司法史年表_1873

●明治六年一月八日 静岡県参事南部廣矛、市在戸長登庁集会で談案(『静岡県史料』三)
・・・既ニ東京ニモポリスト云テ盗賊其外ノ取締アリ此入用モ一旦ハ上ヨリ御出シナサレシガ此頃ハ町入用ト成リテ取締ヲ上ヘ御任セ申ト云様ニ為レリ当県下モ上ヨリ御定額ノ外ノ入用ヲ郡中一同ニテ差出シ盗賊其外ノ取締出来スレハ地方官モ其職ヲ尽シ下方ニテモ何程カ安心ナラム前ニ幾度モ諸費ヲ減省セヨト云ハ箇様ナル入用ニ遣ハニヤナラヌ故ナリ一同篤ト申合セテ猶見込ヲ申出ベシ

●明治六年一月一二日 東海道六県裁判所ノ内静岡県ヲ除ク外司法省官員派出当分見合(太政官達)
静岡県ヲ始東海道六県ヘ裁判所被置候段先般御達相成候処御詮議之次第有之静岡県ヲ除ク之外官員派出之儀当分可相見合尤不得止之情実有之官員差出候節者其時々可伺出候此段相達候也

●明治六年一月一九日 罪案凡例第二十四条改正(司法省第八号)
・・・・従来各府県開具スル所、一定ノ体裁ナク、往々其要領ヲ得サル者アリ、故ニ今供状ヲ以テ案罪トナシ、一字一言ノ際モ、勉テ冗ヲ去テ簡ニ就キ、蕪ヲ鋤テ潔ニ従ヒ、始ニハ其情ノ由テ起ル所ヲ見ハシ、中ニハ其意ノ在ル所ヲ明ニシ、終ニハ其事ノ既ニ成レル所ヲ詳ニシ、而シテ之ヲ律ニ照シ、填スルニ字眼ヲ以テシ、犯之首従、罪之公私、殺之謀故、盗之強窃等、判然復タ疑ヒヲ容ルヽ所ナカラシメンコトヲ欲ス、茲ニ其凡例書式ヲ示ス左ノ如シ
 明治五年十一月         司法卿江藤新平
  凡例
第一条 凡ソ罪案ハ、獄成ルノ後、推問書ニ於テ、律ニ照シテ、討論ヲ加ヘ刑名ニ関スル緊要ノ節目ヲ摘取シテ之ヲ作ルヘシ
第二条 紙ハ、美濃紙ヲ用ヒ、式ノ如ク藍絲欄(ケスヂ)ヲ施シ、一葉ニ一人ヲ記スルヲ法トス但シ数人共犯、其情罪軽キ者ハ、一葉ニ二人以上ヲ記シ、若クハ一人ト雖モ、罪件数多ニシテ一葉ニ記シ盡シ難キ者ハ、二葉以上ヲ用フルモ妨ナシトス、亦絲欄ヲ施スヘシ
第三条 書体ハ、真片仮名ヲ交シヘ、細字ニ書スヘシ
(以下略)

●明治六年一月二四日 静岡県参事浅野氏祐外二名廃官者ヘ金員給与ノ罪ヲ贖ハシム(『太政類典』2編354巻【11】)
   浅野静岡県参事外二名伺
本県ノ儀ハ兼テ申上候通他県ニ異リ貫属許多ノ士族有之其数凡七千人何レモ薄禄困窮ニテ未タ居宅無之者モ多分有之然ルニ授産ノ道十分立遺候儀モ不相成不本意ニ打過申候乍併其内用立候者ヘハ聊宛ノ俸金差遣シ官員ニ加置候間右ノ者ハ漸ク活計取続申来候趣旧県ヨリ申送リ有之ニ付右等ノ情実々地ニ付洞察仕候処授産ノ方法ハ暫時差置差向今般県治条例ニ基キ従前ノ官員廃止候節ハ忽必至困迫ニ陥リ候者多分出来候ニ付不取敢給助ノ策不相設候テハ此末如何成行可申候哉難計事情モ御座候ニ付廃點ノ官員俸金百五十円取以下ノ者ヘ撫育ノ為メ有合金ノ内ヨリ五千百零四円振向申候条其機会一時不得止場合ニテ処置仕候得共全条例ヲ犯シ専決ノ段幾重ニモ奉恐入候依之如何相心得可申哉謹テ奉仰朝裁候也 壬申四月
   司法省伺
職制律詔書有違条官ノ文書ヲ施行スルニ故サラニ違フル者ハ杖八十私罪例ニ依リ
 贖罪金二十四両  静岡県参事  浅野氏祐
 同        同県権参事  長澤正宏
 同        同県七等出仕 服部常純
右適律申上候也 壬申十一月廿三日
(朱書)
「上請之通 一月廿四日」

●明治六年一月三〇日 罪囚ヲ繋獄スル着衣ノ外携フルヲ許サス并所持品処分(『太政類典』2編363巻【64】)
凡囚犯ヲ繋獄スレハ着衣之外携フルコトヲ許サス若シ其前旅店等ニテ捕獲シ所持ノ物品アレハ事宜ニ依リ官ニ領置スト雖モ準流以下決放ノ者ハ満限ノトキハ皆之ヲ還與シ終身禁獄終身懲役及ヒ死罪或ハ未決已決ヲ問ハス繋獄中ニ病死スル者ノ隕命ノトキ身ニ纏フ衣服官ニ領置スル物品ハ其親戚ヘ下附ス親戚ナケレハ没入ス若シ親戚遠地ニアリ逓送之経費ヲ致スモノハ物品ヲ販売シテ其代価ヲ交付ス

●明治六年一月(日欠) 懲役人等満限ノ節地方官ニ於テ放免セシム(『太政類典』2編363巻【62】)

●明治六年一月(日欠) 静岡県「諸願伺郵便差出」(アジア歴史資料センターRef.A07090077000『府県概則』第一六巻(国立公文書館))
諸願届等差出候節是迄其当人並村役人一同罷出申立候得共遠隔ノ村方多分ノ入費相掛難渋不少儀ニ付以来便利ノ為事柄書面上ニテ相分ル分ハ当人差添人トモ罷出ニ不及郵便又ハ良便ニ封状ヲ以可差出右方法左ノ通可相心得事
(後略)

●明治六年一月(日欠) 静岡県「市中心得」(アジア歴史資料センターRef.A07090075000『府県概則』第六巻(国立公文書館))
一御高札并布告ノ趣相守上国恩ニ報ルヲ心懸下孝友ヲ盡シ喧嘩口論無之互ニ家業ヲ励ミ鰥寡孤独廃疾ハ親類戸長始町内申合常々心付其趣可届出事
一諸官員華士族ヘ不礼無之様心懸平日長幼ノ序ヲ正シ礼儀ヲ可厚事
 (中略)
一商売向実直ニ取引可致金穀貸借ハ相互ノ融通ニ付貸方ハ利息尋常タルヘシ借方ハ返済ノ期ヲ不違様肝要タルヘシ貸家貸地モ正路ニ致スヘキ事
 (中略)
一宿屋渡世ハ勿論町々ニ於テ他所旅人無謂滞留為致候儀不相成御用ニ付何方ヨリ出張候トモ二日余ノ止宿ハ事柄姓名書記シ可届出事
 (中略)
一証拠条理ナキ訴訟ハ時日ヲ費シ却テ困窮ノ基[#「証拠条理ナキ訴訟ハ時日ヲ費シ却テ困窮ノ基」に傍点]ヲ醸シ候ニ付相慎可申無拠訴訟諸願ハ戸長副戸長ヘ申立ノ上奥印ヲ受差出可申事
一官員士族並下人ニ至迄権威ヲ振ヒ私曲ヲ搆エ無理ヲ仕掛ル事アラハ不隠可訴出事
 (後略)

