白鸞殿観察報告

7/27/2025





元化は、医者の家に生まれた。医者を目指し、医者になった。あまり非科学的な事は信じたくなかったが、どうやら前世の記憶のようなものを持っていた。それに気づいた時は、世界認識にどこか問題があるのかと思い、両親に相談して検査を受けた。異常は無かった。記憶は、少しずつ増えていった。どうやら古代の医者としての記憶のようだったので、役に立つだろうと思って受け入れた。生まれつき歯が一本多いとか、そういうものと同じだろうと考えた。元化は、自分の人生が持って生まれた記憶の続きだとは思っていなかった。影響が全くなかったとは言わないが、あくまで、メインは自分で、記憶はそのおまけのようなものだと思っている。医者になった元化は、難しい病と必死に戦う患者を看ながら、命というものは一度失われれば終わりなのに、どうして自分は続きをしているのだろうと思うことがあった。この人生は続きではなくまた別のものだと思いつつ、記憶の中の自分と同じように医者をしている事が、少しずつ割り切れなくなってしまった。だから、医者を辞めた。そんな事を、誰彼構わず言えるはずもないから、医者を辞めた理由を尋ねられると、院内政治や自由、自分のモットーなどを理由にした。嘘はついていないから、まあいいかと思った。

医者を辞めて、元化はしばらくコンビニでバイトをした。コンビニの客は皆、概ね健康そうだった。稀に見かける明らかに不健康な客には、会計時に、顔色が悪いから医者に行けととりあえず伝えた。コンビニの店員にできる事は、そのくらいだった。ある日、そのコンビニの新人バイトとして紫鸞が入ってきた。彼は高校生だった。元化を一目見るなり、目をぱちくりとさせて名前を呼んできた。一瞬、人違いを装おうとしたが、元化は結局、返事をした。元化は、かつて太平の要と呼ばれた者たちの事を、とても興味深いと思っている。記憶の中には二人しか出てこない。彼らのことは、結局よくは知らないままだったが、旅の仲間としての紫鸞を観察するのは本当に興味深かった。彼は元化とは違うものの考え方をして、元化ならそうはしないだろうという事をよくした。そんな事を思い出して挨拶を交わし、しばらく話していると、どうやら紫鸞は、今生を前世の続きだと認識している事がわかった。無理をしている様子もなく、自然なこととしてそう考えているようで、元化は少し驚いた。元化は時々紫鸞と会うようになって、朱和を紹介された。名前しか知らなかった彼女は、出会った時には大学生だった。朱和の両親は児童福祉施設を経営していて、紫鸞は小さな頃にそこへやってきたらしい。初めて顔を合わせた日、前世で紫鸞が大変お世話になったそうで、と、朱和は手土産を持ってきた。朱和も朱和で少し変わっていて、やはり太平の要と呼ばれた者たちは面白いなと、元化は思った。

日々を過ごすうちに、元化はやはり、医学の知識を使う仕事をするようになった。コンビニで働いたり、紫鸞や朱和と話しているうちに、世の中には随分と色々な状況の人がいるのだと知った。コンビニ店員のままでは、明らかな病人にも「病院に行け」と言うことくらいしかできない。何度かそう告げた常連客が、ある日ぱったりと姿を見せなくなった時、元化は心を決めた。人と関わる事が嫌いではないし、彼らの病や怪我の面倒をみることができることは、不思議な安心感を元化に与えた。現代においては記憶にあるよりもずっと、「動けない」「ずっとは起きていられない」という状況は、選択肢を狭めてしまう。だから元化は、せめて、彼らの家庭教師のようなものをしようと思った。幸い、医療の知識も経験もあるから、なかなか容体が落ち着かない者や、定期的な投薬や処置が必要な者にも、それをしながら勉強を教える事ができた。


何年かが経って、紫鸞は朱和を追って無事に警官になった。制服を纏う初々しさが薄れた頃、白鸞を見つけたと連絡があった。元化は、記憶の中にある白鸞の、仏頂面をしながらも面倒見の良かった様子を思い出した。紫鸞と朱和が籍を入れ、白鸞を養子に迎えたと聞いて、少し驚いた。太平の要の行動基準は、いつになってもよくわからない。朱和と紫鸞が男女の仲では無いと知っていたから、元化はすぐに、それが白鸞を養子にするためなのだろうと察した。

