皆さんは、私たちの身体の精巧な構造、不思議な働きについて考えてみたことがあるでしょうか。目が見える、言葉が話せる、耳が聞こえる、手足が自由に動く、このようなことがあまりにも身近で当たり前になり、その有り難さを忘れているのではないでしょうか。
夜寝ている時も、心臓は休みなく動いています。呼吸も止まることはありません。自分で心臓を動かしたり、呼吸をしようとしている人はいないのです。 食べたものを自分で消化している人は一人もいません。胃が勝手に消化して、 腸を通って栄養分が吸収され、不要物は排出されます。誰が私たちの身体を調節してくれているのでしょうか。
天理教には「かしもの・かりもの」という大切な教理があります。「かしもの・ かりもの」とは、どういうことかと申しますと、人間身の内は神様のかしものであり、神様からのかりものである、ということなのです。身の内とは身体のことで、私たちのこの身体は、神様からおかりしているのであって、私たちのものではないと仰せられるのです。その証拠に誰一人として自分の身体を自分で動かしている人はいません。すべて神様のご守護のおかげによるのです。
例えば病気になった時を考えるとよくわかります。発熱に苦しみ、悪寒に悩み、手足一つさえ自由に動かせなくなる時があります。自分の身体であれば病気になることもないでしょうし、たとえなったとしても自分で治せるはずです。 自分の力ではない何か大きな自然の力、神様の力が私たち人間の身体を調節して下さっているのです。こういうことを考えてみますと、やはりこの身体は、 自分のものではないということがわかってくると思います。
私たち人間の身体は神様よりのかりものであり、神様からいえば、かしものなのです。私たちは、神様に生かされており、この身体をおかりしているのです。かりものというのはこの肉体のみでなく、妻・夫・親・子供も地位財産、それから空気・水・太陽の光、これらの自然の恵み全てが神様からのかりものなのであります。これを、私たちは無償でおかりしているのです。
このお働きと御恩をいつも忘れず、感謝の心を持って大切に使わせていただき、人のため、世のために心と身体を使うことで、この世界が喜びに満ちた社会に変わっていくことが、天理教の教祖の教えられた陽気ぐらしの世の中であり、神様の待ち望まれる陽気世界なのです。
どうか一度天理教の教会にお立ち寄りいただき、陽気ぐらしのためのお話を聞いていただいて、共々にこの世界が陽気な明るい社会になるように、勤めさせていただきましょう。
(天理時報社 路傍講演のしおり)