・昭和9年9月20日の夜から翌21日にかけて「室戸台風」により暴風雨となり、真庭市湯原で降雨量が390ミリ、岡山市京橋の水位が7.15mに達し、旭川筋では上流はもちろんのこと、下流の岡山市でも市街地が床上浸水し激甚な被害をこうむった。
・幸いなことに、高梁川下流は大正末期に完成した堤防の改修が功を奏して被害は極めて少なく、また吉井川筋もその被害は比較的少なかった。(詳細4-6)
・昭和9年室戸台風による県内の被害状況
・新たな崩壊地として、2,640町歩(約2,640ヘクタール)も発生した。既往の拡大を含めると2,700町歩(約2,700ヘクタール)になる。内訳は、真庭郡1,026町歩、阿哲郡531町歩、川上郡362町歩、上房郡302(高梁川水系)・155(旭川水系)町歩、その他324町歩である。
・その後も、昭和12年、13年、16年、17年、18年、20年と水害が発生し、合計で1,800町歩の崩壊地が発生した。
(赤字:土砂災害関係)
【昭和9年9月災害(室戸台風)の詳細】
・岡山県の三大河川の流域における9月16日から20日に至る5日間の平均雨量によれば、旭川流域の280ミリを最多とし、これに対して、高梁川流域が161ミリ、吉井川流域が159ミリで、また南下するほど雨量は減少し、概ね、西部の小田川(矢掛)、中部の宇甘川(金川)、東部の金剛川(和気)以南は100ミリ以下であったため、旭川流域が最も酸鼻(さんび)を極めた。
・被災の概要は、県下3市381町村中、実に2市282町村に及び、罹災戸数は県下総世帯数の約4割を占めた。
・昭和9年9月災害(室戸台風)の被害状況
・被害が顕著な旭川流域の実態(上流から順に)
・その他被害が顕著な町村(高梁川沿い)の実態 赤字:土砂災害関係
・酒津新堤防の効果:
明治25、26年の洪水より1m弱増水したにも関わらず、倉敷市及び備前一帯2万余町歩(約2万ヘクタール)の沃野(よくや:よく肥えた平野の意味)を救った。
※山陽新報(山陽新聞の前身)の記載内容 (赤字:土砂災害関係)
昭和9年9月21日:
21日の彼岸を狙って、深厚な台風が本州をめがけて迫る。
昭和9年9月22日:新聞なし
昭和9年9月23日:
22日午後6時現在、死者48名、行方不明44名、負傷者58名、家屋倒壊936戸、家屋流失415戸
昭和9年9月24日:
真庭の被害、激甚。落合、久世はほとんど全滅。赤磐郡五城村(岡山市)矢原で一家6人が押し流される。
昭和9年9月25日:
現地へ特派員を出し、その報告によると、高梁市広瀬で20数戸を流失させて全滅。22人の人命が奪われた。勝山町圧死1名、流失34戸、倒壊143戸、久世町は行方不明が5名。高梁市日名畑で圧死が2名、高倉村で13名が圧死。
昭和9年9月26日:
25日現在、死者87名、行方不明103名、負傷者320名、家屋流失倒壊3,640戸
昭和9年9月27日:
川上郡高倉村(高梁市)市場、白木部落で山崩れのため、2家族11名が圧死、生存者3名。26日現在、死者94名、行方不明67名、負傷者336名、全潰1,705戸(半潰を除く)、流失1,125戸
昭和9年9月29日:
25日までの真庭郡の被害、死亡18名、行方不明13名、全潰282戸、半潰726戸、流失382戸
・昭和20年9月10日から18日にかけて、鏡野町奥津で降雨量が379ミリに達した。吉井川水系が被害が多いが、終戦直後とあって被害の詳細が不明である。
・昭和20年9月の被害状況
・邑久郡の千町平野が長いところでは一週間も湛水した。邑久郡だけで死者が29人、住宅の全壊・流失が55戸あった。
・吉井川筋の被害が激甚で、中流の佐伯では、高台を除きほとんど浸水した。
・昭和29年の自然災害により死亡した13人の原因の内訳
※「06詳細【5 昭和中期~現在】詳細5-2」で集計した「昭和30年~平成21年度までの自然災害による犠牲者」の対象から外したのは、土砂災害による犠牲者はなく、また現在の119番通報と医療体制、さらには海上救難体制が整っていれば死亡者数は激減すると考えられるからである。
・戦後、全国で発生した土砂災害が主体の災害(注:被害状況の数値は全てが土砂災害ではない)