残暑が終わりを迎える頃、元化は、白鸞に読み書きを教えてやってほしいと頼まれた。そこでようやく事の成り行きを聞いて、白鸞も大概苦労の多い事だ、と少し同情した。思い浮かべる事ができるのは青年の白鸞の姿ばかりで、きっとまた自分より背も高くなるのだろうなと余計な事を考えながら、元化は快く引き受けた。だから、実際に白鸞と顔を合わせた時、相手があまりにも小さく、本当にただの子供だったので、ついつい反射的に、かわいい、と口から出ていってしまった。昔のようにじろりと睨まれるかと思って慌てたが、子供の白鸞は警戒したようにじっと見るだけで、隣にいる犬を掴むようにして触っていた。心理介助犬のシロというのだと聞いていた。その様子を見て、元化は、ああ、と思った。大きなストレス、特に幼少期に受けるそれは、脳の働き方を変えてしまう。いくら白鸞の魂が高潔で強くあろうとも、人体を動かす化学を、無かったことにはできないのだ。脳の仕組みに関する論文はいくつか読んだ。白鸞の事情を聞いてから、白鸞と顔を合わせるまでの間に。まだまだ暑さの残る時期に、白鸞は、汗もかかずに長袖のシャツを着ていた。紫鸞と朱和によれば、暑い寒いの訴えは一度も聞いた事がないらしい。腹が減った、喉が渇いたという、一番忘れてはいけない事も、どうやら覚えていないようだった。

勉強を教え始めてすぐ、元化は、白鸞の視力に問題があることに気づいた。ひらがなとカタカナは読めると言った割に、ふりがなのふられた漢字を読めていなかったからだ。読みながら、行を指で追ってみてほしいと言うと、時折、白鸞の指は迷子になった。おそらく単なる近視や遠視ではないと判断して、元化は白鸞を知り合いの眼科へ連れていった。目の検査をして、眼鏡の処方箋を出してもらった。話を聞くと、案の定、強く殴られた時に眼球が歪んだり、傷がついたりしたのが原因だろうのことだった。定期的な検診を勧められたので、元化はそれを白鸞の両親である紫鸞と朱和に伝えた。彼らのことだ、きちんと白鸞を病院へ通わせるだろう。初めて眼鏡を見た時の白鸞は、少しおもしろかった。おそるおそるケースを開けて、それからどうすればいいのかわからないようだったので、元化が眼鏡のかけかたを教えてやった。レンズは触らないように、汚れたら拭くように。ブリッジやツルが曲がったらすぐに直すように、などなどを伝えながら白鸞に眼鏡をかけさせた。訝しげに目を開いた白鸞は、それから目を見開いて、部屋の中を見回した。近くにいたシロを見ると、その鼻を触って、こんなにがさがさだったのか、などと言うものだから、元化は笑いを堪えるのに必死だった。

眼鏡を作って、読み書きを覚えていくと、白鸞はだんだんと、元化の記憶の中にある白鸞に近づいていった。視界も感覚も、きっと相当にぼんやりしていたのだろうなと思った。物が読めるようになると、白鸞は元化の手を離れたところでなんでもかんでも読み漁るようになった。時々調子の悪そうな日もあったが、人間誰しも、調子の良し悪しはある。それが重篤であったり深刻であったりしないかだけには気をつけて、元化は白鸞を見守った。元化は読み書きや勉強だけでなく、生活の仕方や、記憶の中と現在の常識の違いなども白鸞に教えた。きっと、自分で気づく事も多いはずだが、白鸞が何よりも基礎を大切にしていたのを覚えていたから、元化は、一つ一つ確認するように、白鸞に世界を教えた。


少しだけすったもんだがあって、白鸞は料理をしてみたいと言い出した。元化は料理がそこまで得意ではなかったが、これを機に自分も学ぼうと思った。火が通っていれば、多少のことは大丈夫だ。元化は、そう信じている。

二人は、ゆで卵から作ってみることにした。茹でるだけのはずなのに、湯の中で割れたり、殻が綺麗に剥けなかったりして、習得には何日かかかった。朱和と紫鸞は、二人がゆで卵を作った日には、多めの卵を黙って食べた。結局、殻が綺麗に剥けるかどうかは運だという結論を出して、二人はゆで卵の習得を終えた。

