山の中でもあちこちと天理王のつとめする・・と、「みかぐらうた」の九下りに歌われています。
天理王のつとめとは、人間が行うおつとめのことを指しています。
同九下りにおいて、「神名を呼び出せば・・」と歌われていることから、「あしきをはろうてたすけたまえ、天理王のみこと」と、つとめる「おつとめ」のことであると思われます。
一方、「みかぐらうた」の六下りに、
ようこそつとめに着いてきた・・とも歌われています。
人間が、つとめに着いてきた、という意味ですから、人間よりも先につとめているものの存在を暗示しています。
先につとめているのは、もちろん、神様です。
つとめとは、神様がつとめる人間創造のおつとめのことであることに疑いはないでしょう。
神様のおつとめは、三つの段階に分かれていると言えます。
まず一つ目は、月日によるおつとめです。
月さまと日さまが、談じ合い、人間世界創造を心定めて、月さまと日さまのニ柱によるおつとめが始まりました。
そこで自らの魂を分けて、「どじょう」と呼ばれる沢山の人間の魂達を生み出し、また、神として働く八柱の道具主たちも創造しました。
二つめの段階は、創造された道具主たちを、呼び寄せ、承知をさせて、始まった、月日と道具主たちによる、十柱の神様たちのおつとめです。
このおつとめにより、形ある人間世界が創造されてきました。
この十柱の神様を、総称して、「天理王のみこと」と呼んでいるわけです。
「天理王のみこと」という神様が居るわけではないのです。
十柱の神様が、「天理王のつとめ」をつとめているから、「天理王のみこと」が成立しているのです。
天理王のみこととは、たとえるなら、会社みたいなものです。
社長や社員が、会社につとめていますが、つとめる人間なくして、会社は存在しないし、社長だけでも、社員だけでも、会社として機能しないのです。
そして、それぞれが、会社の社長として、会社の社員として、その本分を尽くすから、会社が成り立つのです。
天理王のみことも、月さまや日さま、八柱の道具主たちが、「天理王のみこと」
として、それぞれの役割を担って、本分を尽くすから、「天理王のみこと」が、機能しているのです。
そして、「天理王のつとめ」の三段階目は、神様に創造された人間たちが参加して、月日と道具主と人間がつとめる段階です。
これは、人間が、神様に向かって、「どうか助けて下さい」と請い願うのではありません。人間も、神様と共に、人間世界創造をつとめることなのです。
月日がそうであったように、八柱の道具主たちがそうであったように、私達人間も、「天理王のみこと」として、つとめるのです。
それが、天理王のつとめなのです。
「天理王のつとめ」には、明確な役割分担があります。
月日の役割、道具主の役割、人間の役割です。
月日は、人間世界創造の計画の立案者であり、必要な物資を供給するスポンサーであり、常に計画遂行を導く監督であり、人間が使った心を全て受け取って貯めておくデータベースであり、人間にどの心を返していく順番を決める采配者でもあります。
道具主たちは、月日のさしづ通りに、人間の肉体や世界の形全てを動かすのです。
人間は、神様の守護を感じて、喜びの心を、天にお供えするのです。
月日と道具主と人間、この三者の役割が揃った時、これが、「天理王のつとめ」の完成形なのです。
このつとめによって、人間の心次第に、人間の陽気暮らしの世界が、創造されていくのです。
神の世界は、人間が主人公なのであり、天理王のつとめの最も重要なパーツが人間なのです。
おつとめが、人間に教えられた今、「天理王のみこと」という概念は、人間にまで広がったのです。
月日と道具主だけでなく、人間も加わった、第三段階の「天理王のつとめ」をつとめる時、人間も「天理王のみこと」という神の組織の一員となるのです。
もはや、神様は、助けを請い願う対象ではないのです。
私達自らが、「天理王のみこと」の自覚をもって、「天理王のつとめ」をつとめるのです。
ですから、何も知らない人間が、いきなりつとめられるものでもないのです。
会社には、社員研修があるように、また、仕事をしながら、仕事を覚えていくように、天理王のつとめも、心を澄み切らせること、つとめに着いていくことが、必要なのです。
かしものかりものを、心に深く承知すること、24時間どこをとっても神様の守護で成り立つ世界を感じること、神様のつとめが自分に及んでいることを感じること、神様の守護を感じる喜びを磨き上げてこそ、人間は人間の役割をつとめられるのです。
天理王のみこととして、天理王のつとめをつとめたいと志すなら、神様も力を貸して下さるのです。日々の生活の中で、神様が教育して下さるのです。
日々、さまざまな試しがかけられ、神様があることや、かしものかりものが真実であることや、何事も、心通りの守護であること、なにかあっても、心を改めることで治まることなど、を体験させてもらって、心が澄んでいくのです。
神様のお話をよく思案して、日々の神様の教育で心を固め、神様の守護を感じる喜びの心が定まったら、さあ!、天理王のみこととして、天理王のつとめを、つとめてまいりましょう。