●明治六年二月七日 子弟ノ不良ニ因リ徒場入願出ル者取扱方(東京府宛司法省回答)(『太政類典』2編363巻【104】)
父兄等其子弟ノ不良ナルニヨリ一旦懲責ノタメ徒場入願出ルモノハ従前御府ニ於テ其情実取糺シノ上御差許相成来候処右ハ専ラ聴訟ニ相係リ候儀ニ付裁判所ニ於テ取調ノ上徒場ヘ差送候様被成度段御掛合ノ趣致承知候爾後右様ノ者有之候ヘハ裁判所ヘ御差廻可有之此段及御回答候也

●明治六年二月一三日 地方諸省所轄ノ官員軽罪処断ノ儀裁判所アル向ハ同所ヨリ直ニ本人ニ達セシム(司法省第一五号)

●明治六年二月一四日 罪按書式並凡例更正(司法省第一六号)(明治一三年七月一七日太政官第三七号布告治罪法により消滅)
罪案書式並凡例ノ儀昨年頒布以来改正之箇条有之今般更ニ及布達候条此旨相達候也
(別紙)
罪囚前ニ在リ、法ヲ案シ、罪ヲ定ムルニ其以テ議擬論定スル所ノ者、一ノ供状ニ拠ルノミ、然レハ則一字之上、一言之下ニシテ、生殺之分定マル、供状ノ係ル所、豈容易ナランヤ、従来各府県開具スル所、一定ノ体裁ナク、往々其要領ヲ得サル者アリ、故ニ今供状ヲ以テ案罪トナシ、一字一言ノ際モ、勉テ冗ヲ去テ簡ニ就キ、蕪ヲ鋤テ潔ニ従ヒ、始ニハ其情ノ由テ起ル所ヲ見ハシ、中ニハ其意ノ在ル所ヲ明ニシ、終ニハ其事ノ既ニ成レル所ヲ詳ニシ、而シテ之ヲ律ニ照シ、填スルニ字眼ヲ以テシ、犯之首従、罪之公私、殺之謀故、盗之強窃等、判然復タ疑ヒヲ容ルヽ所ナカラシメンコトヲ欲ス、茲ニ其凡例書式ヲ示ス左ノ如シ
  明治五年十一月        司法卿江藤新平
【凡例】
第一条 凡ソ罪案ハ、獄成ルノ後、推問書ニ於テ、律ニ照シテ、討論ヲ加ヘ刑名ニ関スル緊要ノ節目ヲ摘取シテ之ヲ作ルヘシ
第六条 囚、冤枉ナキヲ証スルハ、名下ニ花押ヲ書セシム、花押ナキ者ハ、墨肉ヲ以テ拇指紋(男左女右)ヲ押シ印ニ代フ
第七条 罪名ヲ掲ルニ二罪以上ノ者ハ、一ノ重罪ニ従フ
第八条 囚、淹禁ナキヲ要ス、故ニ捕ニ就クノ年号月日ヲ掲ケ結審《ギンミズミ》ニ到ルニ、幾個日ヲ閲ルヲ見易カラシム、其自首スル者モ亦同シ、但シ其初度タルヤ否ヲ明カスヘシ
第十条 拷訊ハ、濫リニ用フルヲ許サヽレハ、若シ拷訊ヲ経ル者ハ、其幾次タルヲ掲クヘシ
第二十七条 人命ハ、宜シク慎重ヲ加ヘ、謀故闘ノ間、尤モ注意スルコトヲ要ス、故ニ凡ソ殺傷ハ、吏員医師ノ検験書類ヲ、各裁判所ニ備ヘ置キ、其所携之器械、手下之先後、所傷之処所被創之軽重、及ヒ月日地名、登時殺死、或ハ死ニ至ルノ日数トヲ詳細ニ記載スヘシ
(後略)
【施行順序】
一各裁判所死罪ヲ申請スルハ罪案二通(本紙写書)ヲ浄写シ本省ニ出ス本省擬律シテ写書ノ紙尾ニ刑名ヲ書シ諸員検査ノ印ヲ押シ 天裁ヲ経ルノ後其擬律シタル写書ハ省中ニ留メテ編纂シ本紙ニ経裁ノ刑名ヲ書シ省印ヲ押シ下付ス但シ各裁判所流以下断刑モ是ニ準シ罪案二通ヲ作リ本紙刑名ニ長官押印シ処決之後写書一通ハ本省ニ申スルニ擬ス
一本省ニ申請スルニ罪案ノ外ニ別ニ式ノ如ク裁判所課長判事ノ断刑伺一紙ヲ添フ可シ
一本省擬律ハ申請ヨリ三日ヲ以テ程トナス其難獄疑獄ノ須ク議論ヲ盡スヘキ者ハ此限ニアラス
一天裁ヲ経ル者司法省裁判所東京裁判所ハ三日内ニ処決シ各府県裁判所ヘハ三日内ニ下付ス但シ各府県裁判所ハ回報到レハ亦三日内ニ断決スヘシ
一罪人ヲ処決スレハ罪案ニ年号月日決ト朱書シ各律ヲ区別シテ編集スヘシ
(後略)
【罪案書式】(略)

●明治六年二月一五日 浜松県令より司法卿宛囚人他県へ引送取計振の儀に付伺(『静岡県史料』一四(県治紀事・遠州之部))

●明治六年二月一八日 各地邏卒規則方法共警保寮ノ指揮ニ従ハシム(司法省布達第一九号)(『太政類典』2編145巻【13】)
各地方ニ於テ是迄各自ノ規則ヲ立邏卒ヲ置取締致候向モ有之候処右規則方法等警保寮ノ照知ヲ不経候テハ不都合モ有之候間既ニ立テ置キ有之候分又ハ新タニ立テ置ントスル分ヲ論セス其規則方法共警保寮ヘ可伺出候事

●明治六年二月一八日 検事検部裁判所ヘ出張ニ付心得方(司法省指令)

●明治六年二月一九日 県捕亡事務ヲ司法省ニ属ス(司法省申立)(『太政類典』2編17巻【15】)

●明治六年二月二〇日 絞罪器械改正(太政官第65号(布))

●明治六年二月二〇日 浜松県令より司法卿宛刑律の儀に付伺(『静岡県史料』一四(県治紀事・遠州之部))

●明治六年二月二三日 絞罪器械製作方法等ハ司法省ヘ伺ヒ出サシム(司法省第二一号)

●明治六年二月二四日 断獄則例(司法省第二二号、明治一三年七月一七日太政官第三七号布告治罪法により消滅)
第一則 断獄ノコト慎重ニス可クシテ軽率ニス可カラス故ニ細事件ト雖トモ判事必ス之ヲ反覆推問シテ結案ヲナス可シ然ト雖モ天下ノ広キ獄訟ノ繁キ判事豈能独リ枉ナキヲ保ンヤ今|会同《タチアヒ》ノ員ヲ設ケ傍聴ノ人ヲ容ルス者ハ有司ノ私ナクシテ片言亦其公正ナルヘキヲ示ス所以ナリ
第二則 会同ノ員判事一名検事一名解部一名判事専ラ推問ニ任シ解部口供ヲ登記シ検事傍ニ在テ査核《キヲツケル》ス
第三則 推問ハ判事ノ専権タリト雖トモ或ハ他ノ案件アルニ遇フテ毎次莅ム能ハサル者ハ初席推問ヲナシ嗣後解部ニ委シテ究訊セシム
第四則 罪囚ヲ取勾《ヨビダス》スル預シメ囚ノ姓名及ヒ鞠訊スヘキ日時ヲ将テ囚獄官ニ告ケ押解セシメ之ヲ裁判所|歇倉《タマリ》ニ停メ喚問《ヨビダシギンミ》ヲ俟タシム
第五則 断獄庭内新聞紙発兌人ノ外間雑人擅ニ出入スルヲ許サス但戸長等傍聴ヲ請フ者ハ之ヲ聴ス
第六則 断獄ノ位置右ヲ上トシ判事柵欄ヲ距ルコト五尺解部判事ノ左リ中階ニ在リ検事判事ノ右斜メニ面ス各前ニ卓ヲ置キ椅子ニ踞ス解部見坐ニ命シテ囚ヲ牽テ柵欄ノ下ニ立タシム判事囚ノ貫趾姓名年齢及ヒ祖父母父母ノ存没妻子ノ有無ヲ問ヒ方纔ニ其犯罪ノ顛末ヲ推訊ス解部囚ノ供ニ随テ之ヲ詳記シ案成リテ囚ヲ倉ニ回シ各官房ニ入ル解部式ニ依リ罪案ヲ草シテ判事ニ呈ス判事之ヲ検事ニ示シ再ヒ堂《シラス》ニ陞リ囚ヲ喚ヒ供ニ照シテ覆審シ反異《クチヲカヘル》ナキヲ俟テ解部罪案ヲ読與シ《ヨミワタシ》拇印セシム
第七則 推問解部ニ委スル者ハ余ノ解部一名之ニ副トシ検事前ヲ照シテ会同シ委任ノ解部専ラ推問シ副口供ヲ登記シ推問ニ関セスト雖トモ事理ヲ暢達スルコトヲ得可シ
第八則 解部推問シテ其実ヲ得獄成ラハ罪案ヲ判事ニ呈シ判事覆審シ拇印ヲ取ル第六則ノ例ノ如シ
第九則 初次推問ノ官員案《メヤス》未タ成ラサルニ他人代替《カワリアヒ》スルコトヲ許サス若シ事故アリ代替スル者ハ推問ノ順次ヲ以テ替人ニ告知ス可シ
第十三則 強盗人命等ノ重案ヲ推問スルハ其囚ノ供出スル所ヲ詳記シ毎次ニ其拇印ヲ責取シ以テ宿姦老賊ノ口供ヲ反異スルヲ防ク可シ

