名古屋大学 人文学入門I(2023年度)第2回:質問への回答

講義題目:「発音からみた日本語のバリエーション」

ここでは、授業後の質問とその回答をまとめていきます。(授業中に回答したものは、ここでは省略しました。)質問の文章は一部改変していることがあります。また、受講生以外から別の機会に受けた質問を、本人の同意のもとで掲載していることがあります。

私の考えた範囲内で回答していますが、私自身の知識にも限界がありますので、専門家の方がご覧になって誤りや説明の不足に気づかれましたら、ご教示いただければ幸いです。

ガ行鼻音(鼻濁音)・破裂音・音声の変化

[質問1]鼻濁音の説明の途中で江戸時代の発音についての言及がありましたが、直接保存するのが難しい音声にまつわる事情を、当時の資料からどのように研究したのでしょうか?

[回答]江戸時代に式亭三馬が書いた滑稽本『浮世風呂』には江戸時代の庶民の様子が描かれているのですが、その会話文中のガ行音には、カ行の濁音で表記されているものと半濁音で表記されているものがあります。社会言語学の研究の中では、このうち後者のカ行半濁音は、ガ行鼻音を表しており、江戸っ子っぽさを描くために敢えてそのように表記したのだと言われています。

また、古いラジオ番組の録音を調べたところ、明治初期の生まれの東京出身者の発音にはガ行鼻音がよく保たれているという研究もあります。

これらをはじめとするガ行鼻音の変遷に関する諸研究は、以下の文献に詳しくまとめられています。

日比谷潤子(2009)「言語の変異」, 池内正幸 編 『シリーズ朝倉〈言語の可能性〉 3 言語と進化・変化』朝倉書店.

また、日本語の古い発音をどのように推定していくかについては、以下の本が参考になります。

釘貫亨(2023)『日本語の発音はどう変わってきたか ―「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』(中公新書), 中央公論新社.

[質問2]破裂音に声が付いたら「バビブベボ」ということは「バビブベボ」から濁点を取ったら「はひふへほ」ではなく「ぱぴぷぺぽ」になるということですか。もしそうだとしたらなぜ「はひふへほ」が五十音表のスタメンに入っているのですか。

[回答]日本語のハ行子音、バ行子音、パ行子音はちょっと特殊な性格があります。

清音・濁音は多くの場合、音声学用語の「無声音」「有声音」に対応しています。例えば、タの子音は無声音で、ダの子音は有声音です。ところが、ハ行・バ行、パ行については例外で、半濁音であるところのパ行子音は無声の破裂音で、これと対応する有声の破裂音がバ行子音となっています。ではハ行子音は何かというと、「摩擦音」と呼ばれる子音で、パ行子音やバ行子音とは音声学的に大きく異なる特徴を持っています。その意味で、質問で指摘していただいたことは妥当で、日本語においてパ行子音とバ行子音が音声学的な面で対応しています。

一方、日本語を別の側面でみると、ハ行子音とバ行子音が対応することがあります。例えば、連濁という現象を授業で取り上げましたが、「箱」(はこ)~「木箱」(きばこ)のように、ハ行子音は連濁するとバ行子音になります。連濁は音韻論的な現象なので、音韻論の面ではハ行子音とバ行子音が対応しています。

ではなぜ、そのような複雑な対応関係があるのでしょうか?実は、日本語のハ行子音はかつては「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」という子音で、さらに時代を遡ると「パピプペポ」のような音だったというのが、学界の有力な説となっています。ハ行子音が「パピプペポ」と発音されていた時代には、ハ行子音とバ行子音は、音声学的にも音韻論的にも対応した、すっきりした関係にあったということができます。

一方、現在のパ行子音は、日本語においてかなり特殊な性格を持っています。パ行子音が語頭にあらわれるのはほぼ外来語(「ピアノ」など)とオノマトペ(「ぴかぴか」など)に限られています。

このように考えると、ハ行が五十音の「スタメン」に入っていて、パ行が「スタメン」から外れてしまったのは、納得がいくのではないでしょうか。ハ行子音は主要な子音でありつつ、その発音の特徴は歴史の中で変化してきたというわけです。

なお、日本語のハ行音の変化についても、上に挙げた以下の本が参考になります。

釘貫亨(2023)『日本語の発音はどう変わってきたか ―「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』(中公新書), 中央公論新社.

