2024ブログ

縁日のような売店
2024/6/25
 開催まであと数日。梅雨入りしたとあって、天気の予報は毎日クルクル変わります。降るかどうかを心配しても仕方ないので、あとはてるてる坊主に頼ることに。
 さて「ムジカーザでガムラン」会場2階には、お祭り空間によく似合う、楽しい売店が登場します。
 その①は、バリガムランのワークショップなどで大活躍の飯田茂樹さんらjibecaの皆さんによる、鳥笛やらよくわからない物たち(笑)の屋台。前公演時、お腹を押すとガーッと鳴く鶏のおもちゃを、どうしても鳴らしたくて、本番中にこっそりトイレに駆け込んで鳴らした小さいお友だち2人が、可愛すぎて忘れられません。
 その②は、インドネシア雑貨屋台・ぶんぶん堂さん。埼玉県小川町を拠点に、全国のイベントやお祭りにも出没。各地に熱いファンのいる人気屋台です。こどものお小遣いでも買えそうな髪飾りや小物がある一方で、大人が見惚れるバティック布まで。なんとなく品揃えが、うちの公演っぽい感じなのです。
 どちらの売店も、今回のラインナップはまだわかりませんが、きっと楽しいものになるはず。ご期待ください。
 なお、開場時間はチラシ通り、開演の30分前です。ムジカーザの手前は急な坂で、しかも入口前はただの道路 お待ちいただくスペースもなく、開場時間前に売店を冷やかすこともできないため、坂をのぼる前にいま一度、どうか時計をご確認くださいませ。

ジャワ歌曲のコーナー

2024/6/20
 舞踊の次に、ジャワの歌曲を2曲演奏します。短い曲ですが、どちらもこれまでの「ムジカーザでガムラン」にはなかったタイプのもので、国内のガムラン演奏会でもなかなか出ない曲。もっとも、初めて聞くとどれも同じに聞こえるかもしれません。

 1曲目は「ポチュン・クトプラアン~ルジャッ・ジュルッ(Pocung Kethoprakan~Rujak Jeruk)」の組曲。それぞれ大衆演劇クトプラの劇中歌として演奏されるもので、2つをセットにして演奏することも珍しくないそうです。

 ちなみにクトプラは王朝物や悲恋物などを題材にした大衆演劇で、影絵芝居ワヤンの物語(ラーマーヤナやマハーバーラタ)を俳優が演じるワヤン・オラン劇(オラン=人)とは別の、日本でいえば歌舞伎や新派劇に似た親しみやすさがある芝居です。

 ポチュンは舞台にいる王様が家臣たちに、「どうなのだ、近頃の国の様子は。わかりやすく報告せよ」と問う、そのセリフを詞にした歌。続けて家臣たちの答えも詞になっているのですが、今回は割愛して曲はルジャッ・ジュルッに移ります。

 ルジャッはクトプラの劇中、偉い人たちがいなくなり緊張が解けた王宮の下っ端たちが気分転換に歌う曲。曲名「Rujak Jeruk」を直訳すれば熱帯フルーツサラダですが、それが何を指すのかはよくわかりません。

 「あんた最近来ないわね。わたしのこと忘れたんじゃないの。あんたの子、ぐずってるわよ。いつまでもキレイな女に夢中になってるんじゃないわよ」なんてフレーズもあり、ポチュンの仰々しさから転じていきなり俗っぽくなるところがおもしろい。
 ポチュンとの区切れがよくわからないと思いますが、「ルジャルジャルジャ」という言葉が聞こえてきたら、ああ曲が変わったなと思ってください。宏実さん、有里さんの歌声に、他のメンバーの掛け声が入る、和気あいあいとした曲です。

 もう1曲の「ウユン(Wuyung)」は、直訳すれば「悲愁」とか「おろおろ」という感じか。恋に落ちて悩み苦しむ切ない男心を歌った曲で、その詞は以下のよう。

 「恋に落ちると食欲なく、落ち着かず、もやもやする。会いたくても会えない。それが切ない。病の中でいちばん辛いのは恋の病」

 もう、切なさを通り越して弱々しさ満点です。これをスミヤントさん、ローフィットさん、ナナンさんら男性陣が切々と歌います(たぶん)。

 どちらも、クトプラ劇を離れて、演奏会や影絵芝居ワヤンの夜中のお楽しみコーナーなどでもよく歌われる曲。めくるめくジャワ歌曲の世界をお楽しみください。

 写真は2014年、東京・馬喰町のカフェで5人が最初に公演をしたときのもの。当時、まさかこの催しが長く続くとは、誰も思っていませんでした。10年、早いですね。

舞踊ゴレッ・ムギラハユ

2024/6/14

 「ムジカーザでガムラン」の最初の出しものは、ジャワの古典舞踊。ガムランのゆったりとした調べを聞き、流れるような優雅な舞踊を眺め、日常の憂さをしばし忘れください。眠気がさしたら目を閉じて、と言いたいところですが……。

