上部の地図は佐賀市街の地図になります。しかし、ただの地図ではありません。
この地図はクリーク(水路)・河川だけで構成されており、道路は反映されていないのです。
実は、全長約2000kmにも及ぶクリークが佐賀平野に張り巡らされています。
佐賀に住んでいてクリークが多いイメージはありましたが、こんなにも多いとは私自身思っていませんでした。
そして私は約2年前、「さがクリークネット」という団体が行っていたカヤックに乗って佐賀市街のクリークを巡る活動に参加させていただきました。
水面からみる市街地は今まで見てきた街とは全く異なる街で、クリークの魅力を感じることができました。
しかし、佐賀ではクリークが活用されているイメージは少なく、ただ流れているだけの存在になっていると思います。
また、ゴミが放置されていたりとうまく整備されていないクリークもあります。
そこで私はこんな疑問を持つようになりました。
「そもそも何故、佐賀市街にはこんなにクリークがあるのか?」
「クリークの魅力を感じることができるスポットが探せばあるんじゃないか?」
そこで、そもそも何故こんなにも市街地にクリークが存在するのか、クリークの魅力を感じることができる場所がないか調べてみたところ、2つの場所を見つけることができました。
①石井樋(いしいび)の施設群
石井樋とは、佐賀市大和町にあり、約400年前に造られた現存する河川構造物として日本最古の取水施設です。
取水施設というのは、用水路などに水源から水を供給するための施設のことを指します。
建設当時、佐賀城下は干ばつが頻繁に起こっており、生活用水と農業用水の確保のために、「取水の神様」と呼ばれていた、成富兵庫茂安の指導の元、嘉瀬川と多布施川の分岐点にこの施設群(23の施設)が建てられました。
この施設が建てられたことで、佐賀城下に水が流れ、現在の佐賀市街地のクリークが存在します。
施設群の近くにある「さが水ものがたり館」では、ミニチュア模型を使った石井樋の施設群の仕組みの解説を聞くことができます。
「取水施設といっても、ただ川から分岐させるだけで水を導けるのでは?」
っと思っていましたが、水量が多すぎると氾濫したり、土砂が混じっていると生活用水や農業用水として使えなかったり、様々な問題があるようです。
今回は少しでも読んでいただくために石井樋について知っていただくために、石井樋の施設群の中の「大井手堰・象の鼻・天狗の鼻」の役割を簡単なイラストにして見ました!
簡単に説明すると
1、嘉瀬川(上流)から流れてきた水を大井手堰でせき止める。
2、象の鼻と天狗の鼻があることで、せき止められた水は下流のほうへ導かれる。
3、一旦、水をせき止めた後に流れに導くため、土砂が沈んでいき綺麗な水になる。
4、流れも緩やかで綺麗な水が佐賀城下(下流)へ流れていく。
という流れになります。
あくまで施設群の一部の役割を解説したものなので、水を導くためには様々な工夫を行う必要があり、とても難しいことということが少しでも伝わったでしょうか?
現代ではコンクリートで埋め立てを行ったり、機会を用いて正確につくることができますが、石を使用してこんな施設をつくる先人の素晴らしい知恵・技術も感じることができる、そのような施設群でした。
②多布施川湖畔公園
多布施川湖畔公園は石井樋の施設群の近くにある公園で、「身近な水辺で自然とのふれあい」をテーマに様々な生き物が生息するために空間整備が行われており、公園にはアリアケギハチ、オヤニラミ、ヤマノカミ、アオハダトンボといった希少種の魚やトンボが生息しています。
実際に私も足を運びましたが、公園では水と緑で溢れており、散歩に最高でした!また緑一面の広場もあり、ピクニックにも適した公園だと思います。夏にはこの公園から多布施川をカヌーで下るイベントなども行っているそうです。
まとめ
今回は佐賀のクリークの原点・クリークの魅力が伝わるスポットを調査し、紹介させていただきました。
佐賀市街地に張り巡らされているクリークは今はあまり活用されていませんが、先人の知恵・技術そして努力によってもたらされたものだと知ることができました。
また、クリークが佐賀の自然や水辺の生き物たちの生態系を守っていることも今回の調査で気づくことができました。
今回挙げさせていただいた施設群や公園のように、私たちが意識していないだけでクリークの魅力は様々なところに眠っていると私は考えています。
これからは街中のクリークにも少し目を向けてみませんか?何か新しい魅力を発見することができるかもしれません。
記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!
池田圭太(いけだけいた)
福岡生まれ福岡育ち。
好きな食べ物は餃子としゃぶしゃぶです。
バスケットボールが大好きで、小学5年から今も続けています!