名古屋大学 人文学入門I(第7回) 2020年度(質問への回答)

講義題目:「音声学・音韻論からみた日本語のバリエーション」

ここでは、授業後の質問とその回答をまとめていきます。質問の文章は一部改変していることがあります。また、授業以外で受けた質問を、本人の同意のもとで掲載していることがあります。

私の考えた範囲内で回答していますが、私自身の知識にも限界がありますので、専門家の方がご覧になって誤りや説明の不足に気づかれましたら、ご教示いただければ幸いです。

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名古屋方言・尾張方言

質問:みゃー、きゃー、などの他に名古屋弁や尾張弁独自の特徴があったら知りたいです。

回答:あります。ただ、期末課題とかかわるので、ここでは説明しないでおきたいと思います。ぜひ自分で調べてみましょう。参考文献として例えば以下のものがあります。(他にもいろいろあります。)

江端義夫編 (2013)『愛知県のことば』明治書院. [名大図書館リンク]

質問:私は一宮に住んでいるのですが、普段生活していて名古屋弁と尾張弁には少し違いがあるように感じるのですが、実際はどうなのでしょうか。また、違うのならばどういったところで異なるのでしょうか。

回答:私は名古屋以外の尾張地方のことはよく知らないので実感としてはわかりませんが、一般論として、少しでも地理的に離れると、(音声を含め)言葉の特徴は違ってくることがあります。名古屋と一宮で違ったり、あるいは小牧や犬山にいったらまた違ったりということは、十分にありうると思います。一宮の中で、駅の近くに住んでいて名古屋に通勤通学している人たちと、農村部に住んでいる人たちとでも、違いがあるかもしれません。

尾張地方内部での地域差については様々に研究されているはずで、上で紹介した文献をはじめ、様々な書籍・論文の中に書かれていると思います。

質問:名古屋の方言は正直に言うと好ましくないように扱われることが多いと感じますが、先生は名古屋の方言にどんな印象をお持ちですか。感想を伺いたいです。

回答:私は東京出身ですが、母が岐阜県出身なので、名古屋方言は母方の祖父母の言葉と似ているところがあると感じます。そういう意味で、私個人的には名古屋方言には懐かしさを感じます。

世間での名古屋方言のイメージがどうなのかはわかりませんが、個々の方言に対するイメージは、その方言自体が持っている言語学的な特徴よりも、別の要因によるところが大きいと思います。「方言 イメージ」をキーワードとして学術論文を検索すると、様々な論文がヒットしますので、興味があれば是非調べてみてください。

ガ行鼻音(鼻濁音)

質問:「か゜」はアナウンサーが発音している「が」に近いのでしょうか。

回答:はい。アナウンサーが語中の「が」の発音において用いています。あるいは、「用いようと努めている」と書いたほうが正確かもしれません。地域によってはもともと鼻濁音を使わないので、入社してからトレーニングを受けることになります。以下の記事が興味深いです。

「鼻濁音は消えるのか」(NHK放送文化研究所)

上の記事にもエピソードが書かれていますが、もともと鼻濁音を用いていなかった人がトレーニングを受けても、なかなかうまくできず、クレームを受けることもあるようです。上の記事は2000年のものなので、今日では鼻濁音の出来ないアナウンサーはもっと増えているかもしれません。

国際音声記号(IPA)

質問:IPAを用いる事で様々な言語の発音を表現できるのは凄いと思いますが、やはりIPAで表現できない発音もあるのでしょうか。

回答:補助記号を用いればかなり表現できると思います。ただ、それでも、ある程度IPAの記号で近似できても、その音の重要な特徴を記号だけでは表しきれないということはあります。例えば、朝鮮・韓国語の「濃音」と呼ばれる音がそうです。その場合、記号だけでは表現しきれない部分は、言葉で説明を補うことになります。