次に作ったのは、ホットケーキだった。粉を買ってきて材料を混ぜ、それから焼くだけだ。だが、茹でるだけだったゆで卵より、工程も多ければ計量も関わってくる。白鸞が真面目であることは昔と変わらないようで、いきなり目分量で材料を混ぜようとする元化から、白鸞は無言でホットケーキミックスを奪った。ボウルの中に生卵を割った時、ふと、白鸞が元化を見上げた。何か質問のある時の顔だったので、元化はそれを待った。

「シロの、ことだが…」

少し言いにくそうにそう言うので、介助犬のことを学んだか、それとも何か別のことか、と思いながら元化が先を促すと、

「その…去勢、されているのか…?」

と、酷く真剣な顔で尋ねてきた。どうやら、シロが腹を見せながら昼寝をしているのを眺めていた時に、違和感に気づいたらしい。元化は思わず笑ってしまいそうになるのを堪えた。太平の要たちが面白い言動をするのはままあることだが、いつだって、彼らは真剣なのだ。笑うのは失礼だと、元化は思っている。

「はい、されています。でもそれは何かの罰とかそういうのじゃなくて、今ではよくあることですよ。色々なトラブルを避けるためですね。今は動物に対する医療も進んでいるので、シロは痛みも感じなかったはずです」

白鸞が気にしているのがどの部分かわからなかったので、思いついたことを全て伝えた。それで心配事は解消されたようで、白鸞はほっとした様子でそうか、とだけ言い、手元に視線を戻した。初めて焼いたホットケーキは、なぜかクレープのように薄くなった。


料理の合間に、元化は引き続き白鸞に映画やドラマを見せた。白鸞の様子がだいぶ落ち着いてきたかと思った頃、元化はホラー映画を再生した。音や演出で驚かせるタイプではなく、静かに、淡々と、日常に違和感が出ていくタイプのホラーだったので、元化も見ながら少し後悔した。負荷が高すぎたらすぐにやめようとちらちらと白鸞の様子を確認したが、白鸞はシロを両手で抱えてはいるものの、元化の視線にも気づかずに映画を見ていた。エンドロールが流れて、おやつでも食べましょうかと声をかけようとして白鸞を見ると、白鸞は、真っ青な顔をして元化の方を向いていた。あまりの顔色の悪さに元化は驚いて、すぐに脈を測ったり背中をさすったりしたが、白鸞は静かに、大丈夫だと告げる。見た目は大丈夫ではないですがと告げると、白鸞は、シロを抱える腕に力を込めた。

「元化…お前から見て、私はまだ、心神喪失状態にあるか?」

また難しい言葉を覚えたものだと思いながら、元化は首を横に振る。すると、白鸞の顔は、一層険しくなった。まだまだ子供であどけないのに、表情だけは昔を思わせた。

「シロの散歩で通る道に、ああいう…ずっと俯いて立っている、影みたいな者が居るんだ。そういう人なのかと思っていたが、もしかして…」

震えそうな声でそう言われると、元化も怖くなってきた。基本的に元化は、非科学的なことはあまり信じない。けれど、そんな事を言われ、これから一緒に確認しに行こうと言われると、そこまで乗り気にはなれなかった。

青い顔をしたこどもと、少し緊張した大人の二人組は、青い顔をした二人組になって帰宅した。白鸞の言うその俯いた者を、元化は視界にとらえる事ができなかった。それから二人は身を寄せ合って、シロもそれに付き合って、紫鸞か朱和が帰ってくるのを待った。その夜、先に帰ってきたのは朱和で、リビングで縮こまる二人と一匹に、何事かと目を丸くした。事情を説明して、元化が件の場所のおおまかな住所を伝えると、朱和は顔色も変えずに

「交通事故が多いところですね」

と告げる。

「へぇ〜…」

元化は、それしか言えなかった。

程なくして紫鸞が帰宅し、三人から話を聞くと、紫鸞の顔色は少し悪くなった。よかった、こちら側だったかと元化が少しホッとすると、紫鸞はどこかへ電話をかけた。

「張角…を覚えているか?彼は今、お寺でお坊さんをやっている。明日、一緒に見に行ってくれるそうだ」

その張角さんとやらの事を、元化は知らなかったが、白鸞には心当たりがあったようだった。その夜、元化は、白鸞の部屋に泊めてもらった。非科学的な事を信じないことと、未知のものへ感じる恐怖は別物だった。

