2019年ブログ

2019630日(日)

夜の部の終演まで残れなかった岩本象一さんも、無事に新宿バスタ発21:45の夜行バスに乗ることができ、翌朝、岡山に帰り着いたそうです。「ゴングの影にいる岩本さんの幻影に拍手を、と偲んでおいたから」とメールで伝えたら爆笑していました。28日、最後に見た象さんの楽屋での様子と、合宿した宿での様子。

2019年6月29日(土)

まさかこの時期に台風まで来るとは思わなかったので驚きましたが、心配だった台風や雨も、うまく搬出入時間と入退場時間を外してくれて、蒸し暑さを除けばほとんど影響を受けませんでした。入口に吊るしたテルちゃんの効き目でしょうか。

ムジカーザにお越しになった皆様、どうもありがとうございます。2日間で3公演、無事に終了。出演メンバーはまだまだいけそうでしたが、私がくたびれました(笑)。次にいつ開催できるのかわかりませんが、気長に告知をお待ちください。

2019年6月23日(日)

6月27日(木)夜の「ムジカーザコンサート ガムラン」で披露する古典舞踊は、西岡美緒さんが1人で舞う「スカル・プディヤストゥティ(Sekar Pudyastuti)」です。「スカル」は「花」、「プディヤストゥティ」は「賛美」。1975年にジョグジャカルタ在住の振付の大家K.R.Tサスミントディプロが考案したもので、今では王宮舞踊の一つに数えられています。「人生に祝福あれ、穏やかで幸福であれ」と唄う名曲「ムギ・ラハユ」に踊りを合わせたジョグジャカルタ様式の舞踊で、曲調も軽やかならば、所作もコケティッシュ。結婚式などのセレモニーの開会の踊りとして5分バージョンのものがよく披露されますが、今回はそれをご覧いただきます。

ちなみに振付をしたサスミントディプロ(通称ロミ・サス)は、ジョグジャカルタ様式の舞踊のほぼ全てを考案し体系づけた王宮舞踊の大家で、28日の舞踊「ゴレ・アユンアユン」を考案したのもこの方。設立したサスミント・マルドウォ舞踊団(通称プジョクスマン)のスタジオは、古典舞踊を後世に残すための教育施設にもなっていて、子どもから大人まで大勢の人々が毎日のように舞踊の稽古をしています。美緒さんもそんな中に混じって、ジョグジャカルタの舞踊を学んだのです。

2019年6月22日(土)

6月27日(木)夜の「ムジカーザコンサート ガムラン」で上演する影絵芝居ワヤン・クリの出し物は「無法者チャキルと若武者の戦い」。俗に「プラン・チャキル(チャキルの戦い)」と呼ばれる立ち回り中心の場面です。この場面専用の曲を使うのですが(曲名をちゃんとは知りません)、緩急もあり、まさに芝居音楽そのもの。リズミカルな楽曲に乗せて、水牛の革でできた人形が、意外なまでの機敏さで動きまわる様を楽しんでください。

セリフは現地と同じジャワ語で入れるかもしれません。森に立ち入った若武者にチャキルが難癖をつけ、戦いになる――ただそれだけのこと。物語も何もないので、ワヤンにおける立ち合いの様を、ぼーっとご覧ください。

ちなみにジャワの影絵芝居ワヤンは、夜21時くらいに始まり、6~7時間ぶっ通しで演じられ、終演は明け方の4時くらい。演目は数百あるので筋の運びに違いはありますが、王宮の謁見所の場に始まり、出陣の場、派手な合戦の場、「ゴロゴロ」と呼ばれるお遊びの場などを経て、夜中の2時くらいに主人公(たいていは若武者)が定まるというのが定番の流れ。若武者は必ず深い森に分け入り、そこで無法者チャキルと出くわします。「プラン・チャキル」は、若者が試練にあい、それに打ち勝って成人するという「イニシエーション(通過儀礼)」を象徴する場でもあり、誕生や結婚式など晴れの日を祝うために上演するワヤンには欠かせない、じつは大事な場面でもあるのです。

本来ならば「プラン・チャキル」の後にも物語はまだまだ続くのですが、この日は無法者が倒されたところで幕。ダランはローフィットさんです。なお「プラン・チャキル」は、パーティーの余興などに舞踊劇として演じられることもあり、この時のチャキル役はほぼ道化そのもの。若武者にきりきりまいさせられる様に笑いが起こります。まあ、日本でそんな舞踊劇が上演されることは絶対にないでしょうね。

2019年6月12日(水)

