資料-1 井風呂谷川3号砂防堰堤
【概要】
・井風呂谷川(総社市見延)周辺では、明治16年から県営砂防工事を実施し、明治31年からは砂防法に基づく県営指定地砂防工事を実施している。井風呂谷川には、明治期から昭和にかけて施工された砂防堰堤が23基確認されているが、このうち、明治33年頃に築造された3号砂防堰堤は、堤高7.3m、堤長約40mの空石積堰堤であり、明治と大正末期の2度にわたり嵩上げをしている。明治期に同河川で施工された十数基の空石積堰堤の中で最大の砂防堰堤であり、全国的にも現存する明治期の砂防堰堤の中で堤高10mを超える空石積堰堤は稀少であり、近世から近代へと受け継がれていった伝統的な砂防工の流れを伝える代表的な砂防堰堤である。このため、平成14年3月に文化財建造物として、「文化財登録原簿」に登録され、登録有形文化財となった。
【3号堰堤 縦断図、横断図】
井風呂谷川3号砂防堰堤、縦断図、横断図
【明治33年頃の築造当時の写真】
明治33年頃井風呂谷川3号堰堤
【現在の写真】
井風呂谷川3号堰堤
資料-2 砂防指定地(面指定)
・砂防法(用語4-5)(明治30年制定)による砂防工事は、治水上砂防を目的に山林から下流河川へ流出する土砂の調節、流出防止として、山林での山腹工事、溪間工事など、山林に対し面的に砂防指定地(事例4-2)を指定し、対策工事を実施していた。これを指定地砂防工事(用語4-6)といった。
・岡山県最初の砂防指定地(事例4-2)は、明治31年8月8日内務省告示第74号により指定された。以後、土地地番を指定した面指定は大正12年まで続き、指定地砂防工事(用語4-6)を実施している。なお、当初の指定は、土地地番が付されてなく字表記であったが、明治39年に指定地の追加に併せて、地番を付した告示となっている。
岡山県最初の砂防指定地の明治31年8月8日内務省告示第74号の官報
明治31年8月8日内務省告示第74号
明治39年6月13日内務省告示第61号
明治39年6月13日内務省告示第61号
・明治31年~大正12年までの砂防指定地(面指定)の位置図
砂防指定地(面指定)
資料-3 砂防指定地(線指定)
・山林土地の地番を面的に砂防指定地に指定し、昭和4年まで山地と渓流で施工した指定地砂防工事(用語4-6)を実施していた。昭和7年から渓流河川敷とその周辺を砂防指定地(線指定)にした渓流砂防工事が開始されることとなった。線指定の箇所は、ほぼ県内全域で指定しているが、昭和9年の室戸台風で被害が大きかった高梁川流域で線指定の箇所が多く、災害復旧的意味合いでの渓流砂防工事を実施したものと思われる。
・砂防指定地の線指定は、昭和7年から昭和18年まで続き、渓流砂防工事(用語4-7)を実施している。なお、終戦を挟んで昭和22年までは指定は行われず、昭和23年から再び線指定の砂防指定地を再開することになった。
・現在の砂防事業は土石流対策が主となっているため、砂防堰堤と渓流保全工による対策工事が実施されており、砂防指定地も対象となる流域を面指定し、砂防堰堤や渓流保全工を実施する箇所の区域を指定している。
昭和7年から昭和18年までの線指定の砂防指定地位置図(県北部)
昭和7年から昭和18年までの線指定の砂防指定地位置図(県北部)
昭和7年から昭和18年までの線指定の砂防指定地位置図(県北部)
砂防指定地(線指定)昭和7年~昭和18年(県南部)