もくじ
法話-1 無量寿経
法話―2 人生は心を磨いていく修行
法話―3 楽な道はない
法話ー4 肩の力を抜いて生きましょう。
法話-5 心の世界
法話-6 何のために生きる
法話-7 地球の心
本文
法話-1 無量寿経
人の役に立つことをして、心に正しいと思うままに正直に行動することが重要
私、荒井淳は、2022年5月3日に頭の中で「大無量寿経菩薩」という荘厳な声が2回、響き渡りました。
私は、仏教の経典などは、知らないので、何のことだろうと思い、インターネットで調べました。
そしたら、「無量寿経」という経典がある事をしります。
私は、漢文は読めません。
そこで、現代語訳をさがしました。
YouTubeに「無量寿経―現代語訳」という、朗読を見つけました。
これを、聴いたのですが、音響忍(おんこうにん)、という言葉があるそうです。
お経を聴くだけで悟りが開けるというものだそうです。
たしか、お経は、お釈迦様の言葉の発音を重視して翻訳され続けてきたと言います。
その現代語訳の朗読には、漢文のお経の朗読も合わせて、荘厳な響きに仕上がっています。
何か、いい気持ちになります。
私は、特定の宗教を推奨しようとしているわけでは、ありません。
ここでは、日本に古来から伝わる仏教が、たまたま、出てきたというだけです。
無量寿経は、お釈迦様が悟りを開かれるとき(阿弥陀仏という説もある)に立てた願(誓い)が書かれています。
この人類史上、佛の悟りを開かれたのは、お釈迦様、ただ一人と言われております。
「釈迦の前に佛なし、釈迦の後に佛なし」と言われ続けてきました。
悟りの階梯には52段あると言います。
一番上(52段)が仏覚、(妙覚、無上覚)でお釈迦様、一人。
2番目(51段)が等覚です。
そして、41段以上が不退転位と言われ、そこから上は、一度到達すれば、そこより下がることはないと言う悟りの境地です。
40段から1段が一般修行人です。
私は、ある悟りの境地を開いたように思います。
それが40段目か41段目かわかりませんが。
私が、開いた悟りの境地を一言で言うと、
「人生は、苦労(心労、身労)を通して成長していく修行の場であること。苦労は、虚数(複素数)で表せる。
この世の中、虚数(複素数)でできている。虚数(複素数)でできている世界で苦労を通して悟りを開く修行をしている」というものです。
無量寿経の中で、宝蔵菩薩が無量寿仏に「さとりを開く方法を教えて下さい」と問う場面があります。
無量寿仏は「自分で考えなさい」と言います。
私は、さとりを開く道は、自分で考えないとならないのだなと思いました。
これは、難しいことではなく、日々の生活の中で苦労を乗り越えていく中で、自然とわかってくるものなのだなと思う訳です。
この世の中が虚数(複素数)でできていると言われてもピンとこない人が多いと思います。
これを具体的に説明していきます。
虚数とは、中学で習うと思います。
同じ数をかけて-1になる数です。
あり得ない数とされていました。
あり得ない数を使って解析していいのかなと思う訳です。
しかし、世の中の大半の人は、お構いなしに解析を進めております。
物質を構成する原子は、量子力学のシュレーディンガーの波動方程式で表されます。
これ解くときに虚数を使わないと解けません。
これのさらに進んだ量子論でも、素粒子の解析は、虚数を使わなければ解けないことが予想できます。
物質を構成する、素粒子が虚数ということは、この宇宙も虚数でできているということです。
この世の中、虚数という空の世界です。
次に心の苦労について。心労
量子力学の調和解析では、虚数が使われます。
理工系の方の為に、式のイメージが湧きやすいように方程式の名前を書いておきます。
シュレーディンガーの波動方程式です。
この方程式、虚数を含みます。
これは、私の直感ですが、電子の軌道が飛び移るときに閃きがあるのでは、ないかと思います。
電子の軌道が飛び移る計算には、やはり虚数が含まれます。
心で、何かに気がついた時に電子の軌道が飛び移っているのではないかと思います。
飛び移るのは、一瞬です。気がつくのも一瞬です。閃きは、一瞬です。
