上泉伊勢守(2)

上泉伊勢守は上州の人で、新陰流の祖である。諸国修行の時にある村で、多勢の者が民家を取り囲んで騒ぎ罵る所へ通りかかった。

「何事であるか。」

と上泉が尋ねると、土地の人が、

「罪人がいて、逃げながら子供を捕えて人質にとってしまいました。多勢の者がこうして取り囲んではいるけれども、下手をすればその子供が殺されてしまいますので、我々は手の出しようがなく、子供の親達はああして嘆き悲しんでおります。」

という。上泉これを聞いて、

「しからば拙者がその子供を取り返してやろう。」

といって、折から道を通りかかる一人の出家を呼んで言うことには、

「今、悪い奴が子供をとっ捕まえて人質としているそうだが、拙者は一つの謀〔はかりごと〕をもってその子供を取り返してやりたいと存ずる。ついては貴僧を見かけてお頼みがござる。願わくば拙者のこの髪を剃つて、貴僧の法衣を貸して貰いたい。」

出家は直ちに承認して、上泉の髪を剃ってやり、自分の法衣を脱いで上泉に与えた。

上泉がそこで、衣を着して坊さんになり済まし、握り飯を懐に入れて、罪人の隠れている家へ入って行った。罪人がこれを見ていう。

「やあ、来たな。必ず拙者に近寄ってはならんぞ。」

上泉が曰く、

「別に愚僧は貴君を捕らえようのなんのとの考えがあって来たのではござらぬ。ただ、御身が捕えている童がひもじかろうと思うから、握り飯を持って来てやったばかりじゃ。少し手をゆるめて、その子供に握り飯を食べさせるだけの余裕を与えてくれれば、愚僧の幸いでござる。出家というものは慈悲をもって修行とするが故に、通りかかってこの事を見過し、聞き流すわけには行かないのでござる。」

といって、懐中から握り飯を出して子供の方へ投げて与え、又握り飯を一つ出していうには、

「そなたもまた、定めてひもじくなっておるでござろう、これなと食べて気を休めなさるがよい。わしは出家の身で、いづれにも害心はないのだから、疑ひ召さるるなよ。」

といって又一つ罪人の方へ向けて握り飯を投げて与えた。罪人が手を延ばしてそれを取ろうとする所を飛びかかって、その身をとって引き倒し、子供を奪って外へ出た。

村人がそこへ乱入して、罪人を捕えて殺してしまった。

上泉はそこで法衣を脱いで、以前の出家に返すと、その僧が非常に賞美していうには、

「まことにあなたは豪傑の士でござる。わしは出家であるけれども、その勇剛に感心しないわけに行かぬ。われらの語でいえば実に剣刃上の一句を悟る人である。」

といって、化羅〔けら〕*を上泉に授けて行ってしまった。

上泉はそれからいつもこの化羅を秘藏して身を離さなかったが、神後伊豆守というものが第一の弟子であった故に、これに授けたということである。

(本朝武藝小傳)

*袈裟またはその部品のこと。ただし衣のすべてか、いわゆる肩掛け状の袈裟か、あるいは袈裟の帯の輪か、判然としない。