また、ある言語のある音と別の言語の音とが、記号で書けば同じになってしまうけれど、厳密にいえばちょっと違うということは、よくあります。そういう微妙な違いについては、授業でも取り上げた音響分析により、定量的に数値の分布を示すといったことがなされます。

質問:IPAを身に着ければ言語学を勉強するに役に立つと聞きますが、IPAを扱うオンラインコースやサイトを教えて頂けないでしょうか?英語のサイトならありがたいです。

回答:国際音声学協会のサイト内、Phonetics Resources and Tutorialsのところに、様々なリンクがあります。学びやすそうなものを探してみてください。

International Phonetic Association > Phonetics Resources and Tutorials

アクセント

質問:アクセントで、高低のみで表していますが、低い音からさらに低い音に移るときにはどう表現しますか?個人的には かな↑ざ↓わ(さらに)↓ という風に感じます。

回答:確かに「かなざわ」の「ざ」から「わ」にかけてさらに下がるのが一般的だと思います。高低(ピッチ)を具体的に示すには記号では限界があり、模式的な図で示したり、あるいは実際に音響分析した図を示したりすることがあります。一方で、音韻論の研究ではアクセントの本質的な部分が何かが議論されてきました。そこで本質的とされた特徴は限られており、記号で(どのような記号を用いるかは依拠する理論によって異なりますが)示されます。

2年次以上を対象とした「音声学講義b」(秋学期開講)では、アクセントに関してかなりの時間を割いて扱っています。

質問:私の地元は、「くま(熊)」「くつ(靴)」「ほうき」「ぼたん」等、多くの名詞において頭文字にアクセントがつきます。標準語では二音節目にアクセントが来ると思いますが、ほかの地域ではどこにアクセントがつくの知りたいと思いました。

回答:日本語の方言において、アクセントは本当に多様です。ただ、単語ごとにバラバラに多様なのではなく、例えばA方言で語頭が高くなる語群がB方言では語末が高くなるといった具合に、語のグループごとにある程度対応関係を成していることが知られています。また、授業で扱った鹿児島方言の例のように、個々の方言の中で、それぞれにアクセントには仕組み(体系)があります。

方言間のアクセントの対応関係は、日本語の歴史の問題につながっています。また、個々の方言の中での体系は、音韻論の理論とつながっています。方言のアクセントというのは、とても奥の深いトピックです。授業ページの参考文献にも掲げた以下の本が参考になると思います。

松森晶子・新田哲夫・木部暢子・中井幸比古(2012)『日本語アクセント入門』三省堂.

有声破裂音

質問:バビブベボ ダデド ガギグゲゴ」には、多くの場合子音が有声破裂音とありましたが、「ヂヅ」は、有声破裂音ではないのですか?

回答:「ディ」「ドゥ」の子音はふつう有声破裂音ですが、「ヂ」「ヅ」は有声破裂音ではなく、有声摩擦音または有声破擦音という音で発音されます。ダ行音を有声破裂音で発音すると、舌が歯茎の裏あたりにくっついてから離れます。一方、「ヂ」「ヅ」の場合、舌が歯茎の裏に近づくが接触しない(有声摩擦音)、または、くっついたあとで少し離れた状態を一定時間維持する(有声破擦音)というタイプの発音になります。

質問:(実際に活用する機会があるかわかりませんが)有声破裂音の違いがあまりよく分からなかったのですが、違いを聞き分けるコツなどはあるのですか。

回答:授業ページで示したのはサンプル数が少なかったですが、いろいろな話者のいろいろな例を聞く中で、自分なりに違いが感覚としてわかるかもしれません。

ただ、母語で単語の意味に関わらないような音のバリエーション(これを言語学では「異音」といいます)については、本人の努力によってある程度聞き分けられるようになったり、聞き分けの敏感さに個人差があったりするものの、究極的には限界があるのも事実です。これは音声知覚の研究の中で明らかにされてきたことで、脳の仕組みと関係すると考えられています。ですので、聞き分けられなくても、それはごく自然なことだと考えてください。