国際音声記号(IPA)

[質問3]朝鮮・韓国語の授業で「u」の中央に横線が貫いているような記号があったのですが、この横線が音声記号でいう補助記号ということでしょうか。 

[回答][ʉ] は円唇中舌狭母音をあらわす記号ですが、これは ʉ 全体で一つの記号であり、横線が補助記号というわけではありません。この記号の下に[˕]をつけることがありますが(下寄りを表す)、これが補助記号です。 

なお、名古屋大学の朝鮮・韓国語の授業で用いる教科書で採用されている記号は、国際音声記号とイコールではありません。この教科書で [ʉ] で表される音、国際音声記号でいうところの  [ʉ] とは若干異なります。

連濁

[質問4]連濁について質問です。後ろが濁るものとして例に挙げられていたのは和語+和語の組み合わせでした。「検査結果」のような漢語+漢語の組み合わせでは「けっか」は濁りません。

一方、「鳩時計」、「弁当箱」のように和語と漢語の組み合わせでは濁ります。

したがって漢語同士の組み合わせは濁らないのかなと思いましたが、「ふたとおり」、「たけかんむり」、「道標」のように和語+和語でも濁らないものがあります。また「さんずい」、「にすい」のように似ているのに濁ったり濁らなかったりする言葉もあり、「三回」と「三階」のように同じ仮名なのに濁音に違いがあるものもあります。漢語か和語かは関係ないのだとすると、濁る濁らないには、講義中にあった春風タイプの他にどのような規則があるのでしょうか。

[回答]和語・漢語・外来語という語彙の分類を「語種」といいます。複合語の後部要素(構成要素のうち後ろの要素)の語種は連濁に影響します。例えば、後部要素が和語の場合は連濁をすることが多いですが、以下のように後部要素が外来語のときは基本的に連濁は起きません。

デジタル + カメラ → デジタルカメラ

後部要素が漢語のときはというと、ご質問のように、「検査結果」のように連濁しないこともあれば、「鳩時計」のように連濁することもあり、漢語は和語と外来語の中間の性格をもっているということができます。

連濁のような現象は音韻現象と呼ばれますが、音韻現象に潜む規則を見つけ出すことは音韻論の重要な研究課題の一つです。音韻現象は複雑で、たいていの場合、規則を立てても、そこに当てはまらない例外が見つかります。上で挙げていただいた例のうちのいくつかも、例外とみなせるかもしれません。一方で、例外と思われていた現象の中に、別の規則が見いだされることもあります。

なお、連濁については、以下の本の第5章が参考になります。

窪薗晴夫(1999)『日本語の音声』(現代言語学入門2), 岩波書店.

[質問5]連濁は英語では聞いたことがないのですが、日本語に特徴的なものなのですか。日本語以外に連濁が起こる言語はありますか。 

[回答]連濁は複合語の後部要素の無声音が有声音にかわるという現象ですが、全く同じ現象が他の言語にもみられるかについては、私は把握していません。ただ、複合語の後部要素が何らかのかたちで変化するというのは、様々な言語にみられます。例えば、韓国語には次のような濃音化現象があります。

김 /kim/ (海苔) + 밥 /pap/ (ご飯)--> 김밥 /kimp*ap/ (海苔巻き)

ここでは、「ご飯」の語頭子音は平音と呼ばれる音(/p/)ですが、複合語になったときには濃音と呼ばれる音(/p*/)に変化しています。

アクセント

[質問6]アクセントがHのみのことばがあるのなら、Lのみのことばはありますか? 

[回答]京都・大阪方言の場合、Lが続く単語でも最後が高くなるという特徴があるので、Lのみの単語はありません。ただし、世界の他の言語に目を向ければ、そういう例も見つけることができます。例えば、以下の論文で扱われているアフリカのヨルバ語では、文がすべてHになることもあれば、すべてLになることもあるそうです。

Connell, B., & Ladd, D. R. (1990). Aspects of pitch realisation in Yoruba. Phonology, 7(1), 1-29. 

[質問7]アクセントがある地域の人たちは、いちいちアクセントを気にして発音しているのですか?

