10/13 敏腕マネージャー執筆
ついに季節が変わろうとしている。
10月のこの時期に日誌が回ってきたので、僕が普段から取り組んでいる早稲田祭について書こうと思う。
早稲田祭を語る前に早稲田を語るのが筋だと思うが、後々回ってくる三土会で深く話そうと思うのであしからず、、、
早稲田祭これは日本で一番特殊な学園祭であると考える。
大学の名前を冠し、大学の敷地で行われるにも関わらず、大学から一切の金銭的援助を受けていないのだ。これには早稲田祭の歴史が大きく影響しているから、まずは早稲田祭の歴史について書くとする。
「普及する現代文明を越え、新世紀を拓く思想的営為を」
この文言はなんだろうか。これは1997年に開催予定であった第43回早稲田祭のスローガンである。見てわかる通りかなり政治的だ。また先ほど、1997年に開催予定であった、と書いたのには理由がある。
--1997年第43回早稲田祭は中止されたのである--
理由は、革マル派による早稲田祭費用の不正流失。
革マル派とは、日本革命的共産主義者同盟革命マルクス主義派のことである。学生運動の一翼を担っていた政治的活動団体である。
話を一度浩々居に戻すと入寮条件に寮で政治的活動をしないことがある。これは、誰の手によって加えられたのかは知るとこではないが、早稲田祭をこのころにつかさどっていた早稲田祭委員会のように一派に乗っ取られないように追加されたのではないだろうか。
早稲田祭に話を戻す。
中止となった早稲田祭は、2002年まで復活することはなかった。この時期、早稲田祭復活のために活動していた早稲田祭したくスタッフが現在の早稲田祭運営スタッフであるのだ。
早稲田祭したくスタッフは単年度組織、自主財源、学生主体を三原則として掲げ、「早稲田祭とは何か」を徹底的に問い早稲田祭を復活させるために活動した。
長くなってきたので、早稲田祭したくスタッフが問い続けてきた
「早稲田祭とは何か」をここに書いて早稲田祭の歴史を一度締めようと思う。
「早稲田祭」とは「早稲田文化発表の場である」
ぜひ、早稲田祭11/1~11/2には、寮生には来てほしいと強く思う
早稲田にいかず、寮にいる時間を増やす、これが秋の私の1つのテーマであるが寮という場は何事にも変えることができない場だと思う。
時間、時期を問わず食堂には人が集い個人が話に花を咲かせる。最近ワードウルフがはやっているが、思いがけない先輩方の素が見えて本当に面白いと思う。
まだやったことがないならぜひやってみてね
また他にも面白いゲームを持っている人がいたら寮に輸入してください。
PS.次に日誌を書くのはいつになるのだろうか。
早稲田祭は終わりM1が来るかな
そのころ寮では何がはやっているだろうか。
次の日誌を書くまでに今の人生を充実させたい
いつもほんとうにありがとうございます
9/20
先日、大学の友人たちと富士急アイランドに行ってきました。絶叫系が苦手なのですが、下調べをせずに行ったため、園内に入ってジェットコースターばかりの景色に唖然としました。下調べって大事だなと、、、でも意外と楽しかったです。
こんなこともあってこれから始まる秋学期はいろんな新しいことに挑戦したいなと思います。
余談ですが、富士急の中で高飛車が一番怖かったです。
高飛車は富士急の中で加速度が一番大きな乗り物です。だから、加速の早いGも苦手なんでしょうね。
9/16
吉祥寺お祭りお疲れさまでした!!
体力・精神的にしんどい時もあったと思いますが、よく頑張ったと思います。個人的には、鉢粗い恒例の小囃が聞けたのが良かったです。
大正会員酒強すぎだろ!!
1日目の飲み会で誰かが言っていた、東京の都会の中での温かみのある商店街でのコミュニティが残っていることの素敵さは僕も感じていました。家柄や嫁ぎ先で縛られることの是非はさておき、多数の人の善意で成り立つものにはリスペクトしかないです。地元へ貢献する姿勢、愛着は街をよくする原動力になります。私も街づくりに関心がある分、祭りの価値は十分に感じているし、自分も将来運営に関わってみたいなと思いました。(特に福岡、九州で!)
量も様々な方の良心や善意で成り立っているものだと考えると、感謝してもしつくせないですね。
今のそして将来の寮生にできることがないか、今まで受けてきた御恩に報いることを忘れずに、まずは年末まで過ごしたいです。