質問:有声破裂音の用いられ方には地域差と世代差があるとのことですが、「聞いてもわかりにくく、音響分析のような手法を用いることでようやくその実態が明らかになるような特徴」をもつ発音がどのように集団内に伝播するのか不思議に思いました。無意識にそこまで忠実に模倣する能力が人間に備わっているということなのでしょうか。

回答:微細な音声特徴がどう伝播するかは、まだまだ学問的に明らかになっていないところが多いと思います。

ただ、おそらく関係があると思われるのは、乳児の音声獲得のメカニズムです。発達心理学における言語獲得の研究において、乳児は様々な音の違いの区別ができること、そしてそのうちで母語にとって重要でない区別は月齢が上がるにつれて区別できなくなることが明らかにされています。例えば以下の本が参考になります。

入来篤史 編. (2008). 『言語と思考を生む脳』 東京大学出版会. 【特に、「第3章 言語獲得における年齢効果は臨界期か」が上の話と関係します。】

他の方言の音声特徴

質問:東北地方の人は「柿」を「かぎ」と言い「鍵」を「かき゜」と言い分けているとのことですが、そもそもなぜ「かき」を「かぎ」と発音するのですか。

回答:かき(kaki)の2番目の子音kは母音aとiに挟まれていますが、aやiのような母音は声帯を振動させて発音します(これを「有声音」といいます)。一方、kは声帯を振動させない「無声音」と呼ばれる音です。有声音―無声音―有声音が並んでいるとき、そのまま実現しようとするならば、声帯の振動を途中で(この場合aの後のkのところで)ストップし、そのすぐあと(次のiに入ったところで)再び声帯振動を再開させなければなりません。このとき、声帯をずっと振動させっぱなしにすれば、発音の「手抜き」ができます。そのようにして、kと同様の舌の構えで声帯を振動させれば、[g]の発音になります。つまり、「かぎ」となるわけです。このように、ある音が周囲の音の特徴に影響されて変化することを「同化」といいます。同化は様々な言語に見られます。

ただし、同じような音の連鎖において、あらゆる言語・方言で同じように同化が生じるかというと、決してそういうわけではありません。いま問題としている現象についても、日本語の様々な方言の中で、東北の諸方言では生じ、他の多くの方言では生じていません。一見すると同じような条件下で、ある方言に生じた現象が別の方言では生じないということは、よくあることで、そこには様々な他の要因が絡んでいるものと思われます。ただ、いま問題にしている現象について、日本語の中で方言によってなぜ違いが生じたのか、具体的にどのような要因が絡んでいるかについては、私にはわかりません。

質問:和歌山弁ではザ行が発音できず、ダ行に置き換えられます。地区の清掃会の案内には「持ち物 どうきん(=ぞうきん)」と書かれているほどです。文脈判断しないとインドの首都「デリー」とぷるんぷるんのお菓子「ゼリー」の区別がつきません。なぜ和歌山弁ではザ行が発音できないのですか。そしてなぜザ行がダ行に置き換えられるのですか。ザ行とダ行には何か類似性があるのでしょうか。

回答:私は和歌山方言のことはよくわかりませんが、確かにザ行音とダ行音の間には類似性があります。ダ行音は(ヂ、ヅを除いて)一般には有声歯茎破裂音という音で、歯茎の裏に舌先をつけて発音します。一方、ザ行音は(上の「ヂ、ヅ」に関する質問への回答にも書いたように)有声歯茎摩擦音または有声歯茎破擦音という音で、ダ行音とは少し違いますが、舌先を歯茎の裏のほうへ持っていくという点では共通しています。

共通語・標準語で区別されている発音が方言で区別されないというのは、どの言語でもよくあることです。こういったことは、上で述べたように何らかの類似性を持った音の間で生じるのが普通です。ただ、なぜ当該の方言でそういった共通語・標準語との相違が生じたのかの原因を解明するのは、容易なことではないと思います。

方言の成立・分布・伝播

質問:なぜ地域によって方言が生まれたのですか?

