上泉伊勢守(5)
上泉伊勢守が、柳生の所から出て後、関東へ下るといって、三州*牛久保へ立ち寄った。
牛久保には、牧野氏が三千石を知行**していたが、その家臣に山本勘介があった。勘介はきゃう流という兵法を遣って、恐らく敵はあるまいと自慢であった。弟子も数多くあったが、有名なる上泉師弟が来ると聞いて、おかしいことに思い、
「上泉とやらが来たならば、うちの先生に合せて思いきり打たせてやろう。」
などといっていたが、さて牧野殿が上泉伊勢守と、弟子の虎伯と二人を招いて、
「うちに山本勘介という兵法の達者がいますから仕合をして貰いたい。」
そこで、上泉はまず例によって虎伯と仕合をさせた。虎伯は勘介に向って、
「それではダメだぞ。」
と言って勘介をたやすく打ち込んでしまった。勘介が立て直して又立ち向うと、
「それでは取るぞ。」
といって、ツト当たって太刀を取ってしまった。
日頃勘介を憎いと思っていた者は、勘介が打たれた打たれたといって評判をしたものだから、勘介はそれを快からず思って、暇をとって甲州に行ったということが、事実のいかんは知らず、武邊叢書に書いてある。
(武邊叢書)
*三河、愛知県東部。
**領地にすること。