この宇宙は、素粒子でできております。
そして各素粒子の場の調和解析の重ね合わせでできております。
これを解く式は、まだ立っておりませんが、たぶん、解析には虚数を使うでしょう。
いままでの量子力学の経過からそのように思います。
始め、電子(素粒子)の軌道の解析に虚数が必要だったように。
それは、素粒子が粒子性と波動性の両方の性質を持つために虚数の解析が必要だったことから推測できます。
この宇宙が素粒子でできているということは、解析には虚数が必要ということです。
この宇宙が虚数であるということは、空の世界ということです。
お釈迦さまが2500年前に言ったことと符合します。
この宇宙は虚数であり、苦労を楽しみに変えて行く修行の場ということができます。
さて、ここでまとめに入ります。
お釈迦さまは、難行苦行して悟りを開こうとされました。
そして、あるとき、心の修行の方が大切だと悟ったとき、悟りを開かれました。
私、荒井淳は、この身労と心労の両方で悟りが開けるのではないかと悟ったわけです。
みんなの幸せが、自分の幸せ。
人の役に立つことをして、心に正しいと思うままに正直に行動することが重要なのではないかと思います。
世の中の人々がすべて、このような生き方をすれば、平和が訪れるでしょう。
2023年11月26日 荒井淳
法話―2 人生は心を磨いていく修行
物質界すべては、虚構であります。
これは、何故かと申しますと、量子論、量子力学、古典力学から導き出されます。
素粒子の挙動を記したシュレーディンガーの波動方程式でも、解く際に波動関数を複素数(虚数を含む)で解析しなければとけません。
私たちは、これらの現象を普通に見ているので、これが普通と感じております。
これらは、物質を見た場合の方程式です。
私の頭の中にある、この世の中、物質界、霊界を含んだモデルがあります。
霊界は、霊エネルギーの波動方程式であり、それと物質界の電磁波の波動方程式とリンクして動いていると考えます。
電磁波の波動方程式は、素粒子の波動方程式に作用して、物質界の肉体が動いていると考えます。
これらは、複雑で現段階では、素粒子の波動方程式が立っていなので、空論と言われれば、そうです。
しかし、一考に値すると思います。
この発想の元は、シルバーバーチにあります。シルバーバーチの紹介
エネルギーの二重構造の波動であると言う言葉です。
また、地上のいかなる言語でも語りつくせないと。
ならば、数式で表してみてはどうかと思ったわけです。
この霊エネルギーの波動が実数解析で、実感が一番あるのだと思います。
その人の心の状態の波動ですから、相性のいい人同士であれば、その接触感は心地よいものとなるでしょう。
これは、周波数のハーモニー(調和)で表されるものだと思います。
心を磨いて、心地よいハーモニーとなるように心がけることが大切だと思います。
それには、心に正しいと思うことのみ行う。
正直に行動する。動機が肝心。
人の役に立つ事か考える。
これらを通して心が磨かれて行くのだと思います。
あの世に行ったら、この霊エネルギーの波動だけで生きていくことになります。
地上時代にいかに、このハーモニーを良くし、より高い周波数のハーモニーへと磨いていくことの大切さがわかります。
人生は、人の役に立つ事を行って、心を磨いていく修行の場と思います。
清らかな心で生まれ、この世の中の荒波にもまれて、さらに清らかな心へと成長していくのだと思います。
生まれたての赤ちゃんの眼は純粋です。
それが、だんだん曇ってきます。
それは、タフな心へと成長するからだと思います。
タフでいて、それでも清らかな心を保つ訓練をしているのだと思います。
生まれた時は、水晶のように透明ですが、もろいです。
それは成長に従って、金剛石(ダイヤモンド)に変えていくのだと思います。
金剛心ですね。
仏教の本に金剛心とは次のようなものと説かれております。
『如何なる人来たりて言い妨ぐとも少しも変わらざる心を金剛心という』
どんな人がどんな非難中傷嘲笑罵倒をしても、全く微動だにもしない心が金剛心だ。
