映画と音楽
いくつか映画を思い浮かべてみましょう。みなさんも知っている映画があるかな?
まず『サウンドオブミュージック』。古典的な作品ですよね。トラップ大佐とその家族という実話をもとにした映画で、たくさんの挿入歌がヒットしました。それから『ウェストサイドストーリー』。これはロミオとジュリエットからのパクリでニューヨークが舞台でした。『マイフェアレディ』、ロンドンの下町の娘と大学教授との交流が描かれました。これ以上は思いつくだけで『天使のラブソング』、『コーラス』、『無伴奏ヴァイオリン』、『レッドヴァイオリン』、『ミュージックオブハート』、『シェルブールの雨傘』、『コーリャ 愛のプラハ』、『Quartet カルテット』、『路上のチェリスト』、『奇跡のシンフォニー』、『自尊を弦の響きにのせて ~96歳のチェリスト青木十良』、そして『オーケストラ!』(原題: Le Concert)ですかねえ。これは2009年のフランス映画(日本公開は2010年)で、さまざまな謎が最後のチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」の演奏の中で明らかにされ大団円を迎えるという内容でした。いろいろ時代背景とか宗教とか民族とかテーマが豊富にあるので、これから始めることにしましょう。
「映画と音楽」コラムで今回扱うのは、ちょっと懐かしい1975年フランス・ブルガリア合作の映画「サンチャゴに雨が降る」です。この映画は、高校生の時に街の映画館で見ました。あの頃、映画を見に行くのはちょっとした冒険でしたが、(大げさ!)今では懐かしい思い出です。映画にはとっても感動しましたが、どういう背景があるのかはあんまりわかっていませんでした。ただ、最後に軍隊によって体育館に集められた人々が床を叩きながら歌っていたベンセレーモスという歌に強い印象を受けました。南米チリというと地震が多くてワインが美味しいことしか知らないのですが、ちょっくら訪れてみましょう。
「サンチャゴに雨が降る」に続いて、今回はフランス映画「コーラス」です。偶然、映画がテレビで放送されているのを目にして、つい引き込まれてしまいました。なんといっても、少年たちのコーラスが美しいのです。ウィーン少年合唱団の名前を耳にすることは結構あるので、人生のなかの短い時期である少年期の子供たちの合唱が美しいことは誰でも知っているでしょうが、やんちゃな少年たちが孤独と不安のなかで音楽に慰めと自己確認を見出していく姿は、音楽そのものの素晴らしさと同時に、ある種の郷愁と共感を覚えずにはいられませんでした。
この映画は2004年のフランス映画で、監督のクリストフ・バラティエが1944年のフランス映画『春の凱歌』を原案に制作した作品です。ストーリーは以下の通りです。
アメリカ合州国で指揮者をつとめるモランジュのもとに、フランスから母の訃報が届きます。母の葬儀のため帰国したモランジュのもとに、かつて同じ寄宿舎で暮らしたペピーノが、当時の舎監で音楽教師であったクレマン・マチューの古い日記を携えて訪れます。二人は日記を読みながら、50年前の記憶を甦らせるのでした。
記憶の舞台は戦後間もない1949年頃の孤児や問題児を集めた寄宿舎で、その名も「Fond De L'Étang(池の底)」でした。子どもたちは心に問題を抱え、校長はそんな彼らに容赦ない体罰を繰り返していました。ある日、夢破れて失意の音楽教師マチューが舎監としてやってきました。マチューは、悪戯が酷く反抗的な生徒達と、厳しい規律とお仕置きで生徒に相対するラシャン校長や同僚の体育教師シャベールにとまどいます。しかし、子どもたちに本来の純粋さ、素直さを取り戻してもらおうと、自分の経験を生かし音楽を教えることを思いつき、 「合唱団(Les Choristes)」の結成を決意しました。生徒達に合唱を教え始めたとき、マチューは、問題児として見られているモランジュが、奇跡のような「天使の歌声」を持っていることに気が付くのです。
一般に合唱とは、複数の人が複数の声部に分かれて各々のパートを複数で歌う音楽の演奏形態のことを指します。各々のパートがひとりずつとなるものを重唱と呼んで区別するほか、複数人が同一の旋律を歌うことも斉唱といい、区別されます(広義では斉唱も合唱に含まれます)。無論、ひとりで歌う独唱とも区別されます。ただし、これらの区別は、楽曲の大半の部分をどの形態で占めているかによります。したがって、合唱曲の途中に「重唱」「斉唱」「独唱」の部分が混ざる場合であっても、全体としては合唱といえるでしょう。逆に、独唱曲のクライマックス部分に、混声四部によるバックコーラスが付く場合も、全体としては独唱に分類されます。ちなみに「合唱」は、器楽の「合奏」の対語でもあります。合唱はまた、クワイア(choir)、コーラス(chorus)とも呼ばれます。なお、交響曲第9番 (ベートーヴェン)が「合唱」と呼ばれることもあります。クワイアといえば、「クワイア・ボーイズ」というイギリスの番組がありましたね。この「コーラス」という映画と重なるイメージがありました。イギリスのパブリックスクールに音楽教師がやってきて、少年や教師たちに合唱の素晴らしさを伝え、最後にはアルバートホールで開かれる全国大会に出場するというストーリーでした。歌うことを男らしくないと考えるイギリスの男性社会の特徴が現れていて、おもしろかったですね。