●明治六年二月二五日 徒場ヲ懲役場ト換称(太政官第七一号(布))(『太政類典』2編363巻【3】)
   司法省伺 (付箋)「六年二月九日(月)」
死罪ヲ除キ笞杖徒准流四刑ニ該ル罪囚ヲ処決スルニ笞杖ハ実決シ徒准流ハ地方ノ便宜ニ従ヒ役使スル律例ニ有之候処壬申十一月監獄則并ニ図式御頒布笞杖ノ実決被廃止終身懲役以下ノ懲役方法同書中ニ備載候因テ従来ノ徒場ヲ懲役場ト称ヘ換相成度存候間御布告案相添此段相伺候也 二月九日
(朱書)
「伺之趣布告相成候事 二月廿五日」

●明治六年二月(日欠) 浜松県、違式詿違条例(浜松県第九号)を頒布(『静岡県史料』一二(県治記事・遠州之部))

●明治六年二月(日欠) 〔乞食宿村送の件〕(神奈川大学日本常民文化研究所『(城之腰村)御用留』)
先般乞食共処分方トシテ捕亡吏出役致シ候節所ノ戸長副戸長江之御達方行違候哉此程戸長送リニ而差出候分途中ヨリ被差戻候分茂有之右乞食共宿村送之義者県印之添翰無之而者他管内ニ於テ継送方不取計候ニ付以来他管下出生之乞食共当管内徘徊致シ居リ宿村送リ取計候節ハ県庁ヨリ添状送リ可差出ニ付其段可申立候事
 明治六年二月         静岡県参事南部廣矛
戸 長
副戸長

●明治六年三月二日 浜松県令より司法卿宛刑律及び繋囚の儀に付伺(『静岡県史料』一四(県治紀事・遠州之部))

●明治六年三月一〇日 静岡県、清水港徒場を懲役場と改称し、従前の吏を免じ、さらに懲役場出張吏を置く(『静岡県史料』二(県治紀事本末)

●明治六年三月一九日 韮山区裁判所中に足柄裁判所検事局を分派し、捕亡吏を同局へ引き渡す(『静岡県史料』五(県治記事・豆州之部))
今般足柄裁判所検事局官員出張ニ付捕亡吏同下使之者同局江本日引渡候間已来御用向之儀韮山区裁判所同局掛差図ヲ受可申候仍而此段相達候也

●明治六年三月二二日 懲役場狭隘ノ地方ハ笞杖実決セシム(司法省第三九号)

●明治六年三月二二日 聴訟日々表並断獄表共雛形ニ照シテ取扱ハシム(『太政類典』2編348巻【21】)

●明治六年三月二二日 浜松県令より司法卿宛刑律の儀に付再伺(『静岡県史料』一四(県治紀事・遠州之部))

●明治六年三月二九日 浜松県令より司法卿宛刑律の儀に付再伺(『静岡県史料』一四(県治紀事・遠州之部))

●明治六年四月四日 自首条例(〔太政官〕〔定〕(司法省からの伺))(『太政類典』2編345巻【26】)
凡犯罪人ノ官ニ陳告セント欲スルヲ知テ自首スル者ハ本罪ニ一等ヲ減スル律ヲ改メ減二等ニ従ヒ官ノ捕獲セント欲スルヲ聞テ自首スル者ハ本罪ニ一等ヲ減ス
凡越獄逃走シテ自首スル者ハ止タ逃罪ノ二等ヲ減シテ本罪ハ首減ヲ聴サス

●明治六年四月一〇日 各府県裁判所出張検事局分課ヲ定メ之ニ照準セシム(府県裁判所長宛司法省(達))

●明治六年四月一二日 各府県裁判所出張検事局分課(司法省(回達)) 
各府県裁判所出張検事局分課
   検事       一員
一一切ノ本務ヲ総摂ス
   検部       一員
一諸文書ヲ受付シ及ヒ庶務ヲ掌ル
   検部       二員
一罪犯ヲ探索捕亡スルコトヲ掌リ逮部出張所ヲ巡廻シ逮
 部以下ノ勤怠ヲ監視ス
   検部       二員
一裁判所ニ出張シ裁判ノ当否ヲ監視ス
   逮部或ハ御用掛リ 従五員至八員
一罪犯ヲ探索捕亡ス

区裁判所出張検事局分課
   検部       二員
一裁判ノ当否及探索捕亡等ノ事務ヲ総提ス
   逮部或ハ御用掛リ 従四員至七員
一職掌上ニ同シ

逮部出張所
 逮部出張所ハ地方ノ広狭便宜ニ因リ其管内ニ数個ヲ置
 キ事務ノ緩急ニ便ナラシム
   検部       一員
    但シ少検部権少検部或ハ等外一等ノ内ニテ之ニ充ツ
一探索捕亡ヲ掌ル
   逮部或ハ御用掛リ 従四員至七員
一職掌上ニ同シ
一凡検事以下ノ人員ヲ預定スルト雖トモ各地方事務ノ繁簡ニ循ヒ増減スルコトヲ得ヘシ
(後略)

●明治六年四月一二日 檻倉入ト監獄送附ノ囚人トノ区別ヲ示ス(司法省(検事局)達)
檻倉ノ囚ハ未タ初席ノ推問モ経サル者又ハ極メテ微罪ニテ一時拘留スル者ニ限リ候筈ニ付其他ハ一切檻獄ヘ送付可致事但臨時裁判所ニ属スルノ囚及ヒ不得已事理有之者ハ此限ニアラス

●明治六年四月二三日 府県限リノ布令ニシテ裁判上ニ関スル条件ハ其裁判所ノ照知ヲ経セシム(司法省第六二号)

●明治六年四月二八日 郵送ノ訴状ハ取上裁判セス(司法省布達)(『太政類典』2編337巻【8】)
爾来郵便等ヲ以テ訴状差出候者往々有之右ハ体裁ニ於テモ不都合ニ渉リ実際ニ於テモ裁判難相成ニ付以来右等ノ書類差出候節ハ一切不取上其時々焼捨候条此旨相達候事

●明治六年五月一九日 人相書ヲ以テ捕縛方ヲ開申スル節死以上ノ所業ニ係ル者ノ具状方ヲ示ス(司法省第七八号)

●明治六年五月二二日 裁判所設置ノ府県ニ限リ捕亡吏司法省所轄ニ付経費支給方(太政官(達))

●明治六年六月四日 浜松県令より司法大輔宛刑律の儀に付伺(『静岡県史料』一四(県治紀事・遠州之部))

●明治六年六月七日 第七十八号罪犯捕縛方之儀以来裁判所ニテ取扱ハシム(司法省第八六号)