回答:方言が生まれる基本的メカニズムには、(i) コミュニティの分化、および (ii) 言語変化 という二つが関わっていると、私は考えます。例えば、ある地域の住民のうちの一部が、どこか無人島に移住していって、その後、元の地域の住民と移住した先の住民との間で交流があまりなされないとします。それぞれのコミュニティで、言語が別々の方向に変化していけば、もともとは一つであった言語が、互いに少し異なったものになります。違いが小さければ方言と呼びうるでしょうし、大きければ異なる言語とみなされるでしょう(言語と方言の違いはなかなか難しいのですが、ここではそのあたりの議論は省きます)。こうした島への移住による言語の分化というのは、例えばポリネシアの島々で実際に起きました。

島への移住以外でも、ある地域で人々の居住地域がどんどん拡大していけば、その地域内で東の方の人と西の方の人では、交流が希薄になることがありえます。交流が盛んである人々の間では、言葉は似通ったものになります。しかし、交流が希薄になると、言葉を近づけようとする力が働きません。そして、互いに別々の方向に言葉が変化していって、別々の方言になると考えることができます。そこにさらに社会的要因、たとえば今日の朝鮮半島のように南北に分断されたり、江戸時代の日本のように藩を越えての移動が制限されたりといった要因が働けば、交流がゼロに近くなり、明確な方言境界を生み出すもととなります。

ここで一つのポイントは、言語変化です。言語が変化しなければ、コミュニティが分化しても、各コミュニティでは元々の言葉が話され続けるので、方言の分化は生まれません。しかし実際にはそういうことはなく、言語は放っておくとどんどん変化していくのです。言語変化のメカニズムについては様々な研究がなされてきていますが、まだ十分に解明されているとは言えないと思います。言語の変化に関しては、後の質問とも関係します。

質問:よく、方言やイントネーションはかつて日本の中心だった近畿から同心円状に波及していると聞きます(そのため中国地方と中部地方で共通点がみられる等)。具体的にどのような共通点がみられるのか知りたいです。

回答:方言において同心円状の分布を成すものとしてよく知られているのは語彙です。柳田國男が1930年に『蝸牛考』という著書の中で唱えた方言周圏論が有名です。そこで示した例が「蝸牛」(カタツムリ)を何と呼ぶかです。

柳田國男(1930)『蝸牛考』刀江書院. (のち岩波文庫に収録、1980)
※国立国会図書館近代デジタルライブラリーから初版を読むことができる[リンク

また、アクセントに関しても、ある程度は同心円的な分布が認められます。いくつかの文献(例えば以下)にはアクセント地図が収録されています。ただし、アクセント地図において同じカテゴリに入れられている方言であっても、それは特定の基準のもとで類似性が見られるために同じカテゴリに括られているのであって、アクセントが全く同じということを意味するわけではありません。

秋永一枝 編(2014)『新明解日本語アクセント辞典 第2版』三省堂.

質問:茨城県の中で、霞ヶ浦の東と西では癖の強さが違うと感じます。東の方での強い語尾の上がり方が、西の筑波山の方に行くに連れて弱まるという感じです。西の方の茨城県民は標準語に染まっていっているんだなと思いました。電車や高速網が都心と繋がった地域かそうでないかで、訛の強弱に変化が現れるということでしょうか。

