なにか面倒なことが起きた時も、「ああ、これも神様ランドのアトラクションなんだな」と思って、楽しんで取り組むと、過程も結果も今までと違ってくる。
アトラクションなんだから、ことの起こりから結末まで、キャスト側(神様)に責任がある。
アトラクションの楽しい結末に、心を及ぼし、気楽に楽しんでみましょう。
この世界は神様ランドである。
出来事は、みな、自分を楽しませてくれるアトラクションである。
某〇〇ランド(以下これはディズニーランドのことを指している)は、「夢の国」と言われているが、神様ランドは、現実の国、現実の世界そのものである。
某〇〇ランドは、お客様をゲストと呼び、従業員をキャストと呼ぶ。
従業員は巨大な舞台の上の演者としてゲストを楽しませるのである。
神様ランドのゲストは、自分一人である。キャストは、神様であり、神様が超巨大な舞台の演者となって、たった一人のゲストを楽しませるのである。
神様が演じているものは、世界の有形無形の全てである。
某〇〇ランドでは、スリルを楽しんだりする。
怖いジェットコースターも、安全管理がしっかりされていて、ゲストが楽しめるように出来ている。
神様ランドも同じである。神の知恵と力で、神様が全てのアトラクションを、ゲストのために管理しているのである。
某〇〇ランドは、お金を払いチケットを購入して入場する。
神様ランドは、心一つで、入場できる。神様の教えを理解した心が、神様のランドの入場チケットである。
神様の教えは、かしものかりもの、心通りの守護、人間の心は自由、の三つである。
特に、かしものかりものを理解する心が、重要。自分の肉体も世界も、全て神様だけが動かせる「かしものかりもの」の世界なのだと、理解する心が、重要である。
何事でも、「これも、神様ランドのアトラクションなのだな」と理解して楽しむ心になると、神様が楽しませてくれるのである。
何事でも、とは、遊びや食事や、学校や仕事、一日の家事、子育て、様々なイベントだけでなく、時間スケールの大きな、文明の発達や、世界一列陽気暮らしの実現なども、一つ一つみなアトラクションである。
神様ランドの入場者に、神様が演者となって楽しませてくれるアトラクションである。
ただ注意点もある。
某〇〇ランドでも、ゲストとしてのふるまいを外れ、危ないことをすればケガをする。
神様ランドも、同じである。神様のランドでのゲストのふるまいかたがある。
神様ランドなのだから、そこに居るのは、みな神様なのだ。
ゲストである自分も、神様でなければならない。
神様ランドのゲストは、神様として、神様の心で、ふるまうのだ。
では、神様の心とは?
神様の心とは、人を思いやる心、人の喜びを見て、自分も喜ぶ心である。そのため必要であれば、人を助ける心である。
でも、ちょっと待って。現実の世界が神様ランドなら、この世界に居る自分以外のキャストは、神様であるはずなのに、まるで正反対な心のキャストしかいないように見える。
そうこれは、一列陽気暮らしの世界を実現する巨大なアトラクションのだ。
マンガでも、はじめは敵だった相手が、戦いを経て、大切な仲間になっていくというのは、読み手を楽しませてくれるではないか。
まるで神様らしからぬ人が、神様のように目覚めていく、神の国らしからぬ場所が、神の国へと変貌を遂げていく、これもまた熱いドラマと言えるのではないか。
まして、普通の人間だったさえない主人公が、己に眠る神の心に目覚め、神の仲間を次々と増やし、地上に神の国を建設するドラマとなれば、どうだろう?
え? 怪しいカルト宗教の誕生だって?
宗教団体など設立する必要などない。
世界全体が神様ランドなのだから。
神様ランドに入場する心になればいいだけ。神様ランドのアトラクションを楽しむ心になればいいだけなのである。
アトラクションを楽しむ心に、神様がキャストなって、楽しませてくれるのだ。
そうえいば、某〇〇ランドは、朝は、開園の時に、キャラクター達がゲストを迎えてくれて、夜には色鮮やかなパレードで、楽しませてくれる。
神様ランドにも、朝づとめと、夕づとめがある。キャストとゲストが一つになって、奏で、歌い、舞い踊るのだ。
朝づとめと共に、神様ランドに入場していることを認識し、アトラクションを神の心で楽しもう。そして、夕勤めで、一日の楽しかった喜びを表現しよう。ゲストの喜びは、キャストを喜ばせ、また、素晴らしいアトラクションで楽しませてくれるのだ。