 古典舞踊はこのところ東京の根津亜矢子さんと大阪の西岡美緒さんが2人で踊ることが多かったのですが、今年は亜矢子さん1人で踊ります。美緒さんはジョグジャカルタで、亜矢子さんはスラカルタ(ソロ)でジャワ舞踊を学んできました。

 ちなみにジョグジャカルタとスラカルタは、かつて別々の時代ではありますが、この地域の都が置かれた町。60キロほどしか離れていないので、日本でいえば京都と奈良のような関係です。現在も両都市にはそれぞれスルタンと呼ばれる王の住まいである王宮があり、16世紀のオランダ植民地時代から現在まで、ジャワの文化や古典芸能の中心地として、競い合うようにその内容を磨き続けてきました。ジャワ舞踊にもジョグジャカルタ様式とスラカルタ様式の2種があります。
 ジャワ舞踊は「風にそよぐ葦のよう、流れる水のよう」と一般にたとえられるのですが、ジョグジャカルタのほうがマスキュリンで細部まできっちりと踊りこむのに対し、スラカルタのほう方はよりフェミニンで滑らかな動きです。さらに、より自由度が高く、新しい舞踊も盛んに作られてきました。 

 さて亜矢子さんが踊る「ゴレッ・ムギラハユ」は、フェミニンで滑らかな動きのスラカルタ様式の舞踊です。踊り手本人と、スラカルタ様式の舞踊に詳しい冨岡三智さん(関西在住の舞踊家・研究者)から、この踊りの成立経緯や見どころを教えてもらったので、簡単にまとめておきます。

 「ゴレッ・ムギラハユ」という舞踊が創作されたのは1984年のこと。スラカルタの宮廷舞踊家として名声を博したS・マリディ(1932~2005)の作品で、後に舞踊コンテストなどで盛んに演じられていることからわかるように、短時間で変化に富んだ舞踊を見せることができる演目として作られたものです。現在踊られている「ゴレッ」の多くは大人になりかかった少女を象徴する舞踊であり、この演目にも女性が身を装う様、つまり化粧をしたり、身だしなみを整えるようなしぐさが取り入れられています。

 「ムギラハユ」は直訳すれば「無事でありますように」という意味。といって、その祈りが所作などに込められているわけでなく、舞踊の伴奏に使われている曲の名称をそのまま付けたに過ぎません。この作品を踊る女性たちの姿を魅力的なものにするために、「ムギラハユ」という軽やかで踊りの伴奏にふさわしい曲が選ばれ、作品の題名にもなったというわけです。

 ジャワの古典舞踊の中には、歴史的な物語に題材をとったり、何か抽象的な意味合いをもったものが少なくないのですが、「ゴレッ・ムギラハユ」は、純粋に、舞踊としての華やかさや優雅さを見て味わうための演目です。子どもが踊っても様になり、大人の女性が踊っても決して子どもっぽく見えない、絶妙な振り付けがなされた舞踊。とても愛されている作品で、「Tari Golek Mugi Rahayu」でYouTubeを検索すると、この作品を踊る少女や女性たちの映像がいくつも出てきます。
 写真は2017年のムジカーザで宮廷舞踊を踊る亜矢子さんを2階席から見たもの。客席と踊り手との間合いが近いこと。

ワヤン・カンチル(2) 創始者ルジャール氏

2024/6/7

 動物人形芝居ワヤン・カンチルがジャワで日の目を見たのは1980年代のこと。伝統的な影絵芝居ワヤンの人形作家として、またダラン(人形師)として活動していたジョグジャカルタのルジャール氏が創出したもの。

 やんちゃで賢いジャワマメジカのカンチルを主人公にした民話や説話はそれ以前からあり、日本でもその物語のいくつかが童話や絵本になっています。森の中でトラやワニに出くわし、命からがらその場を切り抜ける物語。興味のある方は『まめじかカンチルの冒険』(再話/松井由紀子、安井寿磨子/絵、福音館書店)、『悲しい魔女 インドネシアの物語』(松本亮/著、筑摩書房)などを探して読んでみてください。また、古くは影絵芝居ワヤンとして演じられていたもといわれていますが、詳しいことはわかりません。