回答:私自身具体的なデータは十分に持ち合わせていないので、実際に違いがあるかどうか、あるとしたらどういう違いがあるかを述べることはできませんが、仮に違いがあるとしたら、その要因としては二つの可能性が考えられます。一つは、両地域の音声がもともと(昔から)違っていた可能性です。方言は県境ではっきり分かれるとは限らず、また、同じ県内では全く同じ方言が話されているとは限らないので、霞ケ浦の東西でもともと違いがあった可能性はあります。もう一つは、(ご指摘の点とある程度一致する話ですが)近年の社会的な変化(とりわけ外からの人口流入)に伴って差異が拡大した可能性です。霞ヶ浦の西には常磐線が通り、東京へのアクセスがしやすくなったことで、東京方面に通勤する人が他地域から移り住んできました。また、筑波研究学園都市の形成により、つくば市にも他地域から人口が流入しました。もともと住んでいた人たちよりも新住民の方が多ければ、その地域のもともとの方言が継承されにくくなります。新住民の大多数が首都圏から引っ越してきた人たちであれば、新住民の多い地域の言葉は標準語的になりやすいでしょう。そして、新住民と旧住民との間に交流があれば、新住民の言葉は周辺の旧住民の言葉にも影響を与えることになります。

ここでの話題は、「言語の変異と変化」という言語学の研究分野とかかわります。また、社会とかかわることから、「社会言語学」という分野ともオーバーラップしてきます。

質問:同じ日本語でも、地域によって発音やアクセントに違いが生まれるのはなぜなのでしょうか。ちなみに私は、気候が関係しているのではないかと考えています。例えば、寒冷な地域では、口をあまり開けないでもごもごと言葉を発することが多く、逆に温暖な地域では、口を大きく開けて発音することが多いような気がします。

回答:同じ言語の中で違いが生まれるのは、基本的には、地域間の交流が少ない中で、それぞれの地域で独自に発音が変化してきたためだと考えられます。ではなぜ各地域が独自に異なった方向で発音を変化させてきたのかというのは、偶然によるところもあるでしょうし、何らかの必然によるところもあるかもしれません。詳しいことは実のところ、学問的にも十分に解明されていないと思います。

気候との関係というのは、興味深い視点だと思います。これに関してまず最初に述べておきたいのは、特定の言語や方言の音声特徴について気候に要因を求めるような言説(○○方言は寒い地域で話されているので・・・といった話)を世間でよく耳にするものの、その多くは学問的な検証にもとづいていないということです。つまり、俗説だということです。

では、音声と気候と関係は全く関係ないのでしょうか。両者の関係については、これまで多くの音声学者が懐疑的であったと思います。しかし近年になって実は、音声と気候の関係を示唆する研究が出てきました。例えば以下の論文があります。

C. Everett, D. E. Blasi, and S. G. Roberts (2015) Climate, vocal folds, and tonal languages: Connecting the physiological and geographic dots. Proceedings of the National Academy of Sciences, 112 (5), 1322-1327. [論文リンク

この論文では、(例えば中国語などにみられるような)声調と気候との関係が論じられています。具体的には、湿度の高さと声調言語の分布とに関係があるというのが、この論文の主張です。

こういった研究をみる上では、ある一つの要因(ここでは湿度)のみが特定の音声特徴(ここでは声調言語であるか否か)を決定していると言っているわけではないことに、注意する必要があります。言語が何らかの特徴を持つに至る要因は様々にあると考えられ、それらの要因はときには互いに反対に作用します。例えば、湿度が声調の発生に影響するとしても、同時に声調を発声させない別の要因が働くために、湿度の高い地域で声調言語にならないこともあり得ます。したがって、湿度の高い地域に声調を持たない言語があっても、それだけでは上の主張の反証にはならないし、反対に湿度の高い地域に声調言語がたくさんあることを表面的にだけ示しただけでも、きちんとした証拠にはなりえないのです。学問的な議論においては、様々な可能性を慎重に検討する必要があります。特にこの種の研究は、統計学的なアプローチを取り入れることで、近年新たな展開を見せつつあります。この回答の冒頭で「偶然による」と書きましたが、これまで偶然とみなされてきた現象の中から、何らかの必然性が今後だんだんと発見されていくかもしれません。

余談ながら、複数の要因が複雑に絡み合っていると思われる状況から個々の要因を解きほぐしていくというのは、多くの研究分野で行われていることです。新型コロナウイルスの研究においてもです。

履修関連(音声学講義)

