ドイツ法史

〔概説書等〕 

▼ミッタイス著/世良晃志郎訳『ドイツ法制史概説』(創文社、改訂版1971年) : 誰もが知っている基本文献。私も授業の参考にさせていただいています。

▼Uwe Wesel, Geshichte des Rechts; Von den Fruehformen bis zur Gegenwart, 3. Auflage, G.H.Beck, 2006. : これも頼りとしている授業用のタネ本。叙述が簡潔で分かりやすい。

▼勝田有恒・森征一・山内進編著『概説西洋法制史』(ミネルヴァ書房、2004年):古代から近現代までヨーロッパ法史の通史を叙述。重点はドイツにあるということで、ここに挙げておきます。

 

参加型Online西洋法制史辞典 : 松本尚子先生(上智大学)のHP。西洋法制史に関する言葉(ドイツ語・ラテン語)を集めた辞典で、大変役に立ちます。リンク集も有用です。

DEUTSCHES RECHTSWÖRTERBUCH : これも大変便利です。

 

 

[中世]

  

〔平和令〕

Decree of the Emperor Henry IV Concerning a Truce of God; 1085 A.D. : ハインリヒ4世の「神の平和」にもとづく平和令。

Peace of the Land Established by Frederick Barbarossa Between 1152 and 1157 A.D. :バルバロッサ(フリードリッヒ1世)のラント平和令。これらラント平和令の目的とするところはフェーデの制限。

マインツ平和令(1235年)

バイエルン1281年のラント平和令 : <7人による宣誓手続>が文書において初めて記録されたものといわれています。

 

〔法書〕

中世ヨーロッパでは、カロリング朝の王令立法が漸減・消滅した時代、オットー諸王時代の史料乏しい時代を経て、<一般的なしきたりや習俗に基づく地方的法慣行の時代>、したがって<慣習に基づく法形成、慣習法に基づく司法の時代>が到来しました。この法史の「暗部」ともいうべき時代については、まだ学問的には十分に解明されていません。このような状態が解消されるのは、12世紀末から13世紀にかけて全ヨーロッパを覆った「法記録運動」によってです。このとき慣習を採録し、文書化したものがいわゆる「法書(Rechtsbuecher)」です。

Sachsenspiegel : 中世ドイツを代表する法書ザクセンシュピーゲル(1220-1230年頃成立)の解説(ドイツ語版Wikipedia)。ザクセンシュピーゲルは、東ザクセンの騎士アイケ・フォン・レプゴウ(Eike von Repgow)の作で、ラント法とレーエン法を含んでいます。地域的には東ザクセンの地方法を記述しているといわれ、ローマ・カノン法の影響はわずかな痕跡がある程度といわれています。

Sachsenspiegel-online : ザクセンシュピーゲルの原史料を見るならここ。画像の鮮明さ、懇切丁寧な解説は感動ものです。

Der Heidelberger Sachsenspiegel : ここでもザクセンシュピーゲルのデジタル史料を見ることができます。

Schwabenspiegel : 1275年頃に編纂されたシュヴァーベンシュピーゲル(正確には、皇帝ラント法・レーエン法書)のテキスト(ドイツ語)。それはおもに南ドイツ法を記述するもので、ザクセンシュピーゲルよりも広範囲に普及したといわれています。

 

〔金印勅書〕

The Golden Bull of Charles IV 1356金印勅書(Golden Bull, 1356年)の英訳版(抜粋)。金印勅書は、最初の帝国基本法として神聖ローマ帝国の国制を確立した文書で、皇帝選挙の手続、選定公会議、帝国議会法、帝国等族資格、忠誠義務の放棄などについて定めています。これにより、皇帝カール4世は貴族の権利を制限しようとしましたが、ある歴史家は、「無政府状態を法典化した」と評しています。

また、金印勅書は、法の属人的効力という古くからの前提をいまだ払拭しておらず、2つのもっとも重要な部族法地域(フランク法の諸国とザクセン法の諸国)に合わせて帝国を分割しています。

Die Goldene Bulle Karls IV., 1356 : 金印勅書のドイツ語版(抜粋)。

 

〔都市法〕

山本健「[史料]中世ドイツ都市法の邦訳(1) 1450年、低地ライン地方の小都市:「ブランケンブルク都市法」(ノルトライン=ヴェストファーレン地方)」(敬愛大学国際研究Vol.7、2001年3月、pp. 223-246)

 