 さて、ルジャール氏は、単にカンチルの物語を人形劇として復活させたわけではありません。彼は、子どもたちの興味が神話をもとにした伝統的なワヤンから離れていったこの時代に、動物を主人公にしたワヤンを見せることで、物語を通して考える力や社会を生き抜く知恵を授けようとしたのです。

 ちなみに、それまで民話や説話で語られてきたカンチルは、どちらかといえばずる賢さが目立ち、自分が生き残るためにワニやトラをやっつけてしまう。そんなキャラクターでした。インドネシアは他国の植民地になっていたり、占領されていた時代が長く、不安定で弱かった庶民の立場を背景に、そんな物語が語り継がれてきたのかもしれません。

 1980年代に、そうしたことが解決していたとはいえませんが、いくらか平穏を取り戻した時代になり、ルジャール氏は「意見や考え方が違っても、ともに生きること」「誰もが生きていける環境を守ること」の大切さを、カンチルの物語にのせて伝えようとしていたのです。そのためにカンチルの物言いや考え方を見直し、物語を組み立て直します。ルジャール氏が取り組んだカンチル劇の中では、ワニやトラのような獰猛な敵との対立はあるものの、機転を利かせ知恵をはたらかせることで、最終的には和解し、森の中で仲良く暮らすのです。

 子どもたちの顔や目を見ながらじかに語りかけるために、影絵芝居に付き物のスクリーンを取り去って上演したのも、ルジャール氏のアイデアだったといいます。

 当時、カンチル劇を見た伝統的な影絵芝居の関係者たちは、一様に冷たい視線を送っていたようですが、子どもは大喜び。その様子を見て感銘を受けた何人かの人々が教育目的で上演するようになり、カンチル劇は少しずつ広まっていきます。ルジャール氏の家に孫であるナナンさんが生まれたのはちょうどそのころ。祖父がカンチル劇を上演するのを見て強く心を惹かれ、幼くしてダランを志します。

 ルジャール氏は伝統的なワヤンを広めることにも積極的で、招かれれば遠くヨーロッパにまで出掛け、その土地に合った新しいワヤンを創作してきました。ナナンさんは、祖父が2017年に他界するまで、アシスタントの立場でそうした旅にも随行しています。

 気さくで人を分け隔てしないルジャール氏は、誰にでもワヤンの魅力、カンチル劇の面白さを語り、これはと思う人物には上演を勧めていました。内外の活動が認められた晩年、ジョグジャカルタの名士の一人になったルジャール氏を訪ねてくる人は多く、出版、教育、デザインの関係者との交遊も盛んだったと聞きます。

 ルジャール氏が2017年に他界した今、カンチル劇がどれほど上演されているのかはわかりません。そんな時代に、ローフィットさん、ナナンさんという、生前の老ダランの人柄に触れた2人の演じ手がいるというのは、ある意味で貴重です。遠く離れた日本で、2人がそれぞれ工夫しながらカンチル劇を演じ、それを大人や子どもたちが楽しそうに眺めている様子を、天国でにこにこしながら見ているような気がします。 (photo:Nanang Ananto Wicaksono)

ワヤン・カンチル(1)

 2024/5/31

 今回、もう一つの目玉は動物人形芝居の「ワヤン・カンチル」です。

 ジャワに行ったとしてもめったに見ることができないもので、長くジャワに住んでいる人でも、見たことがない人は大勢います。豆鹿カンチルに難題がふりかかり、それを自力で解決する物語。20分ほどの短いものですが、どうぞお見逃しなく。

 今回、ローフィットさんと佐々木宏実さんによるハナジョスの2人が「豆鹿カンチルとクジャク」(28日、29日昼の部)、ナナンさんと西田有里さんによるマギカマメジカの2人が「豆鹿カンチルの鬼退治」(29日夜の部)を上演します。

 カンチル劇をムジカーザで上演するのは2度目。2019年公演でローフィットさんと佐々木宏実さんによるハナジョスが「トラとやんちゃな鹿」を演じています。会場がムジカーザになる前の2015年にも2人は「ワニとやんちゃな鹿」の物語を演じました。子ども向きの劇なのですが、じつは大人のほうが大喜びしていた印象があります。