質問:音声学講義の授業で学べるのは日本語のみでしょうか?また、もし他の言語も学べるのでしたら、どのような言語を扱うか知りたいです。

回答:日本語だけではなく、様々な言語を扱います。国際音声記号(IPA)の表に出てくる主要な音を一通り学習していくので、個々の音の例として典型的なものを、世界中の言語から選んで取り上げていきます。授業のスライドそのものはウェブ上で公開していませんが、補足資料のページがありますので、そちらを見てもらうと、おおよそのイメージがつかめるのではないかと思います。

履修・分属関連(音声学講義以外)

質問:言語類型地理論を学ぼうと思ったときにいつそれを学べる授業がとれるのかを知りたいです。

回答:「言語類型地理論」をトピックとして掲げた授業はありません(そもそも「言語類型地理論」というのが言語学の下位分野の分類としてそれほど一般的なわけでもありません)。ただ、言語をどう類型化できるかとうのは「言語類型論講義」という授業で扱われますし、言語にとっての地理的なファクターと関わる「言語接触」については、「歴史言語学講義」で扱われます。これらの授業はいずれも、3年次から履修することができます。なお、2年次で履修できる授業においても、関連するトピックは少しずつ出てきます。

質問:言語学または日本語学を専攻したいと思っているが、その2つの専攻はどのように違うのか。

回答:学問の位置づけとしては、日本語学を日本語を対象とした言語学と定義するならば、日本語学は言語学の下位分野ということになります。ただ、日本における「日本語学」と「言語学」は、それぞれ異なる学問的伝統の上に形成された面があり、そういう意味ではどちらが上位でどちらが下位と言えない面もあります。

名古屋大学文学部における言語学分野と日本語学分野の違いについては、どういう教員がいるのか、どういう科目が開講されているのか、教職は何がとれるのか、という点で違います。文学部ホームページの中の分野紹介(言語学日本語学)やシラバスをよく見てみましょう。科目構成に関する大きな違いとしては、言語学では世界の様々な言語を学ぶようになっているのに対し、日本語学では過去から現代に至る様々な時代の日本語を学ぶようになっているという点が挙げられます。言語学分野でも日本語学分野でも、授業の中で現代日本語は扱われますし、また、現代日本語を卒業論文のテーマとして扱う学生は少なからずいるので、現代日本語という部分において両分野がオーバーラップすると考えればよいと思います。

その他

質問:国内でも地域によって発音やアクセントが異なりますが、その場合外国の方が日本語を話そうとするとき何処かの地域の方言が話しやすいということもありえるのでしょうか?

回答:それはありえます。

一般に、学習する言語の音に近い音が自分の母語にあったり、学習言語における二種類の音の区別と同じような区別を母語でもしている場合、発音は容易になります。この場合に、学習する言語も母語も、いわゆる標準語に限る必要はありません。ただし、外国語学習の場合、標準語と比べて方言の教材はあまりないので、そういう学習環境の問題により方言が学びにくいということもあると思います。

質問:日本人の英語の発音がネイティブには少し聞きづらいということを聞いたことがありますが(完全に習得している人は例外ですが)、それは日本人が生まれながらにして鍛えてきた口の筋肉とネイティブの人が鍛えてきた筋肉が異なるからですか。

回答:筋肉を鍛えるというよりも、筋肉をどうコントロールするかという問題です。日本語を話す環境の中で、日本語の発音に特化するかたちで口や喉などの周辺の筋肉のコントロールするようになっているということです。

質問:すべての言語は、規則化できるのですか?

