✿大念仏のはじまり✿
✿大念仏のはじまり✿
大勢の人が集まり、念仏を唱えることです。
「大念仏」のはじまりには
「梅若丸(うめわかまる)」という男の子の
悲しい故事があるとされております。
平安時代中期(第62代村上天皇の頃)に、梅若丸(うめわかまる)という男の子がおりました。
梅若丸は、父である
吉田少将(よしだしょうしょう)惟房(これふさ)の霊を弔うために
比叡山にのぼり修行をしておりました。
しかし、あるとき
人さらい 信夫藤太(しのぶとうた)にかどかわされ、
さらわれてしまいます。
そして、旅をしているうちに、病気にかかり
たづねきて 問はばこたえよ 都鳥
すみだ河原の 露ときえぬと
という句を残し、
隅田川のほとりで亡くなってしまいます。
(貞元(じょうげん)元年(西暦976年)3月15日梅若丸12歳)
村人は、梅若丸の霊を弔うために塚を建て供養しました。
梅若丸をさがし尋ねてきた母は
村人たちが建てた塚まで たどり着きます。
母や 村人たちが塚の前で 梅若丸の名前を呼び続けていると、
塚から梅若丸の姿が浮かび上がり、消えてしまいました。
塚を守り、
梅若丸の魂を 極楽浄土まで 送るために
母と 村人たちは 梅若寺(うめわかでら)というお寺を建て、
ながく その霊を弔いました。
それが、
大念仏のはじまりであると
いわれております。
(梅若寺は現在、「梅」の文字にちなみ、木母寺(もくぼじ)という名で親しまれております)
永井大念仏剣舞は
梅若丸の故事に
因んでいるとされ、
亡くなった方の魂を
極楽浄土(ごくらくじょうど)まで
導くために
念仏を唱えながら
踊ります。
※ご使用の端末により、
表示方法が異なります。
画面右上部の『入り口』、
『▽』から
または画面左上部のサイドバーから
ご覧ください