翌日の朝早く、紫鸞は白鸞と元化を伴って、張角のいる寺を訪れた。朱和は仕事があったので、写真を撮ってきてと何度も何度も紫鸞と白鸞に頼み込んで、三人と一匹を見送った。紫鸞と白鸞は顔を見合わせていたが、しぶしぶ頷いていた。きっと撮りたくないのだと思う。元化もそうだった。

寺に着くと、住職らしき人物が、ラフな格好で待っていた。紫鸞が白鸞を紹介すると、膝をついて挨拶をしていたので、元化は少し驚いた。どういう関係なのかと聞くと、白鸞は曖昧に笑い、張角は恩人ですとこたえた。

「白鸞殿は、いろんな人を助けてきたんですね」

特に含みもなくそう口から出ていった言葉に、白鸞は少し目を丸くした。そういえば白鸞は、誰も助けられない自分を責めていたのだと気づいたが、ちょうど張角が出立を促したので、まあいいか、と歩き出した。少し歩いて、例の場所に到着すると、白鸞は紫鸞のシャツの裾を掴んで離さなかった。紫鸞は、その白鸞の腕を強く掴んでいる。きっと紫鸞にも見えているのだろう。あの二人は、昔もとにかく目が良かったのだ。張角はそんな二人の様子を見ながら、影が立っているのだろう場所に献花して、念仏のようなものを唱えた。供養をしているのだろうなと思い、白鸞にもそう説明した。張角が線香を供え終わると、白鸞と紫鸞は少しの間緊張を強くしてその場所を凝視していたが、次第にその緊張は解けていった。心なしか、シロも機嫌が良さそうに見える。動物というのは霊的なものにも敏感だと言うから、スッキリしたのかもしれない。この後用事があるという張角とはそこで別れ、帰りがけに、紫鸞はスマートフォンで一枚だけ写真を撮った。カメラを構える時も、写真を撮る時も薄目のままで、撮った写真を確認する事もなかった。あの様子だと、多分ぶれているだろうなと元化は思ったが、撮り直した方がいいですよとは言えなかった。紫鸞が写真を撮っている間中、白鸞が、後ろから紫鸞の足にしがみついていたからだ。元化も予定があったので、その日はそこで解散になった。後から聞いたところによると、写真はやはりぶれていて、朱和は盛大に笑ったらしい。豪胆な女性だ。たしか、里では最強だったのだと聞いた事がある。元化は、納得した。


白鸞が、ホットケーキのみならずオムレツを綺麗に焼けるようになり、元化はスクランブルエッグに長らく苦戦している頃のことだった。季節は進んで、春がもうすぐ終わろうとしていた。白鸞は暑さ寒さを思い出したようだったが、傷跡を気にしてか、いつも長袖のシャツを着ていた。食欲が戻り、だいぶ血色も良くなった。その頬は、こどもにあるべき丸さを取り戻しつつある。

その日、元化と白鸞は恋愛もののドラマを見ていた。ありきたりなストーリーではあったが、白鸞はいつものようにじっと画面から目を逸さなかった。

「元化」

中盤で、白鸞が口を開いた。なんですかと元化が促すと、白鸞はひどく思い詰めた顔で元化を見る。

「私にもできる仕事は、あるだろうか」

予想外の質問をぶつけられて、元化は一瞬、呆けてしまった。

「どうしてですか?」

とりあえず詳細を聞こうとそう尋ねると、白鸞は徐々に顔色を悪くしていく。

「どうして気づかなかったんだ私は…朱和と紫鸞は、新婚というやつなのではないか?」

「は、え?」

「何ということだ…そんな二人の家に居座るなど。元化、私はどこか別の家に住まなければならない。完全に邪魔をしている」

静かに捲し立て始めた白鸞を見て、元化は、そういえば彼は昔から、思い込んだら一直線みたいなところがあったなあと思い出した。

「白鸞殿」

とりあえず落ち着かせなければと声をかけると、白鸞はすがるように元化を見る。

「今、自分が何歳なのか、わかっていますか?」

「十…五、六か?」

「いいえ、十一です」

「!?」

「今は、色々なことに決まりがあるというのは前にも言いましたよね。十一では、まだ働くことはできません。もし今の白鸞殿を雇ったら、その雇い主が逮捕されるんです」

白鸞は自分のことをそのくらいだと思っていたのか、と元化は驚き、その視線の先では白鸞が、自分はまだそのくらいだったのかと驚いていた。

「それに」

元化は、続けて口を開く。

「紫鸞どのと朱和さんは、別に男女の仲じゃありませんよ」

その言葉は、どうやら白鸞にとどめを刺してしまったようで、白鸞は目を見開いて動かなくなってしまった。白鸞はきっと、好きなアイドル同士が結婚したら喜ぶタイプなんだろうな、と元化は思った。

