神様が、人間と世界を創造している働きを、そのまま形に現したものなのです。
教祖中山みきさまに、入りこんだ神様が、直接教えてくれました。
人間世界を作り始めた時の約束があるから、おつとめをつとめなければならないのです。
そのお話を、元の理と言います。
おつとめに関係するところだけ簡単にお話すると、
もともと世界には何なく神様しかいませんでした。
神様は、なんの楽しみも無かったのですが、ある時、とてもいいことを思いつきました。
そうだ!人間を造って、人間が楽しく暮らすところを見て、神も一緒に楽しもう!
でも、世界には何もないので、神様は、自分の分身をたくさん生み出しました。
その分身は、神様から分けられたので、神様と同じ自由な心を持っています。
これが人間の魂となったのです。
魂だけでは、人間世界は作ることができないので、今度は、肉体や世界を作らねばなりません。
そこで、その分身たちの中から、八人の魂(道具衆といいます)を選んで、神様の道具となって働いてもらうことにしました。
ところが、その道具として選んだ魂たちは、神様の道具となることを嫌がって、断ったのでした。
そこで、神様は、「人間ができたら、あなた達を、人間の神様として拝をさせるから」と約束し、なかば強引に承知させたのです。
こうして、神様たちが人間世界を創造するおつとめが始まったのです。
それから、長い長い年月を経て、やっと人間が出来上がってきたのです。
そして、働いた道具衆を「神として拝をさせる」という約束の時が来て、神様が人間におつとめを教えたのです。
神様は人間の自由の心を一番大切にしているので、強制はしないのです。
しかも、「神として拝をさせる」という約束は、世界を作るときに、神様と道具衆が約束したことなので、人間が守らねばならない約束ではないのです。
私達が、自分の自由の心で、おつとめをしたい、おつとめする!と決心できるように、神様が導くのです。
神様は、人間が楽しく暮らす(陽気暮らしと言います)のを見て、神様もともに楽しもう、と思いついて、人間世界を始めたのです。
私達人間の誰か一人でも、神様のお働きを感じて、日々喜んで暮らしていたら、神様は楽しんでおられると思います。
もし、人間の誰か一人でも、楽しく暮らしていなければ、神様は、放っておかないのです。
人間が楽しく暮らすために、神様は、おつとめを教えたとも言えるのです。
陽気暮らしが出来ていない世界が、陽気暮らしの世界に変わっていく元が、おつとめなのです。
何もない世界から、ここまで来たのだから、いずれ世界中が陽気暮らしの世の中になる、と楽しんでおられることと思います。
神様が勇んで、今までにはなかった珍しい神様の働きが、身の回りや世界に現れてくるのです。
例えば、いずれ人間の寿命は、115歳に定まり、病むことも、弱ることも、年寄りになることもなく、若々しく生きることが出来るようになると神様は言っています。
世界が消えてなくなってしまうかもしれません。
人間の世界や身体は、十柱の神様のおつとめで成り立っています。
十柱の神様のうち、八柱の道具衆は、「人間が出来上がったら神として拝をさせる」という約束のもと、つとめています。
約束が守られねば、道具衆の働く理由がなくなってしまうのです。神様が働くのをやめたら、世界は跡形もなく消えてしまうでしょう。
明治20年正月に、「命捨てても」と、初めて人間が、一すじにおつとめつとめる心を定めました。以来、天理の地場では、欠かさずおつとめがつとめられています。
天理の地場でつとめられるおつとめ(甘露台のおつとめ)と、形は違いますが、同じ意味を持つおつとめが、全ての人に許されています。
私達がつとめる日々のおつとめは、世界を成り立たせるおつとめ、世界を助けているおつとめだと言っても、言い過ぎではないのです。
形は大切です。これをつとめたら、人間が神様を拝したと、神様が認めてくれるのです。
ただ、形だけでなく、心の方も、神様を拝するようになりたいものです。
凄いなあ、ありがとう、自分もそうなりたい、というのが、拝する心です。
自分に出来ないことを、友達がやっていたら、凄いなあと思いますよね。
自分に出来ないことを、友達に助けてもらったら、ありがとうって思いますよね。
神様として働いている「道具衆」は、もともと私達と同じ立場にあった魂なのです。
私達の魂も、道具衆の魂も、元の神様から分けられた魂だからです。
同じ親を持つ兄弟みたいなものです。
何もないところから、神様が成し遂げてきたものは、この世界の全てです。
私達の兄弟が、何億年何十億年も、神様として働いて、全てを成り立たせていると知ったら、素直に、凄いなあ、ありがとう、と、頭が下がるのではないでしょうか。
そして、道具衆をお手本にして、自分もそうなりたいと、励む人間も出てくるかもしれません。
もし、神様が巨大な姿や巨大な力で現れて、おつとめをしろと言ったら、私達は恐れたり怖がったりするだけです。決して、道具衆を拝する気持ちは出てこないでしょう。
始めに神様が道具衆を説得する時も、強制はしなかったのです。「人間に神として拝をさせるから」と約束をして、道具衆のつとめる心を引き出しているのです。
私達が自由の心で自ら、おつとめをつとめる心を定めなければ、意味がないのです。
始めは誰も知らなかったし、おつとめを馬鹿にしたのです。
けれど、人間の側にも、おつとめをつとめなければならない理由があったのです。
困難でどうにもならなければ、馬鹿にしていた天理教にすがってでも助かりたいと思うものです。
病気などの困難で、どうしようもなくなった人達が、神様の話を聞いて、神様に助けられて、おつとめをつとめる心を定めてきたのです。
二代目、三代目くらいになれば、親から神様の話を聞いて、困ったことにならなくても、おつとめに親しむ子が育つことでしょう。
そして、代々子孫が続いていったら、世界は自然に陽気暮らしの世界になるのです。