●明治六年六月一〇日 各府県目安箱ヲ廃ス附建言上書等差出方(『太政類典』2編337巻【3】)
府県ニ於テ是迄目安箱設置候処自今相廃候条此旨相達候事但建言上書等ハ集議院並ニ各地方庁ヘ直ニ可差出候事

●明治六年六月一三日 改定律例(太政官第二〇六号(布))

●明治六年六月一五日 浜松県令より司法大輔宛刑律その外の儀に付伺(『静岡県史料』一四(県治紀事・遠州之部))

●明治六年六月一五日 浜松県令より司法大輔宛訴訟裁判の儀に付伺(『静岡県史料』一四(県治紀事・遠州之部))
一凡ソ貸金証書中万一期限ニ至リ当人返済出来兼候ハヽ証人引受迷惑相掛間敷等書載有之候分者本人共ニ身代限申付候哉又者本人死失逃亡等ニ無之候ハヽ総テ本人而己身代限申付候哉
一貸金証書中証人方江相当質物預置云々有之候共其品名及ヒ員数等之記載無之分者総テ書入有之貸金ト者見做シカタキ哉
一貸金証書中田地壱ヶ所書入云々有之候共高反別字等之記載無之分者書入ニ不相立候哉
一年賦済質金仮令者十ヶ年之内壱ヶ年者数之如ク返済シ四年者全ク滞リ六年目ニ至リ訴出ス等者未タ年限中ト雖直チニ身代限ヲ以一時ニ済方為致可然哉
一親族相互之貸借金又者預ケ金滞訴訟者人民一般之詞訟ト同シク准理スヘキ哉
一若シ准理致候節仮令者別居兄弟姉妹之間預金有之兄姉若ク者弟妹其金ヲ費用シ身已ニ死スル之後兄姉ヨリ弟妹之子弟妹ヨリ兄姉之子ヲ相手取リ訴出済方難出来節者相手之モノ先人之費用ニ係ルト雖直ニ後嗣身代限抵償可申付乎
一右之外詞訟百端其情不一事ニ際シ時ニ臨ミ相伺候而者自然事務潦滞ヲ生シ可申若臆断ヲ以準判致シ候而者恐クハ法度不均之弊ヲ生シ従テ人民之権利ヲ障礙セシムルニ至リ可申哉ト存候仍テ者御省ニ於テ詞訟御取扱上条例等御編述相成居候ハヽ速ニ御示シ相成候様仕度
右条々相伺候間至急御指令有之候様仕度此段相伺候也
 明治六年六月十五日   浜松県令 林厚徳
        福岡司法大輔殿

第一条 本人身代限ニテ不足之分者証人江済方申付ケ若シ相済サルニ於テ者本人同様身代限処分ニ及フ可キ事
第二条 事実手続書ヲ以テ可伺出事
第三条 伺之通
第四条 年賦金滞リ之四ヶ年分ヲ返済致サセ若シ返済出来サル時者身代限リ之裁判ヲ為ス可シ
第五条 伺之通
第六条 伺之通
第七条 詞訟者総テ法律ニ依リテ裁判ス可ク其法律者従前之立憲及ヒ官省之布告布達ニ存シ候事故右類ヲ研究致スヘク別段編述シタル取扱条例者未之ナキ事
 明治六年七月五日

●明治六年六月一八日 代人規則(太政官第二一五号布告)

●明治六年六月二〇日 静岡県より警保寮宛邏卒取締法則等の儀に付伺(『静岡県史料』三)
当県管内悪徒為取締ぽりす取設候積規則并方法等組建候処今般第十九号御布達に付則別紙規則方法相伺申候可否御差図有之候様仕度候也
 明治六年六月     静岡県参事南部廣矛
     警保寮御中
 ○別紙
(中略)
   管内邏卒屯所
第一大区駿東郡
  沼津屯所  一等邏卒取締  弐人 月給六円宛
            二等邏卒      四人   四円宛
第二大区富士郡
  大宮町屯所 二等邏卒取締 弐人 月給五円宛
             二等邏卒     弐人 同 四円宛
第三大区庵原郡之内
 四大区有渡郡
  興津駅屯所 一等邏卒取締 弐人 月給六円宛
             二等邏卒     四人 同 四円宛
第四大区有渡郡之内
第五大区安部郡
  静岡屯所 但持場 二等邏卒取締 一人 月給五円
           在方   二等邏卒   二人 同 四円宛
同郡之内
  静岡屯所 但持場 二等邏卒取締二人 月給五円宛
           市中   一等邏卒   二人 同四円五十銭宛
                  二等邏卒    十八人 同 四円宛
第六大区志太郡之内
 七大区益頭郡
  田中屯所  二等邏卒取締  二人 月給五円宛
            一等邏卒      二人 同四円五拾銭宛
            二等邏卒      二人 同 四円宛
   月給合金弐百九円
   屯所六ヶ所入費
   一ヶ月金十八円 但一ヶ月一ヶ所金凡三円宛
   二口合金弐百弐拾七円
   壱ヶ年
     合金弐千七百弐拾四円
    内三分一 金九百八円    官費
     三分二 金千八百拾六円 民費
   ○邏卒自守規則
第一則 管内ノ取締ハ庶人安堵営業ノ為ニ差置レ候儀ニ付其旨相心得専ラ行義作法ヲ正シ決シテ威権ヶ間敷儀致スマシキ事
第二則 御布告ヲ遵奉シ長官ノ令ヲ固守ス可キ事
第三則 存付ノ儀アラハ一人ニテ可申立大勢申合申立候儀不相成事
第四則 混毒伝染病ニ罹リ候者ハ速ニ取締ヘ申立差図ヲ受進退可致事
第五則 巡邏中行路并営業ノ妨不相成様可心附事
第六則 市在并往来ノ者ヲ取扱ニハ柔和ヲ旨トシ弁ヘ無キ者ハ殊更穏ニ説諭シ決テ凌辱ヲ加ヘ手荒ノ所置致ス間敷事
第七則 取調ノ為メ人家ニ至ル節ハ接応筋総テ懇篤ニ致ス可ク但公私ノ分ヲ守リ狎々敷不相成様可心附事
(中略)
第十三則 公事出入等ヘハ一切関係致間敷若シ強テ相頼候者アラバ可申出事
第十四則 人ノ吹挙等周旋世話致シ候義一切不相成事
第十五則 児童タリトモ石打犬打楽書等ノ戯可制止事
第十六則 官ヨリ被相渡候得物之外兵器ヲ携候儀不相成事
右之条々厳重可相守者也
   ○邏卒取締法則
第一則 邏卒ノ儀ハ諸民ヲシテ安全自由ヲ得セシメン為メ設ル所ナレバ第一信実ヲ旨トシ無益ニ厳刻凌辱ヲ加ヘ又ハ愚弄ノ所作言語等決シテ之レ有可ラス諸事穏和ニ取扱ヒ下ノ為メニ手引者ト為ルノ心得ヲ以其便利ヲ得セシム可キ事
第二則 役々ノ向ハ此規則ヲ遵奉施行スルヲ任トス或ハ怠リテ施行セサル歟又ハ施行ノ法宜シキヲ得サルトキハ其命ヲ執ル者ノ落度タル可キ事
第三則 毎大区ニ屯所別紙箇所附ノ通相設候事但毎大区ノ内何区ヨリ何区迄甲ノ持場何区ヨリ何区マデ乙ノ持場ト次第ニ之ヲ定メ置ベシ
第四則 県庁ヨリ各所屯所ヘハ郵便或ハ飛脚ヲ以テ互ニ緩急応援可致事但電信機有之場所ハ臨機コレヲ用ユルコトアル可シ
第五則 取締ハ其部下ヲ取扱フニ誠意ヲ旨トシ時々訓導シ其識ヲ勤メ易カラシムベシ余リ馴々敷又ハ不作法ノ所業アル間敷事
第六則 取締ノ行状ハ部下ノ模範ト成可キ義ニ付部下ノ不行状ハ取締ノ落度タルヘキ事
第七則 取締ハ部下ニ配賦スル処ノ諸器械并給料等ノコトヲ掌ル可キ事
第八則 取締ハ其持区ハ勿論隣区ニ至ルマデ平常視察シ若事変アラハ合図次第応援ス可キ事
第九則 取締ハ部下見廻リノ者ヨリ差出セル手帳ヲ日々検査シ其趣具状本庁長官ヘ達ス可キ事
第十則 取締ハ部下ノ行儀作法ヲ糺シ其争論ヲ制止ス可キ事
第十一則 捕縛致スベキハ火附盗賊人殺之類現場見請タル者ニ限ル可シ其余ハ県庁ノ指揮ヲ受サレハ捕縛ス間敷事
第十二則 捕縛ノ者ハ糺問ニ不及取締ヨリ其見分ノ次第具状部下ノ者差添県庁ヘ可差出事
   ○取締規則
第一則 持区中適宜ノ人数昼夜無間断巡邏致シ第三則以下ノ規則ニ注意シ見当次第其処置ヲ為ス可シ但可成丈諸民営業ノ妨ニ成ラサル様可心附事尤忍廻リ等ハ県庁長官ノ指令ニ寄ル可キ事
第二則 取締筋ニ関係ノ御布令并本件頒令等ニ違背スル者アラバ可相糺事
第三則 徒党隠謀潜伏ノ者見聞候ハヽ取締ヘ報シ取締ヨリ速ニ県庁長官ヘ可申出事但事情難差延分ハ臨機捕縛県庁ヘ可差出事
第四則 乱暴狼藉等致ス者アラバ穏ニ制シ時宜ニ依リ取押ヘ屯所ヘ連行事情承糺シ軽卒無害ハ臨機宥免シ重事ニ関スルハ県庁ヘ可差出事但軽事ト雖トモ一周毎ニ有無共県庁ヘ可届出事
第五則 往還ヘ不潔ノ品ヲ捨又ハ車馬ヲ街傍ニ置キ商売品ヲ往還ヘ張出シ往来ノ妨ト相成者ハ可制事
第六則 飲量ニ用ヒ候河水ニ汚穢ヲ洗ヒ又ハ溝水ヘ芥ヲ捨或ハ芥捨場相嵩ミ又妄リヶ間敷候ハヾ心附可成丈清潔ニ可為致事
第七則 山林及ビ路傍ノ植物等ヲ妄リニ伐取候者ハ厳ニ可制止事
第八則 無提灯ニテ人力車ヲ曳或ハ騎馬致シ又裸馬ニ乗リ又群集中車馬ヲ粗暴ニ馳候者可制止事
第九則 免許ヲ得ズシテ花火ヲ放候者可制止事
第十則 途中ノ急病或ハ行斃レ溺死捨子迷子等ハ見掛次第最寄戸長副ヘ可報知事
第十一則 暗夜深更ニ及ビ徘徊致シ怪敷見受ル者アラバ屯所ヘ連行取締ノ差図ヲ可受事
(以下、第十二~二十六則省略)
右之条々厳重可相守もの也
  明治六年六月二十日
右指令
 当分仮規則之心得ヲ以テ施行可有之事
                  警保寮 印