[回答]私は東京出身なのでアクセントがある地域の出身ですが、言語学・音声学を学ぶことでアクセントを多少意識するようになったものの、学ぶ以前はほとんど気にすることはなかったと思います。おそらく、多くの人にとって個々の単語のアクセントは意識することなく自然に口をついて出るものだと思います。

ただ、自分の発音と異なるアクセントを耳にすると、違和感を感じるということはあります。例えば、首都圏では「ピアノ」は平板型で LHH のアクセントになることが多いと思いますが、名古屋の人は頭高型の HLL と発音することがあるため、東京出身の私は違和感を感じることがあります。このような自分と異なるアクセントへの違和感も、多くの人が経験することだと思います。

また、東京と異なるアクセントを持ち地域の人が、東京の人と同じように発音しようとしてアクセントを意識するということはあると思います。

[質問8]アクセントは東京と名古屋ではあまり変わらないのに三重に入ると関西弁に近いアクセントになるのでしょうか。

[回答]はい。厳密には揖斐川が境界になっていて、揖斐川の東の地域(桑名市長島町および桑名郡木曽岬町)は名古屋のアクセントに近いと言われています。

このあたりの地域のアクセントに関する調査は昔からなされていますが、最近の調査としては例えば以下の論文があります。

吉田健二 他(2016)「三重・愛知県境地域における方言の接触と変容」『愛知淑徳大学国語国文』39, 250-218.

方言

[質問9]日本において、消えてしまった方言などはありますか? 

[回答]具体的な例は思いつきませんが、これまでの歴史の中で方言が消えたことはあっただろうと思います。

ただ、方言が消滅したかどうかは、判断が難しいケースも多いだろうと思います。例えば、名古屋大学の位置する千種区は、かつては名古屋の郊外の農村でした。昔の方言のことはわからないので推測ですが、郊外の農村では名古屋中心部とはやや異なる方言が用いられていたかもしれません。それが名古屋の市街地が拡大する中で、言葉も名古屋中心部と一体化してきたのかもしれません。近年では、共通語の影響により、さらに伝統的な名古屋方言から変化してきています。その場合に、もともとの方言が消えたのか変化したのかは、判断が難しいところです。

[質問10]その地域ごとの方言の話者が減っていった場合、それらが受け継がれることなく日本人全員が標準語話者になってしまうということは究極的にはあり得るのでしょうか。 

[回答]上の質問への回答にも書いたように、ある方言が周辺の都市の方言の影響を受けたり、共通語の影響を受けて、そちらの方へ変化することはあります。ただ、一方で、地方の住民であることにアイデンティティーを持つ人は、方言を保持しようとしたり、あえて共通語とは異なる表現を使うということを、意識的にも無意識にもすることがあります。(これについては、Howard Gilesという社会心理学者が発展させた Communication Accommodation Theory という理論がよく知られています。)地域住民としてのアイデンティティーを持つ人が一定数いれば、なんらかのかたちで地域方言は残るのではないかと思います。

[質問11]津軽弁などといった、もはや言葉の原形をとどめていないような方言も音声学として扱うのでしょうか?

[回答]どのような方言であれ、その方言の音声は音声学の対象となります。

話がちょっと逸れますが、古代ヨーロッパではラテン語が広く用いられていて、各地のラテン語の口語がどんどん変化していって(つまり、訛っていって)フランス語、イタリア語、スペイン語などの言語になったと言われています。フランス語はラテン語の原形をほとんどとどめていないとみることが出来るでしょうが、フランス語にはフランス語の発音の仕組みがあり、それは音声学で扱うことができます。

それと同様に、津軽方言をはじめ日本語の様々な方言も、そのもとになった言語(それが何だったのかも、実ははっきり分かっているわけではありませんが)からは大きく変化しているでしょうが、個々の方言が独自の発音の仕組みを持っているとみなすことができます。

なお、言語学において、言語と方言の区別はあまりはっきりしていません。スペイン語とイタリア語の間ではある程度は通じると言われていますが、それぞれ別の言語とみなされています。一方、津軽方言と鹿児島方言の間ではおそらく全く通じないでしょうが、「津軽語」とか「鹿児島語」とか呼ぶことは稀で、どちらも日本語の方言とみなされています。

その他

[質問12]口笛で話す民族がいると聞いたことがあるのですが、そのような言語もIPAは網羅していたりするのでしょうか。

[回答]確かに、世界のあちこちに「口笛言語」と呼ばれるものがあります。日常的に用いられている言語があり、そのほかに口笛によって言語の音声を模してとられるコミュニケーション方法を指します。この口笛言語の音はIPAの対象にはなっていません。

なお、口笛言語を言語とみなしうるかは、判断が難しいところです。口笛言語については、以下のウェブページも参考になります。

口笛言語(英語史ブログ)

口笛言語(2)(英語史ブログ)

参考

2020年度の人文学入門Iにおける担当回の質問への回答も参考にしてください。