエダゴン・パゴダである。
日本では仏舎利塔と呼ばれる。英語ではパゴダ(pagoda),ビルマ語ではパヤーと呼ばれる。釈迦をイメージしたモニュメントである。ミャンマーで最も有名なシュエダゴン・パゴダは釈迦の髪の毛が納められていると伝えられる。
物心ついた頃から日本の仏教は何かおかしいのではないかと思っていた。無論宗派により違いはあるが,どれも似たり寄ったりである。全てではないが,多くのお寺にはお墓があり,無くなった人はそこのお寺の墓に入る。いわゆる葬式仏教である。
生まれた時は神社に御参りし,結婚式は教会で執り行い,死んだ際の葬式は仏教・お寺で済ませ,お寺の墓地に葬られる,というのが多くの日本人の慣わしだろう。何とも不思議ではあるが。
そのことは別として,そもそもの釈迦の教えはどんなものなのだろう?という疑問が湧いた。日本のお寺で説教として言われることは本当に釈迦の言ったことなのだろうか?
先に記したように日本の寺にはお墓があり,他宗教の人は別として一般的には亡くなった後,お骨を墓に納める。昔,奈良の幾つかの有名な古寺を訪ねたことがある。しかし,そこにはお墓は無かった。そこで湧いた疑問は通常,お墓=仏教と思われがちであるが違うのではないか?
あの世とこの世,天国と地獄,そんなものは無いのでは?人間死んだら全て終わりなのでは?その事を強く感じたのは祖母が亡くなり,荼毘にふすことになった時である。
昔のことで,田舎の小さな焼き場だったので,焼却する釜の中を覗くことができた。本当に遺体が焼かれていくのを見ることができた。辛いことだが見続けた。私を育ててくれた最愛の祖母である。事情があり血はつながってはいないのだが,私のことを本当に可愛がってくれた。その祖母が炎に焼かれていくのである。そして物理的に無くなってしまうのである。
今でも時々祖母との楽しかった暮らしを思い出す。時には今でも祖母を夢に見ることがある。もしも祖母と会える,あの世とこの世があるのならと信じたくもなる。しかし,現実は死んだら何もかも終わりである。それを焼却炉の中の光景が表していた。
ミャンマーには釈迦が教えた昔のままの仏教が今でも変わらず伝えられていると,後年出版物などから知った。その後,幸い機会がありミャンマーを訪れることができた。ミャンマーに親しい友人もできた。そこで訪ねた「お寺にお墓はあるの?」と。友人は怪訝そうな顔をして「無い」と答えた。さらに聞くと,ミャンマーでは外国人がお墓を作るので墓という言葉は知っているが,ミャンマーでは基本的にお墓は作らないとのこと。要するに死んだら終わりで,亡くなった遺骸はゴミと同じものという概念だった。
何だ!愛する祖母が焼かれる焼却炉を見つめ悩みながら悟ったことは,ミャンマーでは当たり前のことだったのか!愕然とした。当然お墓が無いので,寺に墓は無い。何だ,奈良の古寺にお墓が無いのと同じではないか!
するとここで疑問が湧く。当初日本に伝えられた仏教は釈迦の教えに比較的忠実な仏教だったのではないか?ところが,いつのまにか釈迦の教えた教義は何処かに消え去り,後世の欲にまみれた人間が勝手に変えてしまったのではないか?
因みにミャンマーでは僧侶は決してお金は受け取らないそうである。昔,父が亡くなった時お寺に連絡したら,父の死を悼む言葉の1つも無く,いきなり「葬儀には○十万円納めてください」と切り出された。何なんだ!今でも思い出すと腹が立つ。仏教は金か?
そして少し調べた。戦国時代までは庶民がお墓を作ることはなかったらしい。古墳に始まるように墓は権力者の象徴として作られたのが始まりのようである。そもそも古墳自体が朝鮮から伝わったことらしい。それから貴族,武士が墓を作るようになった。江戸時代に入り庶民にもお金持ちが出るようになる。一方,庶民の信仰は薄れ,お寺に対する寄付も集まり難くなった。そこで庶民の墓を作りたい要望と,お寺のお金を集めたい事情が作り上げた葬式ビジネスモデルではないか?
私はその後,ミャンマーで仕事をする機会に恵まれた。仕事の合間の休日に親しくなったミャンマー人にお願いして,お寺に1日短期入門をした。
そこで,そもそも釈迦の教えはどのようなものか,教えてくださいとお願いした。そうしたらお寺の広い部屋の壁面に並べられた沢山の本を示し,そこに書かれていますと教えられた。書かれていると言われても,書かれている文字はパーリ語(古い文字で日本のお寺で用いられる梵語に近いもの)とミャンマー語である。私には手も足も出ない。1文字も読めない。そこで幾つぐらい教えはあるのかと訪ねたら2~3万程という。それらを1つ1つ聞いたのでは幾ら時間があっても足りない。
そこで,無礼を承知でお坊さん(ミャンマーではお坊さんとは言わないが分かり易く”お坊さん”とする)に,「貴方が最も大事だと思う教えは何ですか?」訪ねた。お坊さんは図々しい奴だなと思っただろうが,苦笑しながら,暫く考えて「それはティラー」と答えた。そう言われても何のことか意味不明なので,通訳の友人に具体的に聞いて貰った。
回答は「万物は壊れる」「自然の摂理を理解する」というような意味だった。要するに全てのものに終わりがある,という意味でもあった。私は嬉しかった。死んだら終わり,そうだったのだ。釈迦が1番大事と教えたのは全てに終わりはくるということだったのだ。祖母の焼かれる姿に悟ったことは正しくこれだった。
私は古典文学が好きである。平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声・・」は大好きである。解説書には仏教の教えに基づいたものと書かれている。昔この文章を読んだ時はいま一つピンとこなかった。しかしミャンマーのお寺で「ティラー」の意味を知った時,これだったのだ!と解った。だから解説書には仏教の教えに基づいたものと書かれていたのである。昔は仏教の教えが正しく伝わっていたのである。それが今は・・・自分の知識の浅さと軽率さに恥じるばかりではあるが・・・
失礼ついでに図々しくも「それでは2番目,3番目は何ですか?」と聞いた。これも苦笑しながらお坊さんは親切に教えてくれた。それは「タマリ(自分の考えを持ちなさい)」「ピンニャ(常に考え学びなさい)」という2つの教えだった。
えっ!これって今まで自分が思ってきたことと同じではないか!これって宗教?平たく言えば人生訓ではないか?他の教えを聞いていないので分からないが,どうも釈迦は人として当然のことを諭していただけなのではないか?しいて言えば当然と言うより,人としての理想の生き方を教えていたのではないか?
2~3万程という釈迦の教えを知ることは叶わないが,教えて頂いた3つの言葉を大事にしていけば,それだけでも十分納得のいく人生をおくれそうな気がした。
注記:通訳の友人を介して聞いたので,ここでの記載事項が正確な言葉かどうか判りません。ここではミャンマーのお寺で聞いたなりと感じたなりを記しました。