〔その他〕

ローテンブルク刑事博物館(Kriminal Museum) : Das bedeutendste Rechtskundemuseum der Bundesrepublik gibt einen umfassenden Einblick in das Rechtsgeschehen, die Gesetze und Strafen der vergangenen 1000 Jahre. Dargestellt wird die Entwicklung der Gesetzgebung bis zum 19. Jahrhundert. Der Ablauf des mittelalterlichen Strafprozesses, Instrumente der Folter und Geräte zum Vollzug der Leibes- und Lebensstrafen werden gezeigt, ebenso die für den Betrachter teilweise erheiternden Geräte zum Vollzug der Ehrenstrafen, die Halsgeigen für zänkische Frauen, Schandmasken oder Pranger. Untrennbar vom Recht sind Urkunden und die zu ihrer Rechtswirksamkeit notwendigen Siegel. Zahlreiche Urkunden zeigen welche Mühe man zu ihrer Gestaltung aufwandte.

 

▼若曽根健治著『中世ドイツの刑事裁判-生成と展開』(多賀出版、1998年) : 参考文献として紹介します。本書は、中世後期の刑事司法を特徴づける<7人による宣誓の手続>を考察の出発点にすえ、それを乗りこえようとする動き--<自白手続への動き>--を解明するものです。

 

[近世]

 

Die Reichskammergerichtsordnung vom 7. August 1495 : 1495年夏、帝国宰相マインツ大司教ヘンネベルクの帝国改造構想の所産の一つとして、ヴォルムス議会において成立した 帝室裁判所令。これに基づき設置された帝室裁判所(フランクフルトにおける初回開会は1495年11月3日)は、カロリナ刑事法典(後出)を適用し、フェーデ制度の完全な死滅をもたらしたといわれています。帝室裁判所令は、 この裁判所における手続を詳細に規定し、諸領邦裁判所の訴訟法に対して長期にわたって影響を与えました。

 

Das Volkacher Salbuch(1504) : 1432年、ヴィルツブルガー司教領主はフォルカッハ市に刑事裁判手続を執行する権限を付与。それ以来、同市は、区域内で発生した死刑相当の犯罪(謀殺、強盗、放火、姦淫、窃盗、境界違反)を処罰しました。1504年、ニクラス・ブロブストは、ワイン泥棒を例に、その司法手続の過程を細密画に描きました。このサイトにアクセスすると、その画像を見ることができます。このサイトは2008年4月19日法制史学会で井上琢也氏(国学院大学)が紹介されたもので、私もさっそく覗いて見ました。これは必見です。以下はその一つ。

 

Schwarzenberg, Johann von:Bambergische Peinliche Halsgerichtsordnung. : 1507年、バンベルク司教領国において司教ゲオルクの名で公布されたバムベルク刑事裁判令。このサイトではそのテキストが画像で読めます。この刑事裁判令は、フランケンの有力帝国騎士で当時バンベルク司教領国の宮廷長官であったヨハン・フォン・シュヴァルツェンベルクの起草といわれています(実際は、ヨハンと法学識者の共同作業のようです)。同裁判令は、「ドイツ刑法史上の境界石かつ分岐点」(E.Wolf)といわれ、①私訴を排除し職権的刑事訴追を導入する、②捜査手続と立証手続を定める、③犯罪構成要件を明確に定義する、④それに対応する刑罰を確定する、などの特徴を有するものでした。ただ、イタリア法律学の影響を受け、自白(Gestaendnis)を中心的な証拠方法とするとともに、人道主義に反する厳格な身体刑・生命刑を採用するという特徴も有していました。

 

〔カロリナ刑事法典〕

Constitutio Criminalis Carolina, CCC; 1532 : カール5世治下に制定された帝国法・カロリナ刑事法典(1532年)の解説論文(なお、「魔女研究」の一項目として立てられていることに留意して下さい)。同法典は、第一義的に手続法であり、司法における弊害(とくに恣意と残虐に堕落した糾問手続)を改革しようとするものでした。第二に実体刑法を含み、犯罪構成要件と刑罰の賦課を定めました。ただ、同法典はラント刑法に対して補充的効力しか認められませんでした(ラント法が帝国法に優先する)。

Die Constitutio Criminalis Carolina : こちらもカロリナ刑事法典についての概説論文です。なお、上記サイトもそうですが、カロリナ刑事法典は16、17世紀に全ヨーロッパ(とくに中央ヨーロッパ)を席巻した魔女裁判との関わりで言及される場合が多いようです(なお、魔女裁判に関心のある方は、ジェフリ・スカール、ジョン・カロウ著/小泉徹訳『魔女狩り』岩波書店、2004年、を参照して下さい)。