●明治六年六月二四日 改正閏刑律中禁錮ヲ禁獄ニ改ム(太政官第六九号布告)

●明治六年六月二四日 従来各地方ニ於テ邏卒又ハ取締組或ハ捕亡吏等ノ名称ヲ以テ其実番人ノ職ヲ奉シ居候類ハ都テ番人ト改称可致(『太政類典』2編145巻【14】、太政官第二二五号(布))

●明治六年七月九日 罪人留置中ノ入費官民ノ区別各地方従前仕来ノ通タラシム(『太政類典』2編363巻【18】)

●明治六年七月一〇日 禁獄人獄舎新築マテ自宅ニ置クヲ許ス(『太政類典』2編363巻【71】)
   司法省伺 (付箋)「七年七月四日伺」
去月廿四日禁錮ヲ禁獄ニ被改候以来地方裁判所或ハ府県等ヨリ獄舎ハ総テ罪囚充満致居此上禁獄ノ者ヲ盡ク繋獄致候事ハ目下実際難被行依テハ禁獄獄舎ハ別段新築相成可申哉等ノ趣追々伺出候処右ハ各府県ヘ一時ニ御新築モ難相成筋ト相考候間右御新築出来候迄ハ繋獄ノ振合ヲ以テ其自宅中一ト間ヲ締リ相付ケ置候様ニテハ如何可有之候哉(中略)
(朱書)
「伺之通 七月十日」

●明治六年七月一〇日 小塚原刑場廃止(東京府伺への司法省指令)(『太政類典』2編347巻【14】)

●明治六年七月一五日 懲役終身以上ノ刑司法省へ伺ノ上処断(司法省達甲第八号)(『太政類典』2編347巻【16】)

●明治六年七月一五日 浜松県令より司法大輔宛刑律の儀に付伺(『静岡県史料』一四(県治紀事・遠州之部))

●明治六年七月一七日 訴答文例並ニ附録(太政官第二四七号(布)、九月一日施行) 
(目次)
第一巻 原告人ノ訴状
 第一章 原告人ヨリ被告人住所身分ノ書付ヲ取ル事
 第二章 代書人ヲ用フル事
 第三章 訴状ノ定則ノ事
 第四章 訴状ノ書式ノ事
 第五章 一冊ノ訴状ハ一事件ニ止ル可キ事
 第六章 一冊ノ訴状ニシテ二件以上ヲ合スヲ得ル事
 第七章 原告人連名ノ訴状ノ事
 第八章 連名ノ被告人ヲ訴フル事
 第九章 譲証文ヲ以テ訴ル事
 第十章 代言人ノ事
第二巻 被告人ノ答書
 第一章 答書ノ定則ノ事
 第二章 代書人ヲ用フル事
 第三章 代言人ノ事
 第四章 原告人ノ返リ証文ヲ所有シタル答書ノ事
 第五章 原告人ヨリ返済延期ノ約ヲ破リタル答書ノ事
 第六章 原告人証書ヲ偽造シタル答書ノ事
 第七章 経界ヲ争フ答書ノ事
 第八章 既ニ訴ヘラレタル事件ニ未タ訴ヘサル事件ヲ接続スル事
 第九章 対決前熟議解訟ヲ為シタル答書ノ事
 第十章 対決前返済延期ノ約定ヲ為シタル答書ノ事
 第十一章 対決前親戚又ハ朋友ヨリ代償ノ延期ヲ約シテ解訟ヲ為シタル答書ノ事
 第十二章 対決前親戚又ハ朋友ヨリ代償延期ノ約定ヲ為シタル答書ノ事
 訴答文例附録

●明治六年七月一九日 各地方違式詿違条例(太政官第二五六号(布))

●明治六年七月二〇日 静岡県農善左衛門妻ヲ毒殺スル罪ヲ軽減ス(司法省伺)(『太政類典』2編362巻【39】、『刑法決裁録』一)
   司法省伺
別冊口書静岡県管民善左衛門其妻リエヲ毒殺スル顛末取調候処妻リエ久シク悪疾ニ罹ルヲ以テ善左衛門厚ク療養ヲ加ヘ又ハ産神祈念スト雖モ更ニ効験ヲ得ス之カ為父母ノ奉養ヲ盡スコト能ハス加之リエ性狼戻ニシテ父母ノ教令ニ違犯スルコト屡ニ及フ善左衛門親ニ奉セントスレハ妻ヲ養フコト能ハス妻ヲ養ハントスレハ親ニ奉スルコト能ハス不得止其情ヲ忍ヒ鼠薬ヲ飯ニ和シ妻之ヲ食フテ死ス律ニ依リ貼案ノ如ク絞ニ処ス可ト雖モ畢竟親ノ奉養闕クラ患へ事情切迫ノ余ニ出ルヲ以テ座スルニ常律ヲ以テシ難キモノアリ依テ死罪一等ヲ減シ懲役十年ニ擬シ発配可致処父母老ヒ家ニ侍養ノ子孫ナキヲ以テ律ニ拠リ存留養親可申付哉又ハ常律ニ処断可致哉別冊口書相添此段御裁下ヲ仰候也 七月十日
(朱書)
「伺ノ趣死一等ヲ減シ懲役十年ニ処スヘキ処父母老ヒ侍養ノ子孫ナキヲ以テ存留養親ノ律ニ拠リ処断可致事」
 貼案(略)

