斉藤先生は私が中学校3年生の時の算数の先生である。当時小学校は女性の先生が多くいたが,中学校では女性の先生は珍しかった。おまけに教えるのは算数である。教職員だけではなく生徒の親達からも特異な目で見られていた。
親達からは女性の先生が本当に算数を教えられるのか不安もあったろう。しかし,実際に教え始めるとその心配は無用だった。私はすっかり算数が好きになった。3年生の1学期が終わる頃には3学期の分まで予習してしまった。勿論復習もするので,当然ながら試験は毎回100点満点である。
中学2年の時の国語の教師は嫌なやつだった。読書感想をみんなの前で発表するのだが,こちらはまじめに感想を述べたのに,子供じみた感想だと皆の前で馬鹿にされた。それまでは本を読むのがとても好きだった自分は一気に国語が嫌いになった。今思い出しても腹が立つ。なんであんな野郎が教師をしていたのだろう。そのため国語の試験は1度も満点を取った事が無い。
国語の反動もあったのだろう。好きな教科は算数を中心にした理系の教科になった。反面,文系の科目は勉強しなくなった。指導を受ける教師の言う事は子供にとって大きな影響を与える。その後の人生を左右する大きな要因にもなる。教師の職業についている方には心して教えをして頂きたい。
斉藤先生は独身だった。しかし少し婚期を過ぎた歳であった。化粧もしていなかったので,少し老けて見えていたのかもしれない。当時,結婚は殆どお見合いの時代であった。適齢期の独身の先生にはPTAの父母の中から先生のお見合い相手を積極的に斡旋する出しゃばり者もあった。私も親達の話しを時々聞いたが,その中に「斉藤先生は一寸ね」という言い方を聞いた。それには幾つかの意味があったろう。既に歳がいっている,会話は言葉が少なく冷たい感じがする,算数を教えているようでは男を見下してしまうのではないか?というような少し蔑むニュアンスがあった。
私は絵が苦手である。そもそも絵は勉強するものなのか?絵を蔑んではいない。好きな絵もある。影響を受けた絵もある。しかし,全員がやらなくても良いのではないかと思う。その代わり好きな人にはとことんやらせてあげればよい。
そんな考えだったので,郊外の写生の時間では画用紙一面を一気に茶色に塗り,地面を写生しましたと嘘ぶいて,残り時間を遊びに行ってしまった。次には画用紙一杯に青色を塗り,空を描きました,と嘯いて遊びまわった。そんな調子だったから図工の成績はいつも悪かった。
そんな自分だったが,1枚だけ真剣に描いた絵がある。当時郊外の中学校は生徒が急激に増えて教室が不足し,私のクラスの教室は音楽室を使っていた。そこには1台のグランドピアノがあった。斉藤先生は試験の時や,皆が算数の問題を解いている時,そのピアノに背を向けて軽くもたれ掛かり,両腕の肘を後ろに回し,グランドピアノの天板の上に載せて,両足を少し交差させて黙って生徒達を見渡していた。問題を素早く解いた私は時間を持て余し,そんな先生をぼんやりいつも見ていた。視線が合うこともあったが,先生は直ぐに視線を逸らせた。
斉藤先生は当時の女性としては背が高くスタイルが良かった。図工の時間,絵を描く課題が与えられた時,そのピアノにもたれ掛かった斉藤先生の姿を1枚の絵にした。私が生涯で描いた唯一のまともな絵である。
全く絵が描けないと思われていた私が一人の若い女性の絵を描いたので一寸した評判になった。当然私が好きな女子を描いたと思われた。描かれた女性は誰なのか?女子生徒の間ではそれが誰なのか噂話になった。しかし,女子の誰もが描かれた女性が自分ではないと気付いた。女子の間ではやがて,もしかして斉藤先生ではないの?という話しになった。そして「何それ?」というひそひそ話しになり,話題から消えた。確かに中学生が適齢期を過ぎた女教師に思いを寄せたのでは気味が悪いと思われても仕方ない。
中学の卒業まで算数の試験はついに全て100点満点で終わった。そして高校へ進み,大学は理工学部に入った。算数が得意になったのは斉藤先生の教えであり,理工学部へ入学できたのも先生のお陰なのは親にも話していた。大学に入学し,程なくして斉藤先生にお礼に行こうという事になった。
調べたら斉藤先生は同じ町に暮らしていることが分かった。ある日の晩,親と一緒に斉藤先生の自宅を訪ねた。突然の訪問に先生は当惑していた。ただ家の中は何だか寒くて暗かった。長居するのは気が引けて,お礼を述べて早々にお暇した。
それから聞いた話しでは,先生は父親と暮らしていて父親の面倒をみているらしいとの事だった。確かに先生のお宅を訪ねた時,母親は出てこなかった。一人娘なので親の世話があり,あれでは婿さんは来ないのでは,という話しだった。
先生のお宅を訪ねたあの日,もう少し先生と話したかった。でも久しぶりに会った先生とは何を話してよいのか分からず,思うことが言葉にならず気持ちを全然伝えられなかった。それが先生と会った最後だった。中学校時代の先生の多くは地元に暮らしており,何人かの先生とは社会人になってからもお会いした。しかし,斉藤先生に会うことはなかった。
若い時を振り返った時の話しで,初恋はいつ?ということが話題になることがある。多くは中学生,高校生の頃のクラスメートや部活の先輩などとの初々しい思い出が語られる。しかし,私にそのような初々しい初恋の想い出は無い。もしかしたら私の初恋は斉藤先生だったのかもしれない?