 

〔ヴェストファリア条約〕

Die Westfaelischen Friedensvertraege vom 24. Oktober 1648 : 三十年戦争を終結させたヴェストファリア条約(1648年)。1654年最後の「帝国最終決定」に取り入れられることで、最後の帝国基本法となりました。

 

〔民法典〕

マクシミリアン・バヴァリア市民法典(Codex Maximilianeus Bavaricus Civilis) : 1756年した成立したマクシミリアン・バヴァリア市民法典の解説。同民法典はその後改正され、「バイエルン・ラント法」としてライン右岸のバイエルンの広い地域において、BGBの施行(1900年)に至るまで通用しました。1894年現在の法文に対するコンメンタールはこちら。 


〔プロイセン一般ラント法〕

Allgemeines Landrecht fuer die Preussischen Staaten vom 5. Februar 1794プロイセン一般ラント法(1794年)(Koch, Christian Friedrich:Allgemeines Landrecht für die preußischen Staaten - 4. verm. Aufl.Berlin, 1862)の画像資料。PDF版はこちら。同法の編別は以下の通りですが、とにかく条文数の多いこと、多いこと。その第1部冒頭では、ローマ法のインスティトゥティオーネス式編別(人の法、物の法、行為の法)が採用されています。その後、家族、身分、団体、国家に至るまであらゆる法的問題が扱われています。時あたかもフランスではフランス革命が勃発し(1789年)、人権宣言が出され、封建制の廃棄が進められていた頃です。しかし、この法典はまだ貴族・農民・市民の身分制度を維持しています。その意味で、制定当初からすでに時代遅れの内容であったということもできるでしょう。 だからでしょうか、かのサヴィニーは、この法典を「形式においても実質においても駄作」と称していたそうです。

 序論

  I. 法一般(§§. 1-72)

  II. 法の一般原則(§§. 73-108)

 第1部

第1編 Von Personen und deren Rechten überhaupt. (§§. 1-45)

第2編 Von Sachen und deren Rechten überhaupt. (§§. 1-141)

第3編 Von Handlungen und den daraus entstehenden Rechten. (§§. 1-49)

第4編 Von Willenserklärungen. (§§. 1-169)

第5編 Von Verträgen. (§§. 1-453)

第6編 Von den Pflichten und Rechten, die aus unerlaubten Handlungen entstehen. (§§. 1-138)

第7編 Von Gewahrsam und Besitz. (§§. 1-250)

第8編 Vom Eigenthum. (§§. 1-191)

第9編 Von der Erwerbung des Eigenthums überhaupt, und den unmittelbaren Arten derselben insonderheit. (§§. 1-669)

第10編 Von der mittelbaren Erwerbung des Eigenthums. (§§. 1-25)

第11編 Von den Titeln zur Erwerbung des Eigenthums unter Lebendigen. (§§. 1-1177)

第12編 Von den Titeln zur Erwerbung des Eigenthums von Todeswegen. (§§. 1-656)

第13編 Von Erwerbung des Eigenthums der Sachen, und Rechte durch einen Dritten. (§§. 1-280)

第14編 Von Erhaltung des Eigenthums und der Rechte. (§§. 1-469)

第15編 Von Verfolgung des Eigenthums. (§§. 1-56)

第16編 Von den Arten, wie Rechte und Verbindlichkeiten aufhören. (§§. 1-512)

第17編 Vom gemeinschaftlichen Eigenthume. (§§. 1-388)

第18編 Vom getheilten Eigenthume. (§§. 1-819)

第19編 Von dinglichen und persönlichen Rechten auf fremdes Eigenthum überhaupt. (§§. 1-33)

第20編 Von den Rechten auf die Substanz einer fremden Sache. (§§. 1-657)

第21編 Von dem Rechte zum Gebrauche oder Nutzung fremden Eigenthums. (§§. 1-650)

第22編 Von Gerechtigkeiten der Grundstücke gegen einander. (§§. 1-248)

第23編 Von Zwangs- und Banngerechtigkeiten. (§§. 1-95)

 第2部

第1編 Von der Ehe. (§§. 1-1131)

第2編 Von den wechselseitigen Rechten und Pflichten der Aeltern und Kinder. (§§. 1-773)

第3編 Von den Rechten und Pflichten der übrigen Mitglieder einer Familie. (§§. 1-53)

第4編 Von gemeinschaftlichen Familienrechten. (§§. 1-250)