●明治六年(月日欠) 静岡県「巡警鑑札」(アジア歴史資料センター『府県概則』第二一巻(国立公文書館))
管内邏卒ノ者ハ何レモ当県ノ印章所持致シ居候間万一市在等ニ邏卒ノ趣ヲ申罷越如何ノ所業等致シ候者ハ右印章有無取調ノ上其所ヘ留置早々県庁ヘ可届出事但印鑑雛形相達候条一村一枚ツヽ可引取候
右ノ通不洩様可相触者也
印     静岡県何大区
       一等
章     二等邏卒
         何 之 誰

●明治六年七月二〇日 〔静岡県邏卒附属任命の件〕(神奈川大学日本常民文化研究所『(城之腰村)御用留』)
一邏卒之義者諸民ヲシテ安全自由ヲ得セシメントノ御主意ニテ第六第七両区江四人之邏卒御取設相成候処右区内場廣ニテ僅四人ニテハ巡邏行届兼候ニ付宿村適宜之人数取極可申右者宿村居住之士族又者元番人等ヲ人選邏卒附属ニ致し小区内昼夜無油断為相廻人民安堵致し候様可致候事但右附属者今般割替相成候小区内江何人と取極右給料諸費共小区内より差出候義ニ付惣代江篤と相談及ヒ右取極候者業名前年附等巨細ニ相認惣代人江来ル廿五日迄ニ差出惣代人より来ル廿八日迄藤枝駅邏卒屯所ヘ可差出事
一宿村見廻りニ罷越し候邏卒者別紙名前相認候鑑札所持致し居候間万一邏卒抔と申偽宿村立廻り候ものハ右鑑札所持無之ニ付右躰之者徘徊致し候ハヽ差押其侭藤枝駅邏卒屯所へ召連差添人より右始末委細申立候様相心得へく事
右之通相達候間得其意村名下令受印刻附ヲ以早々順達従留り村可被相返候也
            第六大区
  明治六年      第七
    七月廿日       扱 所 印
(別紙)
  ┌─────────┐   ┌─────────┐
  │第六七大区        │   │     ┌──┐     │
  │ 一等邏卒         │   │第   │静岡│     │
表│ 小 貫 昌 之      │ 裏│三   │県  │     │
  │                  │   │号   └──┘     │
  │                  │   │                  │
  └─────────┘   └─────────┘
  ┌─────────┐   ┌─────────┐
  │第六七大区        │   │                  │
  │ 一等邏卒         │   │第                │
表│ 高 橋 正 英      │ 裏│四    同断        │
  │                  │   │号                │
  │                  │   │                  │
  └─────────┘   └─────────┘
  ┌─────────┐   ┌─────────┐
  │第六七大区        │   │第                │
  │ 二等邏卒         │   │二                │
表│ 黒 澤 利 作      │ 裏│十    同断        │
  │                  │   │九                │
  │                  │   │号                │
  └─────────┘   └─────────┘
  ┌─────────┐   ┌─────────┐
  │第六七大区        │   │第   ┌──┐     │
  │ 二等邏卒         │   │三   │静岡│     │
表│ 小 林 高 極      │ 裏│十   │県  │     │
  │                  │   │号   └──┘     │
  │                  │   │                  │
  └─────────┘   └─────────┘

●明治六年七月二九日 檻倉ナキ裁判所ハ地方従来ノ獄舎中ヲ区画シ仮檻倉ト定メ守卒等ノ給料其他ノ費用ハ裁判所ヨリ支弁セシム(司法省甲第一五号)

●明治六年七月(日欠) 〔邏卒付属〕届書(焼津市立図書館所蔵大覚寺下村関係文書)
   届書
             第七大区二ノ小区
             益頭郡下当間村
             三拾八番屋敷居住
               池田 和吉
               酉七月四拾四才十ヶ月
             同平島村
             弐百八拾八番屋敷居住
               鈴木 鉄蔵
               酉七月二十三才二ヶ月
右之者当区内邏卒附属申付候間依之此段御届奉申上候也
              右区惣代
                 甲賀伊兵衛
  第六七大区御扱所

●明治六年八月一〇日 懲役終身以上ノ刑ハ司法省ヘ伺出処断セシム(太政官第二九五号(布))
是迄死刑ノミ司法省ヘ伺出候処自今懲役終身以上ノ刑ハ悉ク同省ヘ伺出処断可致此旨相達候事但裁判所設置ノ府県ハ為心得相達候事

●明治六年八月一二日 訴訟律内越訴条廃止(太政官第二九八号(布))

●明治六年八月二九日 浜松県令より司法大輔宛刑律の儀に付伺(『静岡県史料』一四(県治記事・遠州之部))
一士族抂法之贓ヲ受ル者者破廉恥甚ヲ以テ論シ候哉
一医アリ懲役囚之脱臼ヲ誤認シテ打撲焮■(火+重+?)トナシ治ヲ施スコト旬日初テ其脱臼ニ係ルヲ知リ接骨之術ヲ施スト雖脱後日久キヲ以テ既ニ関節之中間多少之肉ヲ生シ接続復旧ス可ラス是ニ於テ囚者廃疾ヲ以テ限内収贖法ヲ用ユ其医者過失傷廃疾ニ致スヲ以テ論シ収贖シ後来医業ヲ停止シ可然哉
右処刑差臨居候間至急御指令有之度此段相伺候也
 明治六年八月廿九日    浜松県令林厚徳
       司法大輔福岡孝弟殿

第一条 抂法之官吏執法之権アル者之犯ス罪ナリ然レトモ士族卒民モ抂法ヲ以テ論シ準シテ論スル罪ハ有ルヘシ右者改定律例第九十条之通
第二条 伺之通但医業ヲ停止スルノ限ニアラス
 明治六年九月廿八日

●明治六年九月七日 浜松県、失火行倒死人身代限届書文例を頒布(『静岡県史料』一二(県治記事・遠州之部))
失火行倒死人身代限等之者有之節取扱之振合別紙之通相定候条以来右ニ準シ取計可致候此段相達候事
 明治六年九月七日     浜松縣令 林厚徳
小区長権限内ニ附入ス可キ條件部分シ三トナス一ツ者失火検使一ツ者行倒人検使一ツ者身代限之者家財調等是ナリ
第一 凡区内ヨリ失火ヲ届出レハ直ニ出張火元并類焼人之姓名ヲ聴糺シ継テ焼跡ヲ一見シ見分書ヲ取リ皆焼半焼之別ヲ為シテ絵図面ヲ製シ次ニ火元人江失火之原由ヲ糺シ本人詳ナラハ待罪書ヲ取リ受ケ郵便ヲ以テ之ヲ聴訟課江送致ス可シ但見分書絵図面及ヒ待罪書共別録雛形ニ倣ヒ可取調事
第二 凡区内ヨリ行倒人有之ヲ届出レハ直ニ出張シ実地之景況ヲ審見シ見分書ヲ取リ次ニ見付人及本書戸長之口書ヲ取リ死體假埋及村外レ建札等ヲ指揮シ口書并見分書等者其時々郵便ヲ以テ聴訟課江送致スヘシ但見分書口書并建札等者別録雛形ニ倣ヒ可取調事
第三 凡区内ニ借金ニ依リ身代限リ抵償之者アレハ聴訟課之差図ヲ得テ出張シ本人持地有金諸道具等ヲ取調帳面ニ仕立帳尾江本人并親戚戸長等之印ヲ捺シメ聴訟課江送致スヘシ但送致者郵便又者本人持参便宜ニ従フ可シ
雛形畧之

