其ノ壱
偉大なる折田先生・其ノ壱
かつて京都大学教養部(現 総合人間学部)A号館前では
大学当局側と学生との間でひとつの闘争が繰り広げられていた。
その闘争の中心にいらしたのが折田彦市先生。
いや、正確には 折田先生の銅像である。
私がこの闘争を初めて目撃したのは平成五年。 ある日、突如折田先生の銅像が何者かにより汚されていた。 最初は単なる「たちの悪い落書き」の類かと思った。 その落書きはもちろん大学当局により綺麗に洗い落とされるのであるが、 ところがしばらくすると また新たな落書きによって銅像が汚される。 首謀者は明らかに先生を一つの表現の場と捕らえていたような節があった。
なぜなら、落書きが更新されるのは決まってキャンパスに学生が溢れる時期。
新入生を迎える時や学祭前、卒業式前など。
その落書きの内容は回を重ねるごとに
当局をあざ笑うかのようにエスカレートしていった。
そして
ついには写真週刊誌で紹介される程凄まじいものになり
いつしか学生達の間では
「 先生の像は必ず落書きされるモノ」と
半ばそれが当然のことであるかのように常態化していった。
先生の像は 教養部正門から入ってすぐのかなり目立つところに建てられていた。 だが哀しいかな、 このような事態になるまでの長い間に 先生がどのような業績を残された方なのか なぜここに銅像があるのか 学生達の間では忘れ去られようとしていた。 しかしこの「銅像アート」という悪戯によって 少なくとも我々は 先生が京大の校風の礎を築いた方であることを知るに至った。 そも「自由な校風」とは何ぞや? このアナーキーな悪戯は
京大学生史に残る極めてユニークなUG(アングラ)芸術である。