高山に遅い春が訪れました。
4月までのくすんだ景色は、5月に入って、鮮やかな緑と色とりどりの明るい色にとって替わられました。
特派員は、GW明け初めての休日を、この飛騨高山の地で過ごしています。
そして、今、朝の散歩を兼ねた付近の散策から帰ったところです。
8時30分にホテルを出て、市内中心部を流れる宮川沿いに朝市をぶらぶらしながら、江名子川(飛騨牛と漬け物と生酒のおいしい古風な建物の酒処”京や”の前を流れる清流)沿いゆっくり歩いて、桜山八幡宮の屋台会館まで行ってきました。
たっぷり時間をかけたつもりでしたが、ホテルに帰ったのが9時30分で、約1時間の散策でした。飛騨高山の町はほんとに狭い!
飛騨高山の町は4月の高山祭りのころに較べると観光客が少なくなりました。
おじいちゃん、おばあちゃんの団体や、家族連れがぽつぽつと見られる程度です。5月18、19日に市政XX周年を記念した屋台の特別曳きそろえがあるので、この時は、また、春の高山祭り同様に大変な人出になることでしょう(高山特派員は大阪に出張で残念ながら見ることができません)。
休日のひととき、静けさを取り戻した町中をのんびりと散策している特派員の姿を想像しながら読んで下さい。
朝市では、地元のおばちゃんや、腰の曲がったおばあちゃん達が、自慢の手作り野菜や漬け物、あるいは土産物を売っています。特派員は食い意地が張っているので、漬け物をつまみ食いして歩きました。
飛騨は平均気温が低く漬け物に適していることと、冬場の保存食品として昔から漬けていた関係で、漬け物が大変に旨いのです。
今日食べて旨いと思った漬け物は、”山くらげ”の漬け物と、”しめじ”や ”舞茸”の山椒漬けです。
山椒のピリッとした味と、山菜や茸のとろっとした舌触りがさっぱりした味に仕上がっていて、熱々ご飯と一緒に食べたらさぞかしおいしかろうと思いました。
おばあちゃん達は、あまり商売っ気は無く、隣同士で世間話しをしながら、のんびりと時間を過ごしています。
「食べてみんさい」との言葉に甘えて、ガツガツと味見をする特派員でした。
200~300mの朝市の通りを抜けると、江名子川が宮川に注ぐ、橋のたもとに着きます。
江名子川は川幅3~5mの清流です。
この江名子川には赤に塗られた欄干の橋が何カ所か架かっています。そして、両岸には桜や紅葉の苔むした古木が植わっています。
薄曇りの雲間からそそぐやわらかい陽が、木々の若葉を通して、透き通った江名子川の清流に、キラキラと輝いています。
日頃、人造物と組織の中で忙しく立ち回っている特派員は、しばし、仮の自分を忘れて、自然に生きているほんとうの自分を取り戻した気持ちになりました。
川の両岸にはゴミひとつ落ちていない車道と遊歩道がついています(さすが観光都市!)。
そして、白い漆喰の古風な家や、景色にとけ込んだ木造の民家が並んでいます。
朝だったこともあり、人や自動車があまり通りません。山の手のほうから黒い法衣姿のお坊さんが一人歩いてきます。
特派員は一人、川面に目をやりながら、ゆっくりと歩いて行きます。静かな静かな時間が流れていきます。
川沿いには赤、ピンク、紫、黄、などの小さな草花が植わっていて、桜が散った今、彩りを添えています。
江名子川沿いを歩いたのはほんの500m位です。
更に歩くとお寺さんがたくさんある小高い山に向かいます。お寺さん巡りはまた別の日にしようと考え、特派員は対岸を宮川に向かって戻り始めました。
ふと、右手を見ると、古い町並みの道の突き当たりに、桜山八幡宮・屋台会館の看板とお社の一部が見えます。特派員は屋台会館の字を見て、あの高山祭りの屋台の感動がよみがえり、足が自然に右90度に向いてしまったのです。
桜山八幡宮は秋の高山祭りを主催する神社です。
掃き清められた広い境内には、歴史を感じさせる大きな社、そして一段高い小山に、樹齢数百年を思わせるうっそうとした杉に囲まれた、本殿があります。
近所のおばあちゃんらしき人がお宮の前で、手を合わせています。参詣客がまばらで、冷たい空気の中に、しーんとした静寂がつたわってきます。
”おみくじ”を引こうとしましたが、縁起をかつぐ特派員は、悪い目が出て今の仕事に影響するといけない思って、引くのをやめました。
この境内に屋台会館があります。入場料800円を払って中に入りました。白と緋の巫女姿の色白でふっくらした娘さんが、特派員と数人の観光客を相手に、案内と説明をしてくれました。
屋台は秋祭り用のものが3台(さんたい)陳列されています。照明が良いので、春祭りの折りに外で見たものより、一段と色鮮やかに見えました。極彩色の彫刻と、金箔で装飾された金物の輝きが、目に焼き付きます。 ”動く陽明門”と言われる由縁です。
巫女さんに聞いたところでは、屋台はすべて地元の”飛騨の匠”が製作したものだそうです。最近は匠の数が減って、修理などは、やむなく京都や奈良の宮大工に依頼することもあるそうです。
ちなみに、飛騨高山と、陽明門で有名な日光東照宮とは関係があって、豊臣後期から徳川時代前期まで飛騨高山を治めていた、高山城主金森氏は、2代将軍徳川秀忠(だったと思います)の信任が大変厚く、日光東照宮の造営にも参加したそうです。たぶん、飛騨の匠を多く引き連れていったのではないでしょうか。
屋台会館の隣には日光東照宮の陽明門をはじめ本殿、拝殿、五重塔など28の建物と、鳥居などの付属物を実物の十分の一のスケールで再現した精巧な模型(建物の中の天井絵まで精巧に描かれていた)が陳列されている”桜山日光館”があります。
この模型は、大正時代に、当代の左甚五郎とも言われた飛騨の匠の長谷川喜十郎を棟梁に、33人の技術者が15年の歳月をかけて製作したものだそうです。模型とはいえ、文化的価値が大きく、”飛騨の匠”を伝える文化財として、大切に保存されているそうです。
”桜山日光館”を出ると、向こうから団体客がたくさん歩いてきました。特派員は、ここが帰り時と、静かさの余韻をこころ刻んで、ホテルに足を向けたのです。
平成8年5月12日
写真は「Information HIDA」から引用させていただきました。