インドネシアは赤道直下の熱帯の島国
インドネシアは、日本の南約5000キロにある国です(オーストラリアのちょっと北側です)。
ジャワ島を中心に、スマトラ島、カリマンタン島(ボルネオ島)、スラウェシ島(セレベス島)、イリアンジャヤ島(ニューギニア島)など大小合わせて13,000以上もの島々があり、そのほとんどが赤道を越えた南半球にあります。
首都はジャワ島にあるジャカルタ。江戸時代の日本では「ジャガタラ」と呼ばれ、それがジャガイモの語源にもなりました。
長くオランダの植民地だったこの地域がインドネシア共和国として独立したのは、第二次世界大戦後の1945年8月17日(独立宣言をした日)。
現在、総人口は2億7000万人余で、これは世界第4位の規模です。
国民の多くはイスラム教を信仰していますが、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教を信仰している人もいます。
国民1人当たりの総所得(GNI)は、2000年が570米ドルだったものが、2019年には4070米ドルに達し、このところ急激に経済力が高まっていることを示しています。
ちなみに現在、日本で暮らしているインドネシア人は12万人ほど。中国、ベトナム、韓国、フィリピン、ブラジル、ネパールに次いで7番目に多く、そのうち約4万人が技能実習生です。
「ジャワ」は中部ジャワ地方の略称
数々の島の中で最も人口が多いのは、首都ジャカルタのあるジャワ島。1億2000万人以上、つまりインドネシア国民の半数以上がこの島に暮らしています。
ジャワ島は、インドネシアの島々の中では決して大きいほうではありませんが、それでも東西約1200キロの細長い形をしていて、大きく西部、中部、東部に区分されています。また、それぞれの地域には、独特の文化があります。
西部ジャワは、バンドンを中心にした地域で「スンダ地方」とも呼ばれています。多くは山がちで、棚田の宝庫。国語であるインドネシア語は誰もが話すことができますが、日常的にはスンダ語が使われています。
ちなみに、首都ジャカルタも位置的にはこの地域に含まれますが、全国から人々が押し寄せる大都市として、スンダともジャワとも違う独特の文化が築かれています。
東部ジャワは、インドネシア第二の商業都市スラバヤを中心にした地域です。人々はインドネシア語のほかにジャワ語も話します。
リゾートアイランドとして有名なバリ島は、ジャワ島のすぐ東側にあり、東部ジャワのバニュワンギ港から目と鼻の先。ところがジャワとは文化も宗教も異なり、人々はバリ・ヒンドゥー教を信仰し、インドネシア語とバリ語を話します。村々の様子や暮らしぶりを見るとまったく別の文化圏のようですが、じつは奥深いところでジャワの歴史や文化とも密接な関係がある。言うまでもないことですが、インドネシアの島のひとつです。
そして中部ジャワは、古都ジョグジャカルタやスラカルタ(ソロ)を中心とした地域で、俗に「ジャワ」とか「ジャワの文化」という場合には、中部ジャワとその地域の文化をさすのがふつうです。
ムラピ山やスラメット山など標高3000メートル前後の名山がある山脈をはさんで、北海岸には良港スマラン、南にジョグジャカルタやスラカルタなど歴史的な町があり、その周辺にボロブドゥールやプランバナンなどの古代遺跡が点在します。南海岸は波荒いインド洋に面しています。人々の多くはイスラム教を信仰し、インドネシア語とジャワ語を話します。
近年は、古都ジョグジャカルタが国内旅行の人気スポットになっていて、8月や12月の旅行シーズンには国内の旅行客だけでホテルがほぼ満杯。古代遺跡や王宮、土産物店にも人々が詰め掛け、大いに賑わいます。夏休みや春休みの頃の京都の雰囲気に、ちょっと似ています。
ジョグジャカルタ市街地の風景。クルマやバイクは増えたが、ベチャ(自転車タクシー)やドッカル(馬車)など昔ながらの乗り物も現役で活躍。
パサール(市場)に山と積まれたトロピカル・フルーツ。おおむね乾季(4~10月)よりも雨季(11~3月)のほうが種類が豊富で味もいい。
標高2930メートルのムラピ山。ジョグジャカルタ市の北側にそびえる活火山で、常に噴煙を上げ、時に大噴火をする。
王宮の門前に立つ巨樹。木蔭には茶店が出ていて、人びとはここでしばし暑さを凌ぐ。