6月28日(金)の公演の見どころの一つは、西岡美緒さんと根津亜矢子さんが2人で舞うジョグジャカルタの古典舞踊「ゴレ・アユンアユン(Golek Ayun-ayun)」です。

正式には「ゴレ・ナウン・アスモロ(Golek Nawung Asmara)=恋に落ちた様」と呼ばれ、恋に焦がされる若い女性の高揚感を表現した作品です。1970年の大阪万博・インドネシア政府館の催しのために、ジョグジャカルタ在住の振付の大家K.R.Tサスミントディプロが考案したもので、優雅にゆったり舞うジャワ舞踊の中では比較的軽やかな演目。「ゴレ」には「探し求める」という意味があり、人生の意味や真実の自分を探し求めながら成長する時期の女性を描いた舞踊、という裏テーマもあるようです。

ちなみに「ゴレ」は舞踊のジャンルを表わす言葉で、他にも「ゴレ・ランバンサリ」などの有名な演目があります。村々に伝わる民衆の踊りが王宮に取り入れられ、優雅で洗練された舞踊に発展したものが「ゴレ」だという説もあるのですが、どうなのでしょう。余談ですが、人形芝居で遣われる木偶人形(でくにんぎょう=木彫りの人形)も「ゴレ」と呼ばれます。ジャワには、そればかりを遣う木偶人形芝居(ワヤン・ゴレ)もあれば、影絵芝居の人形師(ダラン)の中には、上演の終わりに手元で木偶人形を舞わせ、物語に込められた真実を「探せ」というメッセージを伝える古風な演出をする方もいます。といって、舞踊のゴレがいわゆる「人形振り」になるわけではありません。ジャワ人は「掛け言葉」が好きなのです。

頭上に載せたピンクの羽は国鳥ガルーダを象ったもの。流れるような動きの中に、小気味よいアクセント(止め)があるのが「ゴレ」という舞踊の特徴。飛び跳ねたり見栄を切るような動きは一切ありませんが、わずかな動きの中の「らしさ」が見えます。

「ゴレ・アユンアユン」は決して古い作品ではありませんが、今やジョグジャカルタの代表的な舞踊演目のひとつになり、毎週日曜日に開かれるジョグジャカルタ王宮での舞踊鑑賞会(有料公演)はもちろん、結婚式やイベントの出し物として欠かせない演目になっています。というのも、背景に流れる「アユンアユン(=ゆらゆらの意)」がジョグジャカルタのソウルミュージックともいうべき誰もが知っている古典ナンバーで、それに踊りが付き、しかも軽い味わいの恋の踊りなのです。人気が出ても、ちってもおかしくありません。

西岡美緒さんは、この舞踊を振り付けたサスミントディプロ氏ゆかりのサスミント・マルドウォ舞踊団(通称プジョクスマン舞踊団)で古典舞踊の勉強をしてきた人。一方、根津亜矢子さんはジョグジャカルタ様式とは微妙に違う(まるで違うという人もあり)、ジャワのもう一つの古都に伝わるスラカルタ(ソロ)様式の舞踊を勉強してきたのですが、今回、思い切ってチャレンジします。

なお、6月27日(木)は、西岡美緒さんが一人で「スカル・プディヤストゥティ(Sekar Pudyastuti)」を踊ります。

ジョグジャカルタ王宮の舞踊鑑賞会にて。

201963日(月)

写真はドンキホーテの記念イベントではありません。

日曜日の昼、渋谷・東急文化村通りを駅前まで通行止めにして開かれた「SHIBUYAルネッサンス」で、微笑みながらジャワ舞踊を踊った根津亜矢子さん(手前)。6月28日(金)の「ムジカーザでガムラン」にも出演します。演目は「ゴレ・アユンアユン」。大阪の西岡美緒さんと2人で踊ります。ご主人のスミヤントさんもガムラン奏者として出演。演目解説はまた後日。

2019524日(金)

「お嬢様、ご結婚おめでとうございます」

「言わないで。あんな男に嫁ぐなら、ヘビやヤモリと結婚するほうがマシ」

「そのようなことを仰ってはなりません」

「意気地なし。そなたは父に忠義立てして出世なさればいいわ。私にはヤモリがお似合いよ」

たぶんそんな会話だったのだと思う。政略結婚で他国の王に嫁がされる王女、それを送り届けるよう命じられた若武者。城を離れた道中で交わされる2人の会話を聞いて、それまで静まり返っていた観客がドカーンと笑う。

