岡山県の荒廃地面積の推移(荒廃地と荒廃移行地)
※昭和21年は荒廃移行地を含まないと考えられる。
※昭和27年の約26,900haの内訳
崩壊地:約3,000ha
はげ山:約5,700ha
はげ山移行地:約18,200ha
※昭和33年の約18,800haの内訳
崩壊地:約2,600ha
はげ山:約4,200ha
はげ山移行地:約12,000ha
①崩壊地とは、降雨等により山腹が崩壊している箇所をいいます。
②はげ山とは、山林の樹木がなく植生も少なく、山腹の侵食が激しく、土塔屹立(どとうきりつ:土の塔がそびえ立っている)が見られる箇所であり、そこから生産される土砂量は膨大なものとなります。
③はげ山移行地とは、県南の無立木地や山火事跡地に多く、今後、はげ山になるおそれの箇所であり、表土の移動が始まると「はげ山」への移行は早まり、やがて山腹面の侵食へと進行します。
④はげ山の成因としては、岡山県の自然条件からは植生上それ程過酷なものではなく、歴史的に見れば、自然的な荒廃に加え人為的行為がはげ山を助長しているものと思われます。山林の乱伐は、その時代の世相を反映しているものであって、人間の生活に役立つものであり、生きるためにやむなくその糧を山林に求めたものと考えられています。
・昭和30年~平成21年(55年間)の自然(気象)災害による死者数160名の原因別内訳(新聞の記事などによる原因別)をまとめてみました。なお、( )は平成11~21年の11年間の数字です。
①土砂災害による死者数は、64(8)名であり、このほとんどががけ崩れによるものです。住宅内での死者数は53(7)名で、残り11(1)名は、家の周辺や作業小屋などで被害に遭っています。
②豪雨出水時の河川や用水路へ転落した死者数は65(3)名となっています。
(内訳)
・登校中 :5名
・川のそばで遊んでいた :7名
・田んぼの見回り中 :9(2)名
・流木を拾いに行ったり魚を取りに行って :5名
・橋に引っかかる流木を除去しようとして :8名(昔は木橋が多く、出水による木橋の流出が多かったため)
・河川の傍を通行中 :21(1)名
・その他 :10名
※戦前の水害のように、家ごと流されて死亡した人は少ないことがわかります。
③暴風が原因の死者数:7名
(内訳)
・建物などからの転落 :4名
・暴風による飛来物にあたった :2名
・その他 :1名
④その他
(内訳)
・豪雨出水時に運転中が原因なの :9(1)名
・落雷 :5名
・降雨の重みで住宅倒壊したのが原因 :1名
・消防団で出勤中 :2名
・高潮 :1(1)名
・無記載などで原因不明 :6(2)名
⑤参考:昭和29年の災害(災害5-2)の死者数13名は別記の理由、昭和28年以前は戦後の混乱期で新聞の記事ではよく分からないか、少人数のため、集計の対象から外しました。
①土砂災害で複数の死傷者が発生した事例(具体的な内容は、新聞記事からの引用)
②土砂災害で1名の死者だけが発生した事例(具体的な内容は、新聞記事からの引用)
③土砂災害による死者は出なかったが、家屋が破損した住民の被災事例(具体的な内容は、新聞記事からの引用)
・被害状況の集計
・発生場所ごとの被災事例
※①②③から、亡くなられ方、負傷した方、助かった方の原因(傾向)が少しはお分かりになったと思います。一度ご家族で、土砂災害を話題にしていただければと思います。