第5編 Von den Rechten und Pflichten der Herrschaften und des Gesindes. (§§. 1-208)

第6編 Von Gesellschaften überhaupt, und von Corporationen und Gemeinen insonderheit. (§§. 1-202)

第7編 Vom Bauernstande. (§§. 1-548)

第8編 Vom Bürgerstande. (§§. 1-2464)

第9編 Von den Pflichten und Rechten des Adelstandes. (§§. 1-100)

第10編 Von den Rechten und Pflichten der Diener des Staats. (§§. 1-145)

第11編 Von den Rechten und Pflichten der Kirchen und geistlichen Gesellschaften. (§§. 1-1232)

第12編 Von niedern und höhern Schulen. (§§. 1-129)

第13編 Von den Rechten und Pflichten des Staats überhaupt. (§§. 1-18)

第14編 Von den Staats-Einkünften und fiskalischen Rechten. (§§. 1-85)

第15編 Von den Rechten und Regalien des Staats in Ansehung der Landstraßen, Ströhme, Hafen, und Meeresufer. (§§. 1-247)

第16編 Von den Rechten des Staats, auf herrnlose Güter und Sachen. (§§. 1-480)

第17編 Von den Rechten und Pflichten des Staats zum besondern Schutze seiner Unterthanen. (§§. 1-183)

第18編 Von Vormundschaften und Curatelen. (§§. 1-1007)

第19編 Von Armenanstalten, und andern milden Stiftungen. (§§. 1-89)

第20編 Von den Verbrechen und deren Strafen. (§§. 1-1577)

▼石部雅亮『啓蒙的絶対主義の法構造-プロイセン一般ラント法の成立-』(有斐閣、1969年) : 参考文献の紹介です。最近ではなかなか入手困難ですが。

▼H.シュロッサー著/大木雅夫訳『近世私法史要論』(有信堂、1993年)  

〔自然法学〕

フーゴ・グロチウス(Hugo Grotius, 1583-1645) : 「国際法の父」と称されるグロティウスは、1625年、『戦争と平和の法(De jure belli ac pacis)』を刊行した。本書は、その後350年以上にわたって国際法に関するもっとも著名な著作として知られている。リンク先は、九州大学付属図書館所蔵のグロティウス『戦争と平和の法』初版本である。画像で全文が読める(ただし、ラテン語)。

サミュエル・プーフェンドルフ(Samuel Pufendorf, 1632-1694) : リンク先は、櫻井徹「プーフェンドルフの法思想・素描」、『国際文化学研究 : 神戸大学国際文化学部紀要』10号、1998年、です。

クリスチャン・ヴォルフ(Christian Wolff, 1679-1754) : ドイツ自然法論の代表者ボルフに関する解説(Wikipediaの英語版)。彼によれば、人間の行為、現実にある自然法則や道徳法則はすべて理性を用いて認識され、かつ真実として証明されました。

Christian Wolff : こちらは、"Stanford Encyclopedia of Philosophy"におけるボルフの解説論文です。

 

 

[近代]

 

Document Archiv : 19世紀から20世紀にかけての歴史的文書を見ることができます。たいへん充実しています。

 

〔国制・憲法〕

Hauptschluß der außerordentlichen Reichsdeputation ["Reichsdeputationshauptschluß"] (25.02.1803)  : 帝国代表者主要決議(レーゲンスブルクで開催された帝国議会で採択)。神聖ローマ帝国最後の重要法律。これにより、小ラントは大ラントに併合され(帝国への直属性の否定)、大ラントはますます自立化を強めたため(1804年フランツ2世は「オーストリア皇帝」という称号を採用)、 帝国のレーエン制は最終的に破壊されたということができます。神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世がドイツの帝冠を放棄し、帝国国制の消滅を宣言したのは1806年のことでした。

Verfassung des Königreiches Bayern (26.05.1818) : 1815年ドイツ同盟(=諸国家同盟)の成立後、同盟所属の各国家は、一様に立憲君主制の樹立に向かいます。しかし、そこには、二つの波がありました。第一波は、フランス・ルイ18世の憲法(1814年)に追随するもので、おもに1810年代後半に成立した南ドイツの諸憲法(ドイツ初期立憲主義)がそれです(その一例として、1818年バイエルン王国憲法をあげておきます)。第二波は、ベルギー憲法(1831年)を模範とするもので、おもに1830年代に成立した北ドイツの諸憲法です。

Verfassung des Königreiches Sachsen (04.09.1831) : 第二波(北ドイツの諸憲法)の例として、1831年ザクセン王国憲法を紹介します。