●明治六年九月七日 静岡県参事南部廣矛外一名罪按罰文進達遷延ニ付待罪(『太政類典』2編359巻【20】)
   南部廣矛外一人伺
罪案罰文当一月二月三月分同四月十五日期限ニテ可差出ノ処事務多端手回リ兼候ヨリ差出方遅延仕候儀全私共不行届ノ次第奉恐入候何分ノ御処置被下度候也 六月日缺
   司法省上申
処分済罪案及ヒ罰文ヲ進達スルニ其期ニ後レル者違式ノ軽キニ擬シ懲役十日第三従タルヲ以テ二等ヲ減シ減シ盡シテ
 無科
  静岡県参事南部廣矛  同権参事長澤常山
右適律申上候也 九月二日
上請ノ通 九月七日

●明治六年九月一三日 浜松県令より司法大輔宛訴訟の儀に付伺(『静岡県史料』一四(県治紀事・遠州之部))
負債者身代限申付六十日建札中他ヨリ戊辰正月以前貸附之金穀償却滞之分右割賦中江差加ヘ之儀願出候節者聴許可仕乎
右相伺候也
             県令林厚徳代理
 明治六年九月十三日     浜松県権参事石黒務
      司法大輔福岡孝弟殿
丁卯十二月晦日以前之分者取揚裁判不致筋ニ付割賦ニ加ヘサル者無論候事
 明治六年九月廿八日

●明治六年九月二二日 京都府知参事裁判一件ニ付陪審被相設候条此旨相達候事(司法省へ達)(『法規分類大全』官職門12・官制・司法省1)

●明治六年九月二二日 京都府知参事臨時裁判所ニ於テ糺問ノ儀ハ陪審被相設候ニ付右規則等被定候迄可相見合此旨相達候事(司法省へ達)(『法規分類大全』官職門12・官制・司法省1)

●明治六年九月二八日 英国商人ヨリ御国政府ヘ対シ候訴訟一件取調ノ儀当省所管相成候ニ付右調所元判理局ヘ相設候条此旨為心得相達候也(大蔵省達)(『法規分類大全』官職門10・官制・大蔵省1)

●明治六年一〇月七日 元判理局ヘ相設候英国商人訴訟一件取調所ノ儀今般答弁局ト相称候条此段為心得相達候也(大蔵省達)(『法規分類大全』官職門10・官制・大蔵省1)

●明治六年一〇月九日 先般京都府知参事裁判一件ニ付陪審被設候段相達置候処御詮議ノ次第有之参坐ト改メ別紙ノ通規則相定候条此旨相達候事(司法省へ達)(『法規分類大全』官職門12・官制・司法省1)
(別紙)参坐規則(略)

●明治六年一一月一九日 囚人護送規則(太政官第三九一号(達) 

●明治六年一一月二七日 聴訟上裁判申渡請証文改正(司法省布達第一八五号)
従来聴訟上裁判申渡ノ儀ハ請証文為差出候処今般右請証文相廃シ別紙ノ通改正候条此旨可相心得候事
(別紙略)

●明治六年一二月一五日 司法裁判所ノ裁判ニ服セサル者本省(司法卿臨時局)ヘ控訴セシム(『太政類典』2編337巻【9】)

●明治六年一二月一七日 浜松県権参事石黒務戊辰前ノ貸金訴訟ヲ裁判セル罪ヲ贖フ(『太政類典』2編357巻【35】)
   石黒務伺
私儀元額田県権参事奉職中去壬申年十月十九日三州幡豆郡細池村岩瀬丈助外一人ヨリ同村淨徳寺住職松平祐証ヘ掛候貸金滞出入出訴ニ相成同県元少属当時本県権中属葛上太郎担当ニテ吟味ノ末被告祐証非理ニ決シ十一月十七日身代限抵当ノ儀申渡建札限内廃県ニ付右詞訟其儘愛知県ヘ引継キ候然ル処去ル丁卯十二月以前ノ証文ニテ壬申十月廿二日三百十七号御布告ニ基キ不及裁判シテ可然事件ヲ右担当ノ官誤テ身代限抵償ノ処分ニ及ヒ候ヲ検挙セス施行シ不都合ヲ醸シ候段深ク恐縮仕候依之進退如何相心得可然哉此段奉伺候以上 十一月八日
   司法省上申
戊辰前ニ係ル金穀貸借ハ一切裁決ニ及ハサル布令ニ違フヲ以テ雑犯律違令軽キニ問ヒ懲役三十日次官タルヲ以テ第三従トナシ二等ヲ減シ懲役十日贖ヲ聴ス
 贖罪金一円五十銭    浜松県権参事 石黒 務
右適律申上候也 十二月
(朱書)
「上請之通 十二月十七日」

●明治六年一二月一日 浜松県、初めて番人を置き、管内警保を担当させる(県第二一四号)(『静岡県史料』一二(県治記事・遠州之部))
今般管下人民警保之為メ三大区中ヘ七拾二人之番人ヲ設立シ別紙之通各所ニ屯所ヲ取設ケ来ル十二月一日ヨリ持場内巡邏セシメ候條此旨相達候事但番人者民ヲ警保スル之権ヲ有シ各人民者之カ警保ヲ受ク可キ之理ヲ有シ候儀ニ付心得違無之様末々ニ至ルマテ可相諭事
  明治六年十二月     浜松縣令  林 厚徳
(別紙)
    三大区中番人屯所持場
第一大区
 一小区浜松屯所持場
   二小区    六小区    七小区
   八小区    九小区    十小区
   十一小区  十二小区  十三小区
   十九小区  二十小区  廿一小区
    〆十三区
 二十八小区笠井屯所持場
   三小区    四小区    五小区
   廿五小区  廿六小区  廿七小区
    〆七区
 十六小区気賀屯所持場
   十四小区  十五小区  十八小区
   廿二小区  廿三小区  廿四小区
   十七小区
    〆八区
第二大区
 六小区中泉屯所持場
   一小区   二小区   四小区
   五小区   七小区   八小区
   九小区   十小区   十一小区
   十二小区  十四小区
    〆十二区
 廿八小区森町屯所持場
   十三小区  十五小区  十六小区
   十七小区  十八小区  十九小区
   廿七小区
    〆八区
 廿一小区二俣屯所持場
   三小区   二十小区  廿二小区
   廿三小区  廿四小区  廿五小区
   廿六小区
    〆八区
第三大区
 一小区懸川屯所持場
   二小区   三小区   四小区
   五小区   六小区   七小区
   廿四小区
    〆十区
 八小区横須賀屯所持場
   九小区    十小区    十一小区
   十二小区  十三小区  十四小区
    〆七区
 十六小区相良屯所持場
   十五小区  十七小区  十八小区
   十九小区  廿小区   廿一小区
   廿二小区  廿三小区
    〆九区
右之通
 番人   七拾三人
   内
  長     三人
  副長    六人
  平   六拾三人
之ヲ三大区ニ配置シ一大区毎ニ長二人副長平二拾一人ヲ置キ之ヲ三屯所ニ分配ス毎屯長副長之内一名平七名ヲ備フ惣計七拾二人(後略)

●明治六年一二月一〇日 浜松県、県第九号を廃止し、新に違式詿違条例を頒布(番外、明治七年一月一五日施行)(『静岡県史料』一二(県治記事・遠州之部))

●明治六年一二月二九日 御詮議ノ次第有之参坐被解候条此旨相達候事(司法省へ達)(『法規分類大全』官職門12・官制・司法省1)
(参考) 司法省届
今般参坐被解候二付テハ京都府知参事并ニ右関係ノ者糺問ノ一件ハ今後当省従前ノ振合ヲ以テ取扱可申此段為念御届申候也

