はい、私も、子供のころ同じように思っていました。
家で、ゴロゴロしていたいと思ったものです。
でも、今から思い返せば、学校に行っていて良かったと思っています。
学校に行っていたおかげで、大学に行けて、そこで知り合った仲間から、私の師匠との出会いありました。
師匠と知り合えたおかげで、今の妻とも出会い、子供も授かりました。
みな、私のかけがえのない宝です。
詳しくいえば、師匠と知り合ったおかげで、私は神様に関わる仕事を何かしたいと思い始めました。
師匠に相談したところ、なぜか「板前をやりなさい」と言われました。
師いわく「身体を動かせば、心も自由に動かせるようになるのです。若いうちは、泥にまみれなさい」と。
はじめは、三年千日の予定が、気づけば、十年、料理の仕事をしていました。
心の中で、「料理が、神様の仕事の役に立つのかなあ」と疑問に思うこともしばしばでした。
学校に行くことに対する疑問と同じで、「これが何の役に立つのかなあ?」と思っていた訳です。
けれど、私の奥さんに出会ってから、私はしばしば自分の手料理を彼女にご馳走するようになったのです。そのおかげで、親密になることができ、結婚の約束をすることとなりました。
料理をやっていて本当に良かったと思いました。
私の宝物である妻や子供たちは、「こんなことをして何の役に立つのかなあ」と思うようなことのおかげで、授かったのです。
「こんなことをして何の役に立つのかなあ」と思うものの中に、思いもよらない宝が隠されていたのです。
学校は、「これが何の役に立つのかなあ」と思うものの代表と言えます。しかも、なかば強制的に行かなくてはならないのです。
今は、いやだなあ、とか、なんで?とか、思うかもしれません。
でも、それって、凄いことなのです。
なぜなら、自分で願うことよりも、もっと素晴らしいことを、神様が私達に願っているからなのです。だから、自分の願い通りにならないこともあるのです。
自分には思いもよらない宝物に向かって、神様が引っ張ってくれているのです。
いずれ、あなたが思いもよらない宝にたどり着くことを楽しみに、学校に通ってみてはいかがでしょう?
こういう問題は、いろいろな専門家の方がおられるでしょうから、ここでは神様のお話を一つさせていただきます。
世界は、自分の心を映す鏡なのです。
身近な人こそ、自分の今の心を映す鏡になっています。
息子さんの姿は、自分の心の姿なのです。
いや、私は、そんな良識のない行動はとっていない、と言われるかもしれません。
けれど、神様には、私達の心は、丸見えなのです。
神様には、心でちょっと思ったことでも、直接伝わるのです。
神様から見たら、私達の心は、息子さんの姿の様に見えるのだと思います。
心でちょっと腹が立ったり、イラついたり、文句が出たり・・・。
たとえ、顔や言葉に出さなかったとしても、神様には隠しようがないのです。
こんな心ばかり使っていたら、たとえ小さな心でも毎日積み重なったら、心通りの守護の世界なのだから、自分自身が困ることになってしまいます。
だから、神様が、自分自身の姿に気づけるように、息子さんを道具に使って、見せてくれているのです。
第一に改めるべきは、息子さんの言動ではなく、自分自身の心です。
すると、息子さんには、困るどころか、自分自身の心に気づかせてくれ、助けてくれたという感謝をしてもいいくらいかもしれませんね。
そういう心を治めて、息子さんと向き合ってみてはいかがでしょうか。