合唱曲の起源は、伝統的社会のなかで歌われる曲に見られます。起源は不明ながらも、もっとも古いレパートリーとされるのは、古代ギリシアにおける合唱曲です。これはエウリピデス、ソフォクレスなどギリシア演劇のなかで歌われたものです。
中世にはいると代表的な合唱曲は、グレゴリウス聖歌になります。それから、聖歌をもとにして(定旋律といいます)、いくつかの旋律が同時に進行するオルガヌムが現われます。ポリフォニーの始まりですね。最初、このポリフォニーはソリストによって歌われましたが、しだいにコンドゥクトゥスやモテット(13世紀以降に発展を始めた世俗のポリフォニー歌曲)においてもポリフォニーが使われるようになりました。これらは異なる詩句を異なる旋律に乗せ歌うものです。
ここでコンドゥクトクスについては、若干の解説をしておきます。というのは、いくつかの重要な点でオルガヌムと異なるからです。その最も顕著な特徴は、すべてのパートでのリズムの類似性にあります。規則的なアクセントのある単純なリズム構造を持つことが、コンドゥトクスにとって本質的なことなのです。そもそも、コンドゥクトゥスの主な使用は、その名が暗に示しているように、司祭や助祭を祭壇から聖歌隊の階段に導き、そして元の戻る時でした。教会の典礼における行列は、特に大きな建物ではしばらく時間がかかりました。リズムが複雑に変化すると、その行列の歩調を乱したことでしょう。そのように、コンドゥクトゥスは、典礼の問題を解決する実際的なものとして生み出されたわけです。
ルネサンス期に入ると、グレゴリオ聖歌は西洋で記譜された音楽の代表的な種類となります。おおくのミサ曲とモテット(一般的に、中世末期からルネサンス音楽にかけて成立・発達した、ミサ曲以外のポリフォニーによる宗教曲のことで、中世のモテットとは異なります。ややこしいですね)が作曲され、教会合唱団によって歌われました。そのなかで楽器の役割についての論争もありました。この時代にはギョーム・デュファイやジョスカン・デ・プレなどの作曲家が現われ、ポリフォニー合唱曲は熟練した合唱団によってヨーロッパ中で歌われ、現在にまで至っています。
1600年以前のルネサンス音楽では、多くの音楽作品は対位法にのっとって作曲され、声部の模倣や不協和音の利用法に多くの制限されていました。これに対して、北イタリアの作曲家たちは、詩の内容や詩に現れる個々の語の感情 affetto を音楽的に表現する手段を探求します。一方、フィレンツェでは、古代ギリシアの音楽悲劇の復興の観点から感情と結びついた音楽表現を探求していました。こうして生まれたマドリガルは、宮廷などでアマチュアが歌うための重唱曲ですが、もともとはイタリアで恋愛や神話を題材にした劇的な音楽でした。それが英国に伝えられて、ダンス風のバロットや季節や宴会の歌となりました。今では、7行から11行による詩歌とみなされています。
バロックの時代に入ると、器楽が声楽にとってかわり始めます。ヴァイオリンの発達で器楽表現の幅が広がりました。ルネサンス音楽において声楽は3声部以上を持つものが主流でしたが、カメラータは劇中の音楽として、劇の登場人物が1人で歌唱する作品の形式を発案しました。これをモノディー形式と呼びます。カメラータの音楽劇の最初のまとまった試みはヤーコポ・ペーリ(1561-1633)を中心として行われた音楽劇「ダフネ」の上演(1598)でしたが、これをオペラの誕生とする意見もあります。モノディー形式例として最も有名なのは、ジュリオ・カッチーニ(1545頃-1618)の Le nuove musiche(「新音楽」1601)でした。
「新音楽」の作品は、歌手の歌うメロディーと伴奏用の低音パートの2声部に加えて低音パートに数字を添えて記譜されています。数字は低音の上に奏すべき和音を示して、これはいわゆる通奏低音の原型とも言うべきものです。モノディー歌曲はストロペ(同じ旋律の歌詞を変えての繰り返し)を持たない通作形式で、レチタティーボの先駆とされます。このレスタティーボというのは、オペラ,オラトリオ,カンタータなどにおけるアリアに対する声楽様式で,「叙唱」と訳されます。アリアが旋律的表現を主体とするのに対して、レスタティーボでは「語り」に重点がおかれるので、オペラなどでレチタティーボで状況が話法体で語られ、アリアは感情表現の場となります。
いかがだったでしょうか。映画から、いつの間にか歴史の話になってしまいましたね。映画自体はとてもしっとりした時代感があって、胸にしみとおるようでした。第二次世界大戦後のヨーロッパなら、どこにでもあったような寄宿舎生活をみてとることもできました。寄宿舎生活なら、ロビン・ウィリアムズ主演の映画「いまを生きる(Dead Poets Society)」もありましたが、少年期の集団生活には渦巻く情念がつきものなんですね。それを正面から打ち破っていく青年を描いていたのが「炎のランナー(Chariot of Fire)」でしたが、これはまたの機会にしましょう。
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