●明治六年一二月(日欠) 浜松県、「自守規則」「巡邏取締概則」を制定(『静岡県史料』一二(県治記事・遠州之部))
  自守規則
   第一則
一縣下取締者庶人安堵営業之為ニ差置レ候儀ニ付其旨相心得専ラ行義作法ヲ正シクシ決シテ威権ヶ間敷儀致ス間敷事
   第二則
一御布告ヲ遵奉シ長官之令ヲ固守スヘキ事
   第三則
一存付之儀アラハ壱人ニ而可申立大勢申合申立候儀一切不相成事
   第四則
一巡邏中行路并営業之妨ニ不相成様可心附事
   第五則
一市中并往来之者ヲ扱候ニ者柔和ヲ旨トシ辨マヘ無キ者者殊更穏ニ説諭シ決而凌辱ヲ加ヘ手荒之処置致間敷事
   第六則
一取調之為人家ニ至ル節ニ者接待筋総テ慇篤ニ致スヘク候但公私之分ヲ守リ狎々敷不相成様可心附事
   第七則
一巡邏中私ニ人家江立寄候儀者勿論徒ラニ市店之品物ヲ詠メ職務ヲ怠ル間敷事
   第八則
一金談等頼入レ或者物ヲ買ヒ価ヲ借候儀堅ク致ス間敷事
   第九則
一在務中飲酒遊興又者婦女江対シ戯ケ間敷儀等決而致間敷事
   第十則
一機密之筋者勿論職務ニ係リ候事者総テ他言致間敷事
   第十一則
一公事出入等江者一切関係致間敷若強而相頼ミ候者アラハ可申出事
   第十二則
一役人之吹挙等周旋世話致シ候儀一切不相成事
   第十三則
一児童タリトモ石打犬打楽書等之戯レ可制止事

巡邏取締概則
  第一則
一昼夜無間断両三人宛巡邏致シ第三則以下之規則ニ注意シ見当次第其所置ヲ為スヘシ但可成丈諸民営業之妨ニ成ラサル様可心附事
  第二則
一取締筋ニ関係之御布令并ニ本廳頒令等ニ違背スル者アラハ可相糺事
  第三則
一徒党隠謀潜伏之者見分候ハヽ速ニ本庁江可申出事但事情難差延分者捕縛スヘキ事
  第四則
一乱暴狼藉等致ス者アラハ穏ニ制シ時宜ニヨリ取押ヘ本廳江可差出事
  第五則
一往還江不潔之品ヲ捨又者車馬ヲ街傍ニ置商売品ヲ往還江張出シ往来之妨ト相成ル者者可制止事
  第六則
一飲量ニ用ヒ候河水ニ而汚穢ヲ洗ヒ又溝水江芥ヲ捨或者芥捨場江相嵩ミ又者妄リヶ間敷候ハヽ心附可成丈清潔ニ可為致事
  第七則
一山林及ヒ路傍之植物等ヲ妄リニ伐採候者者厳ニ可制止事
  第八則
一無提灯ニ而騎馬致シ又裸馬ニ乗リ又群集中車馬ヲ粗暴ニ馳候者可制止事
  第九則
一途中之急病或者行斃レ溺死捨子迷子者見掛次第最寄村町役人江可報知事但捨物同例之事
  第十則
一市在明家アラハ之ニ注意シ夜中其内ニ火光又者人聲アラハ隣家ニ告テ内ニ入テ見分スヘキ事
  第十一則
一喧嘩闘争致ス者者見掛次第取鎮可申若不聞入節者始末書相添本廳ヘ可差出事
(以下略)

●明治六年静岡県懲役人人員表(『静岡県史料』二(県治紀事本末))
人命律 毒殺妻1 過失殺3 私擅埋葬1 計5
賊盗律 持兇器強盗3 強盗4 鑒守盗7 常人盗6 窃盗81 準窃盗12 私擅用財2 親属相盗1 盗売田畑1 楮幣贋造2 贋札買使1 坐贓10 和買3 計142
犯姦律 強姦8 強姦未成2 和姦2 私娼衒売2 計14
雑犯律 賭博27 違式118 失火42 放火1 由事錯誤2 事応申不申3 不応為10 移地界内死屍6 違令12 遺失1 説事過銭6 清酒密造1 棄毀樹木17 計246
職制律 事応奏不奏1 上書奏事錯11 上書詐不以実2 受贓1 威力制縛1 陵虐罪囚1 計17
捕亡律 主守不覚失囚3 計3
詐偽律 欺詐取財7 詐称官4 恐喝取財2 詐作文書3 偽造私印1 計17
受贓律 枉法10 公事嘱託2 計12
闘殴律 闘殴及故殺1 闘殴8 計9
罵詈律 罵人1 計1
戸婚律 逃亡37 擅出2 計39

●明治六年浜松県流以上所刑表(『静岡県史料』一一(県治記事・遠州之部))
 刑 名     决   放      人 名
賭博       二月七日 准流五年   (略)
持兇器強盗    同 十七日同十年
同        三月十七日同十年
同        同    斬罪
同        同    斬罪
同        同    斬罪
同        同    斬罪
謀殺       同    絞罪
同        同    懲役十年
窃盗       四月廿日 准流十年
同        同    准流十年
同        五月十九日准流十年
依姦殺本夫    五月廿四日絞罪
同        同    絞罪
持兇器強盗    同 廿九日斬罪
同        同    斬罪
同        六月四日 斬罪
役場逃走窃盗   同 廿四日准流十年
母ヲ殴チ傷ヲ成ス 七月十四日懲役終身
窃盗懲役場逃   八月九日棒鎖二日ノ上懲役終身
同        同 五日棒鎖一日ノ上同十年
偽造楮幣     同十五日 懲役十年
同        同    同終身
持兇器強盗    同廿三日 斬罪
同        同    懲役十年
同        九月十四日同十年
同        同    斬罪
強盗       同十八日 懲役十年
同        同    同
持兇器強盗    十一月一二日斬罪
強盗       同    懲役十年

●明治六年浜松県行刑表(『静岡県史料』一一(県治記事・遠州之部))
明治六年一月起四月止行刑表
    的决セシ  贖罪収贖  閏刑ニ処 庶人ニ降
    人数     セシ人数   セシ人数 セシ人数
笞一十
 二十 男三人   男六人   男二人
     女三人   女三十八人
 三十 男四人   男六人
               女壱人
 四十          男二人
               女十人
 五十 男壱人   男二人
 六十 男四人   男壱人            男壱人
 七十 男二人  
杖八十 男三十五人 男六人
               女壱人
 九十                            男壱人
 一百 男壱人
徒一年 男壱人
      女壱人
 一年半
 二年 男二人
 二年半
 三年
流一等 男壱人
 二等
 三等 男四人
終身(鎖禁)錮
死絞  男壱人
 斬   男三人
全数百四拾五人    牢死四人 男三人
                        女壱人

明治六年五月六月
          的决   贖罪   収贖     閏刑    禁獄  除族
懲役 十日 男一人 男三人 
  二十日
  三十日 男二人  男四人 女十一人 男一人
  四十日 男三人  女二人
  五十日 女一人
  六十日 男五人
  七十日 男二人         女一人
  八十日 男十一人       女一人
  九十日 男二人              男一人  男一人
  一百日                     男一人
 徒 一年
  一年半 男一人
  二年半 男三人          男一人
   三年
准流一等
   二等
   三等 男二人
死絞    男一人
 斬     男三人
        女一人
全数六十八人
 呵    男六人 女一人
 病囚   男四十二人 女五人
 未決囚人員 男五十八人
 贖金高  三十二円二十五銭

明治六年従七月至十二月行刑表
         的决    贖罪      収贖   閏刑    除族
懲役 十日         男十九人  女一人 男一人
  二十日 男一人  男九人    女十人
  三十日 男六人  男八人           男一人
  四十日 男一人  男六人           男一人
  五十日 男六人
  六十日 男八人  男一人     男一人        男一人
     女 一人
  七十日 男十人                    男二人 男一人
  八十日 男廿九人 男六十六人 男六人
         女一人
    二年 男二人
         女一人
   三年 男一人
   十年 男七人
   終身 男三人
棒鎖一日 男二人
   二日 男二人
死斬    男三人
全数二百二十七人
 呵    男七人女一人
 牢死  男一人
 病囚  男五人
 未決囚人員男九人女一人
 贖金高四百八十四円五拾銭
 罰金三百十一円七拾壱銭二厘
 総人員三百五拾壱人
 総金員七百九拾六円二拾壱銭二厘
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