1980年代後半のジョグジャカルタ郊外の村で、初めてワヤン(影絵芝居)を見た日の記憶だ。

ダラン(人形師)は長老の一人で、村の特設舞台の周囲には千人を超える観客が詰めかけていた。

まだジャワ語もインドネシア語もさっぱりわからない時期で、物語の筋を聞いてもチンプンカンプン。ひたすら王や重役たちの会話が続き、「ああ、ワヤンはこうなのか」と諦めかけていた矢先のこと。従順そうな王女が本音を口にし、それに狼狽する若武者。そして観客の笑い。

ジャワの影絵芝居が気になりはじめたのは、この瞬間からだ。

静かな場面の後は、笑いで緩ませる。派手な合戦場面あり、歌手たちが賑やかに声を聞かせるお遊びの時間あり、立ち回りを見せる場面あり。絞めたり緩めたりしながら、67時間の上演時間をたっぷり楽しませる。

このダランは三平師匠みたい。あの人が談志師匠なら、こちらは志ん朝師匠だ。現地でワヤンを見ながら、どこかで東京の寄席を思い出していた。

それと同じにはできませんが、その気配を聞きに、ぜひムジカーザにお越しください。

2019515日(水)

夜の部の観劇弁当(ファイアーキングカフェのアジアごはん、1080円)が人気で、残すところ1個だけになりました。もう早い者勝ちです。なお、チケットは昼の部も夜の部も、まだまだたくさん残っています。特に昼の部は絶妙な時間帯に終わるので、代々木上原や八幡の町でお食事などしてのんびりお帰りになれますよ。

201959日(木)

6月28日(金)「ムジカーザでガムラン2019」で上演する影絵芝居の演目は『鬼王アリムボの涙』に決定。人喰い鬼の一族に生まれた鬼娘アリムビは、獲物を探しに行った森の中で剛勇ビモに一目惚れする。妹に改心を迫るが効き目がないことを悟った兄アリムボは、一族の調和を乱したビモに果し合いを挑む――プリンゴダニの森の中で繰り広げられるジャワ版マハーバーラタの名場面を、ローフィットさんが苦心して約30分の短縮版にまとめてくれました。

じつはこの場面、2017年秋に歌舞伎座で上演された『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』にもあり、第二幕の中で坂東亀蔵の風韋摩王子(ビーマ)と中村梅枝の森鬼飛(シキンビ)による所作事(舞踊劇)として演じられました。歌舞伎をご覧になった方は、それとジャワ影絵芝居(ワヤン・クリ)との演出の違いを楽しめるかもしれません。

ちなみに、ビモ、アリムボ、アリムビは、それぞれジャワ版マハーバーラタの人物名。インドの原典ではそれぞれビーマ、シキンバ、シキンビです。30分の短縮版なので、本来この場面に出てくる大事な人物を登場させることができず、インドやジャワ版の物語の流れとも違うムジカーザ版に仕立ててはいますが、ジャワ影絵芝居ワヤンの魅力はたっぷり詰まっています。

前回の公演でも鬼を退治した主役ビモがさらに成長して、鬼娘の恋を受け入れる物語。以前に上演した『デウォ・ルチ』のビモは、妻や子もいる家族持ち。ローフィットさんは、ワヤンのキャラクターの中でどうにもビモが大好きなのです。ムジカーザ公演の、いわばトリをつとめる影絵芝居。どうぞお楽しみに!

なお、6月27日(木)の影絵芝居演目については、後日改めてお伝えします。

ブロトセノ(ビモ)とアリムビ。松本亮『ワヤン人形図鑑』(めこん社)より

201955日(日・祝)

5月5日5時は、ムジカーザがある上原駅前商店街恒例の「子供の日フェスティバル」。商店会のお父様・お姉様のお許しを得て「ムジカーザでガムラン」のチラシを配らせてもらう。前回(2017年)の公演を見に来てくださったのだろう、「また行くよ!」と声掛けてくれる人もいて張り合いがある。商店会の皆様方の協力もあって、アウエイなのにいやに心強い。ムジカーザなのに子連れもOKというのが地元の方々には意外だったようだが、どうぞ遠慮なくお子様連れて遊びに来てくださいね。ありがたいことに帰りにお菓子までいただきました。

201952日(木)

連休前半、スミヤント一家が大阪のハナジョス宅を訪ねて合宿。有里さん美緒さんも集まってムジカーザのための練習会を催してくれたらしい。東京でのリハーサルの時間は限られているものなあ。

迫力の宴会風景の写真も送られてきた。大人も子どもも楽しそう。当人たちは意識しなかったと思うが、恐らく時代をまたいで呑んだりバカ話したりしていたのだろう。今さらながら、せめて酒か焼酎の1本も送っておくんだったと反省。