 ハナジョスの2人がカンチル劇の火付け役のように思うかもしれませんが、彼らがカンチル劇を手掛けるようになったのはまさに偶然でした。

 日本で活動していた2010年、夫婦でジャワを旅行した際に、留学中だった西田有里さんや西岡美緒さん(ムジカーザではおなじみの舞踊家)らとともに、ナナンさんの家を訪ねたときのこと。家にはワヤン・カンチルの創始者であり、影絵芝居ワヤン・クリの人形作家、さらにはダラン(人形師)でもあるルジャール氏がいて、その話に聞き入るうちに、突然「君もやってみなさい」と老ダランはローフィットさんにカンチルの人形を授けたそうです。

 2人にとってはまさかの展開でした。ちょっとくらい演劇にかかわっていたとしても、能楽師や能面師に能面をもらったなんて話は聞いたことがありません。驚き困惑しながら、老ダランの好意にこたえるため、帰国後しばらくして作ったのが「ワニとやんちゃな鹿」でした。ダランが立ち上がって動き回ったりする演出は、本来のカンチル劇にはないものなので、作品を魅力的なものにするために恐らくは2人で工夫したのでしょう。児童演劇関係者のアドバイスもあったのかもしれません。ローフィットさんのユニークな動物の鳴き声、宏実さん奏でるガムランや歌との掛け合いも見どころです。

 一方のナナンさんは、老ダランの家に育ったこともあり、幼少時から人形に触れ、カンチル劇を間近で見てきました。彼の祖父がルジャール氏です。昨年、筑摩書房から出た『大阪の生活史』(岸政彦編)は大阪に暮らすさまざまな人々のインタビュー集なのですが、その中でナナンさんが大阪在住の外国人として登場し、幼い頃のジャワでの思い出を振り返っています。そこでは祖父が作った人形と一緒に寝ていたこと、4歳のころから人形師として舞台に立っていたこと、祖父や祖父の仲間がカンチル劇を上演する場に幼いころから立ち会っていたことなどが語られています。私はまだナナンさんのカンチル劇を見たことはないのですが、きっとルジャール氏の演じ方や考え方を生かした物語の運び方や、正統的な演出を見せてくれるのでしょう。

 そうそう、コロナ禍の2020年、彼が「トラの歩かせ方」を解説している映像がYouTubeにアップされています。これがじつに巧みで、いきいきとしている。興味ある方は「Tutorial Kiprahan Macan dalam Wayang Kancil」で探してみてください。

 https://www.youtube.com/watch?v=Vc_xxGenQsQ&t=72s

 ちなみにジャワマメジカとも呼ばれるカンチルは、ジョグジャカルタなどの動物園でも実際に飼育されている動物なので、機会があれば見に行ってみてください。てのひらに乗りそうな、小さくて華奢なシカです。

 項目を改めて、ルジャール氏がカンチル劇を始めた時代のことにも、わかっていることをまとめておきたいと思います。なお、ルジャール氏の家の様子は西田有里さんのブログ「ジョグジャカルタ思い出し日記」に詳しく紹介されています。
 https://note.com/toutousha/n/n56898ed3fefa

 (つづく)

5月23日 スマルという人物(2)

2024/5/24

  ジャワでは「ポノカワン」と呼ばれる道化一家の父であり、その筋では有名なアルジュノやビモといったパンダワ家の武将(日本でいえば義経と弁慶みたいな存在か)たちに敬愛されているスマルは、もともとは神の子です。

 天界に住む神サン・ヤン・トゥンガルの子で、向こうの世界では美しい姿形をしていたのですが、地上に降りて神の子孫である人間を守護するよう父に命じられ、似ても似つかないみすぼらしい姿に変えられて地上世界に降ろされた。

 そのおかげでスマルの姿形は、どちらかといえば怪異的。大きな尻、垂れ下がったヘソをもち、いつも鼻汁を垂らしています。

 スマルには弟がいて、その名をブトロ・グルといいます。インド神話におけるシヴァ神のジャワでの姿なのですが、こちらは理知的な姿をしており、宇宙支配の神としてワヤンの物語にもしばしば登場します。強い権限をもち、その言葉は絶対的ですが、早とちりをしたり、許されざる場所で情欲にふけって子をなすなど(その過ちによって生まれた子が人食い鬼のコロです)、宇宙支配の神とは思えないような愚かな行動も目立ち、ときに下界の人間たちを混乱に陥れます。ジャワには早い時期にイスラームの教えが伝わっていたこともあり、伝道者たちはヒンドゥーの神を貶めることで教えを伝えようと考えたのかもしれません。