私たちに金剛心なんて本当にあるのでしょうか。
とても信じられないのでしょうが、お釈迦様は『金剛心になれる』と言われております。
無量寿経にも清らかな心の持ち主であれと説かれております。
清らかなさとりを開く心の方法が無量寿経には、書かれております。
ぜひ、多くの人に無量寿経を聞いて頂きたいです。
無量寿経-現代語訳YouTube(70分あります。時間的に余裕のある状態でお聴き下さい)
浄土三部経『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』
70分『無量寿経』を味わう (現代語+読経) Che-lee
https://www.youtube.com/watch?v=KwB1OBAaZ28
『観無量寿経』を味わう (現代語+読経) Che-lee
https://www.youtube.com/watch?v=TzXeqPQPpxA
『阿弥陀経』を味わう (現代語+読経) Che-lee
https://www.youtube.com/watch?v=iTmjjKkkoxA
2023年11月26日 荒井淳
法話―3 楽な道はない
私が知っている話を総合すると、楽な道はない。
楽に手に入るものには、価値があるか。ないだろう。
無量寿経から、無量寿仏と宝蔵菩薩の会話につぎのものがあります。
宝蔵菩薩「さとりを開く方法を教えて下さい」
無量寿仏「自分で考えなさい」
ここから、私は、さとりを開く方法など、簡単に手に入るものではないと感じました。
自分で苦労して獲得するものであると思います。
ここで言う、宝蔵菩薩とは、釈迦仏か阿弥陀仏のことを指しているようです。
宝蔵菩薩の身の上話では、王子であり、すべてを捨てて、修行の道に入ったとあります。
まるで、釈迦仏のようです。
しかし、宝蔵菩薩の立てた願は、48願です。
これらは、日本の浄土真宗では、阿弥陀仏が立てた本願と解釈されております。
私にしてみれば、どちらも、私からは、はるかに遠い優れたお方たちです。
どちらでも構いません。
優れたお方たちの会話で、自分で道を開かなければ意味がないと言うことが言われているわけです。
ここでシルバーバーチに登場してもらいましょう。
彼は、簡単に手に入る物に価値はあるかと問うています。
当然、苦労して獲得したものに価値があると言っております。
また、さとりを開く要素は、自分の中にすべてある。と言います。
そして、悟りの道に王道なし。
悲しみも苦しみも神性(こころ、精神)の開発のためにあると言います。
私は、獲得するものが何であれ、苦労して獲得したものに価値があると思います。
これこそが、天国へ持って行ける宝だと思います。
さとりを開くのは、とても大変なことです。
さとりと言わず、何であれ、その人の人生で苦労して獲得したものに価値があると思います。
これは、表彰されることもあるかも知れませんが、人知れず、表彰されなくても、その人にとっては宝です。
これは、本人が一番よく知っております。
日本のことわざに「若い時の苦労は、買ってでもせよ」と言うものがありますが、まさしく、これを言っているのだと思います。
私は、若い時に苦労をしませんでした。
しかし、努力はしました。
苦労を苦労と思っているうちは、控えめに努力を続ければいいと思っております。
「自分に背負えぬ荷物は背負わされない」という言葉もあります。
まさしく、苦労でつぶされてしまうような荷物は背負わされないと言うことでしょう。
毎日、コツコツと努力を続ければ、振り返った時、思ってもみない高台に来ていることもあるでしょう。
毎日の修行が大切だと思います。
そして、歩む先を高く見上げて、努力を続けることです。
簡単には手に入らないものを手にするでしょう。
2023年11月26日 荒井淳
法話ー4 肩の力を抜いて生きましょう。
私の現在の心境を述べます。
67歳まで、肩ひじ張って生きてきました。
しかし、小林正観さんのお話を聞いて、肩の力を抜いて生きていく方が楽であることを知りました。
何の欲も持たず、ただ、ひたすらに、コツコツと生きる。
