東京稽古会について

ご挨拶

肥後・新陰流東京稽古会のWEBページを読んでいただき、ありがとうございます。

当会では山本篤先生より許可を得て、主に第十六代、相川学宗家が南伊勢町五ヶ所の山本先生に伝えた形を中心に稽古しております。

当会では、

・伝承された肥後藩の新陰流の形23本や関連流儀の稽古

・史料の収集や調査を通してその歴史・伝統を明らかにする事

・肥後藩に伝わった新陰流の存在や伝統を広く伝え、後世への伝承のための一助となる事

などを目的として活動しています。

稽古会日時・場所等

当会の稽古は、山本先生より指導許可を得た会員が中心となって、概ね山手線沿線の公園で毎週水曜日の夜間に行われています。

2016年8月現在より一時的に新規会員は受け入れ中止しておりますが、見学・体験は可能です。 なお場所や日時は変更する事もありますので、お問い合わせください

・東京稽古会の関連団体

新潟県村上市で古流武術の稽古・研究をされている心縁会でも肥後新陰流を稽古されています。(心縁会代表が当会会員です)

問い合わせ … 当会への問い合わせ先です。

当会の方針について

当会では、現在伝わった肥後の新陰流形を出来るだけそのまま伝える事を目的としています。

肥後の新陰流剣術は、明治時代に活躍した和田傳師範・野田長三郎師範の尽力により、維新後も大きな勢力を持って現代まで存続する事ができました(維新後の新陰流)。また、新陰流形の重要な部分は、古賀徳孝先生により口伝とともに相川学先生に伝えられ、平成の現代まで伝承されました。

しかし、和田傳師範以降、「新陰流の精神は形と傳書にある」と明治・大正・昭和と近代的な竹刀防具を使った、いわゆる剣道式の試合で修行する事を主体としたため、古来の新陰流の技がどのようなものであったか、江戸時代以前はどのような稽古・修行をしていたか、等が現在では不明確になっています。

明治後百年以上が経過した現在、数百流派あったと言われた剣術流派はそのほとんどが失われています。現代では明治時代とは逆に剣道が一般的で、古い剣術はとても珍しいものになっています。時代の流れと言えばその通りなのでしょうが、日本において剣を使った武道といえば剣道、室町時代から続いた流派はほとんど知られていない、というのはあまりにも寂しい状況ではないでしょうか。現代では多様性の重要性や地方地域の文化の意義等が語られています。当会ではこの残った肥後の新陰流形は、日本の文化として大変貴重ではないかと考えています。

古来の武術がこの後も残っていくためには、和田傳師範の時代とは逆に、剣道式の試合が導入される前、古来の剣術とはどのような稽古をしたのか、どのような技を使ったのか、なぜ剣道式の試合を導入したのか、というようなことを明らかにしていく必要があると考えます。もちろん明治以降140年以上が経過し、豊五郎が活躍した時代からはすでに400年以上が経過しております。代々の継承者によって形の内容が変化し、明治以降は武徳会の剣道の影響なども多くあったと思われます。それでもなお、現在残っている形を出来るだけ変えずにそのまま伝え、稽古する事は、古来の形を推測する上でも大変重要であると考えています。

※絵 横田清馬,明治三年,『紅葉観念之巻』,愛洲の館蔵