回答:世界中の全ての言語において、様々な側面で規則を見出すことができます。一方で、どの言語でも、規則で全てが説明できるわけではなく、どこかしらに例外が出てきます。

質問:西洋では、ラテン語、ギリシャ語は高尚な言語であると見なされてきたと思いますが、音声においても、何らかの発音・発声の仕方が他の発音・発声の仕方より優れているのだ、と考えられていたことがあったのでしょうか。

回答:特定の発音を「優れている」とみなす考え方があるかどうかはわかりませんが、「美しい」と言われることは、過去にもあったし、現在でも世間的にはあると思います。一つには「音象徴」という現象と関係があり、個々の音の聞こえ方が言語以外の(たとえば物体に対する)感覚と結びつくことによります。もう一つには、社会的(あるいは社会言語学的)な要因により、特定の言語や方言の音に美しいイメージがもたれるということがあります。例えば、標準語の発音が方言よりも美しいとか、伝統的な標準語の発音が若者の発音よりも美しいと言われるとき、そこには規範に対する意識が関わっていると考えられます。

質問:人の言葉の発音は、その人の引っ越しの経験などによって複数の地域の方言が混ざったりするものではないかと思います。音声の研究にあたっては、そのようにその個人独特の発音を持つ人は研究協力者になれるのでしょうか?なれるのだとしたら、生まれも育ちもずっと同じ土地だった人と比較して、何か手法に違いがあったり、注意点などはあるのでしょうか?

回答:確かに、人の発音はその人の経験に影響されます。特に地域のコミュニティの影響は大きいので、一つの地域でずっと育った人と、複数の地域に住んだことがある人とでは、違いが出てきがちです。方言学には「言語形成期」という概念があり、子供の頃の一定の時期に居住した地域が、その人の言語の形成に影響を与えることが知られています。

調査協力者を探す場合には、条件を指定します。どういう条件をつけるかは、調査の目的によります。方言差の少ないと思われる特徴を調べる場合には出身地を狭く限定しませんが、方言差の出やすい特徴を調べる場合、特定の方言を調べることを目的とする場合には、出身地を狭く限定します。その場合、その地域にずっと育った人を対象とし、言語形成期に他地域に住んだ経験がある人は対象から除外するというのが一般的なやり方です。一方で例えば、引っ越しの経験が言語にどう影響を与えたかを調べたければ、引っ越し経験者を積極的に対象とすることもあり得ます。

質問:なんで音声学や音韻論に興味を持ち学ぼうと思ったのですか。

回答:それは私の場合、大学で勉強してみて面白かったから、としか言いようがないです。

質問:音声学・音韻論の研究はどのように役に立っているのでしょうか。

回答:学問の役立ち方には、直接的なものと間接的なものがあります。直接社会に役立つこともあれば、他の学問分野に影響を与え、その学問分野が社会に影響することで、間接的に社会に役立つこともあります。音声学に関しては、直接的には音声教育(発音の教育)という形で役に立っていると思います。間接的にはさらにいろいろあります。以下の本は様々なトピックを扱っており、音声学の広がり、および、その広がりを通じての社会への貢献を知る上でお薦めです。

川原繁人(2015)『音とことばのふしぎな世界――メイド声から英語の達人まで』岩波書店.

質問:赤ちゃんが「パパ」と発音できないのはなにか音声学的な何かが関係しているのでしょうか。もし理由がわかれば、ママよりも先にパパと言わせたいです。

回答:これについては、ヤコブソンという言語学者の古典的な研究が有名です。以下のページに詳しい解説があります。

ChuoOnline > 「最初の一語 ―なぜ母親は「ママ」、父親は「パパ」なのか―」(増田桂子)

ただし、[m] の方が [p] の方が獲得が早い傾向にあるにしても、赤ちゃんが意味のある単語として何を最初に発するかはまた別のことです。以下のような記事もあります。がんばってください。

ダ・ヴィンチニュース > 実は「ママ」「まんま」じゃない! 赤ちゃんの「はじめての言葉」ランキング1位は?」

質問:音声を発するときに用いる筋肉には限りがあるのに、アクセントや発音がこんなにも多様になるのはなぜですか。

回答:筋肉そのものの数に限りがあっても、その筋肉による力の入れ具合やタイミングなどのちょっとしたコントロールの仕方が多様だからだと思います。