Verfassung des Deutschen Reiches ["Frankfurter Reichsverfassung"] (28.03.1849)  : 1848年5月から開催されたフランクフルト国民議会によって採択された帝国憲法(1849年)。

[revidierte] Verfassungsurkunde für den Preußischen Staat (31.01.1850)  : プロイセン憲法(1850年)の全文(ドイツ語)が読めます。 これも第二波(北ドイツの諸憲法)の後発例といえます。 

Verfassung des Deutschen Reiches ["Bismarcksche Reichsverfassung"] (16.04.1871)   : 1871年ドイツ帝国憲法(いわゆるビスマルク憲法)の全文(ドイツ語)が読めます。

Verfassung des Deutschen Reichs ["Weimarer Reichsverfassung"] (11.08.1919) : 1919年ドイツ憲法(いわゆるワイマール憲法)の全文(ドイツ語)です。

 

〔民法〕

ティボー(Anton Friedrich Justus Thibaut, 1772-1840) : ティボーに関する説明(Wikipediaの英語版)。彼は、その著書『ドイツのための普通民法の必要性について』(1814)のなかで、普通ドイツ民法典への願望を表明しました。その思想は、啓蒙主義の合理主義に根ざすといわれています。

サヴィニー(Friedrich Carl von Savigny, 1779-1861) : ティボーの思想に明確に反対し、「理性」や「法典編纂」に代えて、「歴史性」や「民族精神」という概念を前面に押し出しました。彼に特徴的なのは、フランス革命やそれを支えた啓蒙主義・自由主義の諸理念に対する嫌悪であったといいます。法典編纂に反対したのも、彼にとっては、いかなる法典も非歴史的な自然法の所産であり、理性の思弁にほかならなかったからです。

パンデクテン法学(Pandektenwissenschaft, Pandektistik) : その目的は、「市民法大全」という法源を基礎にして、19世紀の社会的・経済的秩序のほう政策的綱領や需要にかなった、教義学的に自己矛盾のない新しい法体系を形成することでした。その理論的基礎となったのが、歴史的・体系的方法。サヴィニーは、その著『現代ローマ法の体系』(1840)において初めて体系と歴史性を総合し、現行法とその教義学に対する歴史的方法の実際的有用性を明らかにしたといわれています。

プフタ(Georg Friedrich Puchta, 1798-1846) : サヴィニーの弟子プフタは、(形式論理の規則に従って概念体系を構築するという)形式的・概念的思考方法を完成させたことで、パンデクテン法学の主たる代表者とされています。そして、後の実証主義(Positivismus)の先駆たる形式的な概念法学(Begriffsjurisprudenz)の真の創始者とみなされています。

 

ドイツ民法典(BGB) : 1896年に公布(1900年施行)されたドイツ民法典の解説。ドイツ民法典は、以下のように、パンデクテン式の編別を採用しています。

Allgemeiner Teil – er enthält wesentliche Grundregeln für das zweite bis fünfte Buch (vgl. Klammertechnik);

 Recht der Schuldverhältnisse – das römischrechtlich geprägte Schuldrecht enthält Regelungen für verpflichtende Verträge wie Kaufverträge, Mietverträge oder Dienstverträge;

 Sachenrecht – das deutschrechtlich geprägte Sachenrecht enthält insbesondere Regelungen für Eigentum und Besitz;

 Familienrecht – das deutschrechtlich geprägte Familienrecht enthält inzwischen die wesentlichen Regelungen über Ehe und Familie;

 Erbrecht – das deutschrechtlich geprägte Erbrecht enthält umfangreiche Regelungen zu Testament, Erbfolge und Erben.

 

◇特別講演◇ウルリッヒ・アイゼンハルト「ドイツ民法典の不完全性と法曹の力量」(立命館法学2000年5号,273号) : ドイツ・ハーゲン通信大学教授ウルリッヒ・アイゼンハルト Ulrich Eisenhardt 氏が、2000年11月5日、立命館大学国際学術交流研究会で行った講演の翻訳。サヴィニーを軸にドイツ民法成立史に言及。

福岡大学図書館ヨーロッパ法コレクション「法学の源流をたずねて-すべての法はローマ法に通ず- : 2006年11月に同図書館で開催された特別展『法学の源流をたずねて-すべての法はローマ法に通ず-』で公開された資料や解説を見ることができます。

 

〔刑法〕

Strafrechtsgeschichte : 刑法史の概説論文。著者はProfessor Dr. Bernd Heinrich。