牛原武通は父善右衛門、母ケサグリの六男として鹿児島県曽於郡伊勢田牛ヶ迫で生まれ、土地の小学校を卒業してから農事にたずさわり、二十一才のとき鍼灸術と按摩師の免許を持った。
が、その頃眼を患って困っていたところを、実兄の津野兼盛から神様の話を聞いて入信した。昭和三年別科三十九期に入り、修了してからは兵庫県西宮市で鍼灸院を営み、治療とおたすけに専念した。
当時、兄の津野兼盛は神戸市湊区平野天王谷で本邦宣教所を設立していたから、弟は出入りして成人していった。しかし、戦争も激しくなって鹿児島の牛ヶ迫に疎開し、そこで終戦を迎え、翌年、本邦分教会長の勧めに従って教会設立のお許しをいただいた。
牛原武通は非常に世話好きで観切な人であり、兄のことを思って、若者を次々に本邦宣教所へ送った。後年、國船分教会二代会長になった溝口ミヨ子や、香港分教会三代会長の孕石美代子らは本邦臺分教会の信者子弟であった。
牛原春江本邦豪三代会長は牛原武通の弟三郎と結婚したが戦争中、三郎が御用船に乗っていたとき南方で敵船艦に撃沈され戦死したので、武通と再婚した。しかし、二人の間には子供がいなかったので、牛原の本家筋から彰を養子に迎えた。 春江は昭和三十三年修養科二百七十九期を修え、夫が出直したあと二代会長のお許しをいただいた。