上野左右馬助子孫・上野輝彌先生会見(活動報告2015.6)

さる平成27年6月、疋田豊五郎から新陰流を学び、細川藩の流儀として現在まで伝わる契機となった上野左右馬助景用の直系のご子孫、上野輝彌先生にお会いすることができました。

上野輝彌先生略歴

1930年大分生。

元国立科学博物館地学研究部長。元日本魚類学会会長。国立科学博物館名誉研究員。

著書に「シーラカンス : はるかな古生代の証人」「日本の魚 : 系図が明かす進化の謎」など。

上野先生の研究室で。前列に上野先生。

後列に伊藤・大坪氏・佐々木・高無

「肥後武道史」には和田家へ門弟および師役を譲った後の上野家についても言及されており、また出版当時(昭和15年頃?)の上野家本家の当主が上野景介氏である、とも書かれています。この上野景介氏が上野輝彌先生のお父上です。

上野先生とご縁を頂いたのは本当に偶然の事でした。

当会のメンバーである高無宝良氏の主催する清風会(※)の稽古会の大坪氏の母方の伯父上が上野輝彌先生でした。大坪氏が上野先生と雑談中に先祖の話になり、その際に先祖が疋田豊五郎から剣術を習っていたという話題になり判明した事でした。

※剣術・抜刀術を中心とした古武道の会。現在は是風会に改名

大坪氏はこの話を高無氏にし、東京稽古会として是非上野輝彌先生にお会いしたいという話となり今回の会見が実現する事になりました。

上野先生には当会作成の疋田豊五郎関係流派の伝系図と簡単な解説資料などをお渡しし、上野家の戦国時代から現在までの歴史や明治維新後の動向、先生の経歴や古生物学や魚類学のお話などをお聞きし、博物館を案内していただきました。また、会見後にアザラシ道場にて当会伝承の新陰流の形をご披露いたしました。


残念ながら一部の刀剣を除きほとんどの史料は熊本空襲の際に焼けてしまったそうですが、輝彌先生が聞いた上野家の伝承など、新陰流にとっても大変重要なお話をいくつか知る事ができました。

これまでの調査では上野家の先師たちの墓所も不明になっており、区画整理や空襲で焼けるなどして失われてしまったかと思われていました。今回、先生から教えていただく事が出来、今後上野家の墓参り等をおこなおうかと計画しております。

アザラシ道場で演武披露後の写真