「白鸞殿を養子に迎えるにあたって、万が一どちらかに何かがあっても、面倒なことにならないようにってことだと思いますけど…。それに、両親が揃っていた方が世間からの目も柔らかいのは事実です。色々な手続きも簡単になりますしね」

白鸞は呆然としたまま、徐々に俯いていった。それから蚊の鳴くような声で、

「すまない、今日は少し…調子が悪いので、ここまででいいか…」

と搾り出した。白鸞がそんな事を言うのは初めてで、元化は少し心配したが、やり取りと思い出すと、きっと一人で心の整理をしたい事がたくさんあるのだろうなと思った。

「もちろん。俺は誰かが帰ってくるまでここにいますから、何かあったら声をかけてください」

元化がそう言うと、白鸞はとぼとぼと部屋へ入って行った。シロはいつものようにそれについて行って、それから静かに、ドアを閉じる音が聞こえた。元化は、かつて太平の要と呼ばれ、今では一般人に紛れて暮らしている者たちの事を、とても興味深いと思っている。見ていて本当に飽きない。記憶の中には二人しか居なかったが、今は三人と知り合っている。三者三様に思い込みが強くて、三者三様に自分以外の事ばかり考えている。あまり他では見ないその関係を間近で見る事ができるのが、幸運だと思った。元化はスマートフォンを取り出して、紫鸞と朱和とのグループチャット画面を開いた。

『すみません、今夜は少し、白鸞殿が大変かも』

二人がメッセージを確認するのは休憩時間だけなので、元化は続けて文字を入力する。

『白鸞殿、紫鸞殿と朱和さんが新婚だから邪魔したくないと言い出したので、お二人は別に男女の仲ではないって伝えたんですけど』

『そうしたら何やらショックを受けて、部屋に篭っちゃいました』

『あと』

『自分のことを16歳くらいだと思ってたみたいで、11だと教えたらショック受けてました』

送信した内容を読み返して、元化は少しだけ笑ってしまった。メッセージを送るだけ送って、元化はスマートフォンを机に置いた。再生しっぱなしだったドラマを止めて、テレビも消した。静かになった室内で、また少し、笑いが込み上げてきてしまった。白鸞にとっては真剣な一大事だから、絶対に本人の前では笑ってはいけない。それでも、昔の記憶や後悔、それから願いを強く抱える白鸞の、ショックの受け方が十一歳のこどもに相応しく感じられて、それがとてもかわいらしいと思った。

本でも読むかと鞄を取りに行って、ふと、大昔、紫鸞の観察報告を書いた事を思い出した。せっかくだから、白鸞の観察報告をまとめようと思いついた。元化は、本の代わりにノートパソコンを取り出すと、ソファに座って、それを開く。あの頃の書簡のように、どうせなら正式なフォーマットで作成しよう。そう思って、文書作成ソフトを立ち上げ、学会用書類のテンプレートを開いた。そうして、秘密のフォルダを作り、ファイル名に日付を入れて保存した。


白鸞殿観察報告


まずはこれまでの事を手早くまとめなければならない。こどもの成長はただでさえ早いのに、白鸞の生活はあれこれと忙しいのだから。その上、紫鸞と朱和まで絡んでくるのだ。

「太平の世ってすばらしいな」

元化は、自分の人生が持って生まれた記憶の続きだとは思っていなかった。影響が全くなかったとは言わないが、あくまで、メインは自分で、記憶はそのおまけのようなものだと思っている。それでも、素敵な三人と知り合えた事も、その三人の近くで役に立てる事もその記憶のおかげなのだから、細かいことはどうでもいいやと思うようになった。紫鸞は紫鸞で、白鸞は白鸞で、きっと朱和も朱和で、そして、元化だって元化なのだから。





〜おわり〜