これを人に押し付けようとはしません。
住む家があればいい。食事は、贅沢を言ってはキリがありません。
現在、無職ですが、ボランティアで数学の講師に生き甲斐を見つけました。
知的好奇心を満足させることだけで充分。
自分にできることだけやる。無理をしない。
「ありがとう」と思う気持ち、言葉、これに満たされていれば、心の平安は、向こうからやって来る。
冗句を言う。
こうやって、肩の力を抜いて生きるのが、いいことに気が付きました。
ありがとう、小林正観さん。
2023年12月17日 荒井淳
法話-5 心の世界
心の世界は、自由です。
自分がどう思うかだけで決まる世界です。
辛いと思えば辛い世界、幸せな世界と思えば幸せな世界です。
不平不満を言っているとそれが自分に返ってきて、辛くなります。
今、自分は幸せだなと思って居れば、この世の中は幸せな世の中です。
要は、心の持ち方次第と言う事です。
病気の人、今は辛いかも知れません。
しかし、今、生きている状態が苦しくて苦しくてしょうがないほど、苦しかったら痛め止めを飲むことです。
心が辛くてしょうがなかったら、心理カウンセラに相談するか、精神科の医者に安定剤を出してもらう事です。
解決方法は、自分が握っております。
心の幸せは、そこにあるのです。
気がついて、欲を出さず、現状に満足すれば、幸せがやってくるでしょう。
楽な道はないと、逆の話ではないかと言う方へ。
何か、自分の宝を得ようとしたら、楽な道はないと言う事です。
現状に満足して、幸せな心になるのとは、違います。
怠惰になれと言っているのでは、ありません。
切磋琢磨は、必要です。
しかし、それは、自分の心との闘いです。
向上をめざし、それでいて現在の自分にも満足する、切磋琢磨でやるだけのことはやったと言う充実感です。
このような、心になれれば幸せでしょう。
2023年12月29日 荒井淳
法話-6 何のために生きる
何のために生きる。
これの答えは、人の数だけあります。
しかし、共通することがあります。
それは、善いことをすれば、善いことが返ってくるという因果律からは、外れないと言う事です。
善いことを思い、善いことを口にし、善いことを実行する修行をしているのです。
心を清くする修行をしているのです。
これに気がつかなければ人生は、何度も繰り返しです。
自分に善い事が返ってくるようになれば、幸せと感じるでしょう。
この幸福感に満たされれば、それは、人生を生きた意味があります。
愚痴をこぼす人は、過去の自分の行いを振り返る必要があります。
現在の自分の置かれた環境は、過去の自分の行いで決まってくるということです。
将来を善くしようと思えば、現在、善いことを行い続けなければなりません。続けると言う事は、努力すると言う事です。精進です。
ゆっくりと、人生を謳歌し、善いことを行い続ければ、明るい未来しか待っていません。
善いことは、自分の心に聴けばわかります。
善悪も両極端は、いけません。
中庸の徳です。
人生、なかなか、舵取りが難しい~な。
2024年1月1日 荒井淳
法話-7 地球の心
地球は、日本を中心に平和な星になっていく。
不戦の誓いを書いた、憲法九条は、守らなければならない。
政府のエゴで、一部の政治家だけで、不戦の誓いを破るような
ことがあっては、ならない。
日本国民は選挙で一票を大切にしましょう。
2024年6月3日 荒井淳
このホームページは、以下の構成です。
YouTube
このホームページで言いたいことは次の3点です
1)科学は包丁にたとえ、科学が平和利用されるだけになるだけに
人類の心が進歩しなければ将来はないであろうこと
2)物質界は複素数解析(虚数含む)である。
生きる上で、これは、抵抗があり、負荷がかかる。
心の世界は実数解析である。抵抗が少ない。負荷がない。
これえらから言える事は、抵抗の少ない心の世界では、心の修養に時間がかかる。
そのために、抵抗がある、物質界に生き、心の修養を加速させるために物質界に産まれてくる。
3)心の修養
これらの参考資料を集めました。
シルバーバーチ
小林正観さん
お釈迦さま
4)その他