 影絵芝居ワヤンでよく上演されるラーマーヤナやマハーバーラタは、最後は敵味方が争う大戦争になり、大切な人たちが無残に死んでいく物語です。ブトロ・グルは宇宙支配の神という立場で世の中をその大戦争へと導き、武将たちの戦いぶりを見下ろしながら「見事なものよ!」と喝采します。そんな軽はずみな神様でもあるのです。

 ふだんは大人しいスマルですが、弟グルのそんな態度を見ると黙っていられません。戦争になれば、兵士ばかりではなく民衆も巻き込まれてしまう。彼は人々が苦しむ姿を見るのが嫌なのです。温厚なスマルがひとたび怒れば、いかなる王や神も頭が上がりません。ときに巨大化することもあれば、小悪党を追っ払うために強烈な匂いの屁をぶちかますこともある。宇宙支配の神ブトロ・グルの兄なのですから、それくらいのパワーは隠し持っているのです。

 スマルがそこまで怒りを表すような物語は決して多くはないのですが、そんな側面がある人物だからこそ、ジャワの人々は彼のことが大好きなのです。今回の「スマル大いに怒る」の物語を通して、影絵芝居ワヤンの重要な登場人物の一人であるスマルの、そうした魅力の一端が伝わるといいのですが。

 ちなみに、前回上演した「ウィジャヤクスマの花の行方」の主人公ペトルは、このスマルの子です。道化一家の親子は、なんの力もないような雰囲気を漂わせながら、ときに大活躍することもあるのです。

5月17日 スマルという人物(1)

2024/5/17 
 影絵そのものが好きだという方は別ですが、私らのような凡人がジャワの影絵芝居ワヤンを少しでも楽しむためには、登場するキャラクターの名や性格を知ることが不可欠です。ところが、ワヤンの登場人物はやたらと多い。物語によく出てくる人物から覚えていくしかありません。
 ワヤンの舞台、というかスクリーンに映される機会がとびきり多いのが、今回ムジカーザで上演する「スマル大いに怒る」の主人公スマルです。

 スマルとその息子たちは、ワヤンのどんな物語にも必ず登場します。役回りは、正義や善の側に立つ武将の従者。滑稽を売りものにして愛すべき主人たちを笑わせ、勇気づけ、より良い行いをするように助言をするのが務めです。

 道化一家が登場するのは、夜中過ぎのお楽しみコーナーの時間。まずはスマルの息子たち(名前はガレン、ペトル、バゴン)が現れ、歌ったり冗談を言って観客を楽しませ、それが一段落したところにスマルが登場。これから戦いの場に臨む、あるいは冒険の旅に出る若い武将に助言を与え、お楽しみの時間からもう一度物語世界に引き戻すという段取りです(この後に、2022年公演でナナンさんが上演した「チャキルと若武者の戦い」の場面が続きます)。
 スマルは戦いや冒険にはほとんど役立たない、口を動かすだけの道化一家の父親ですが、それはそれで重要な存在です。怒らず騒がず、静かに若い武将たちに語り掛けるスマルは、ジャワの人々にとっての理想や願い、希望を背負ったキャラクターなのです。「神も人も間違いを犯すが、それを正していくのも人間だ」というのがジャワの人々の根底にある考え方。一歩引いたところで、そのかじ取りをするのがスマルだということなのでしょう。

 ジャワのワヤンの物語は、インドで生まれた叙事詩マハーバーラタやラーマーヤナをもとにしたものが多く、名だたる武将や超能力をもった神々が次々に現れます。それぞれ人気がありますが、スマルの人気はそれを上回っているかもしれません。
 ちなみにインドのマハーバーラタやラーマーヤナには、スマルのようなキャラクターはありません。ですから、スマルがワヤンの物語の中で主人公になることはさすがにほとんどないのですが、ごく稀に、そういう物語が作られることがあります。その中の一つを、今回はご覧に入れたいと思います。スマルが主人公になり、怒り出す珍しい物語。物語をシンプルにするために、スマルには村人が頼りにしている長老になってもらいました。そして、大人しいスマルを怒らせるのは、超能力をもつ神とその一味のバケモノたちです。

 話は変わりますが、現在放送中の大河ドラマ「光る君へ」の中にもスマルが出てきています。陰陽師安倍清明(ユースケ・サンタマリア)の従者、須麻流(DAIKI)がそう。こちらの須麻流が平安物語の中でどんな役回りを果たしていくのか、出演メンバーも気になっているようです。(つづく)