倉敷は倉敷紡績の発祥の地だ。
駅から10分ほど歩くと武家屋敷などの古い町並みが保存されている。
柳の植わった石垣のお堀沿いに白壁のお屋敷や土蔵がずっと並んでいる。柳の緑と建物の白と黒そして青空の色を移してきらきらと透き通るお堀の水の配色が清々しい。
今日は土曜日なので観光客が多く賑やかだ.今は観光地化しているが昔の賑わいもこうのようであったかと錯覚しそうになる。このような一角に大原美術館がある。国内外の多くの絵画を展示している。一通り見てまわる。芸術に疎い私ではあるが、ミレーやモネ、ゴッホなど、昔、美術の教科書で見た憶えのある作品が目に付いた。
ここに着いてすぐ昼食を摂ったのだが注文した「鯛茶漬け」は美味しかった。
ご飯の上に味付けをした薄切りの鯛と薬味が乗っており、これにお茶を掛けて食べるのだが今まで食べた中では一番美味しく感じた。鯛そのものの鮮度の良さもあるだろうが決め手は鯛を漬け込んだ下味にあると見た。この味は当分忘れられないだろう。
最後に立ち寄った旧・倉敷紡績工場跡(現・倉敷アイビースクエア)は赤レンガの建物に青い蔦がびっしりとからまった明治を感じさせる風情だ。ここには結婚式場があり、ちょうど披露宴を終わったであろう花嫁さん一行が中庭に出てきて記念写真を撮っている。真っ白のウェディングドレスが赤レンガに眩しく映えていた。
倉敷を後にして私たちは高松に向かう。一旦、岡山に戻り、快速マリンライナー号で瀬戸大橋を渡る。4時過ぎで陽がやや傾き始めている。瀬戸内海の島々のやや上に位置した大陽が海面に長い光の帯を映してぎらぎらと輝いている。見とれているうちに電車は四国に入った。
高松に着くともう夕暮れだ。ちんちん電車のような昔懐かしい車両の琴電に乗って屋島の近くのホテルに向かう。チェックインを終えて再び高松市内に戻る。
私たちは瓦町のワシントンホテル東のグルメ館にある生簀料理「黒乃屋」に入る。襖で仕切られた狭い畳部屋に10人がテーブルを囲んで座る。お通しが並べられビールが運ばれた。まずはビールで乾杯!この後が大変である。料理が次から次へと運ばれてくる。ひらめの刺し身盛り、鍋物、天婦羅、さざえの壷焼き、あなご、飯蛸煮物、海たなごの石焼きは初めて食べたが身が柔らかくて美味しい。
圧巻は車海老の踊りである。人数分の活き海老が竹籠に入れられている。20cm位の大きさだろうか。手で掴むと身をよじって逃げようとする。そこを左手で頭の部分を掴み右手で胴のあたりを掴んでぐりっと回して頭を取る。殻を剥いて白くぷりぷりした身をちょっと醤油を付けておもむろに口に含む。噛むととろっとした感じで甘い。ちょっと残酷だがほんとうに美味しい。
とにかくこれらの料理が次から次へと運ばれてきて酒を飲む暇もないくらいだ。テーブルの上は料理で埋め尽くされている。もう腹がいっぱいだ。少し酒を飲んでふうふういっている間にお開きの時間となった。
この後、恒例でカラオケに寄りホテルに帰った。音痴の筆者も何曲か歌う。隣のルームではおじさん達が踊り狂っている。大変楽しそうでもあり苦しそうでもあった。その様を見ているだけで筆者もつい幸せを感じてしまった。
翌日、ホテルから歩いて屋島に向かう。朝のひんやりした空気が気持ち良い。20分程度歩いただろうか、ケーブルカー乗り場に到着した。ぐんぐん高度を上げていくケーブルカ-から外を見ると山は一部紅葉している。ほどなく終点だ。屋島の山頂は平坦だ。この山は遠くから全景を望むと台形をしている。屋島の「屋」は屋根の形を意味しているのかなと想像してみる。ここは遥か昔に源平合戦のあったところだ。
駅前の土産物店はまだ開いていない。私たちは背の高い松林の中のアスファルト道を歩いて行く。だいぶ歩いた。屋島寺に着く。山門付近でお婆さんが庭を掃いている。「おはようございます」と挨拶して通る。広い境内は静かだ。遠くのお堂の前で巡礼姿の団体がお参りをしている。私も本堂の前でお賽銭を上げて祈る。
お寺を出て少し歩くと見晴らしの良いところに出た。正面が高松城方面だ。やや左手正面遠くに紫雲山が横たわりその先に霞みのかかった四国のなだらかな山々が横たわる。紫雲山の手前いっぱいに高松の市街地が広がる。やや右手正面遠くに瀬戸大橋の橋塔がかすかに見える。手前には瀬戸内海と島々そしてゆっくりと走る連絡船や漁船が見える。
この展望台からかわら投げをやった。直径5cm位の素焼きの丸いかわらを目の前の向かって投げる。真っ直ぐには飛ばないものだ。ひゅんと前に飛んだと思ったら急降下して谷底に吸い込まれるようにして林の中に消えてしまった。
売店で飯蛸のおでんを売っていた。自称「蛸コンサルタント」の私は早速一串買ってデジタ ルカメラに収めたあとおもむろにほおばる。味付けはやや塩辛く磯の香りがした。
このあと周回道をぶらぶらと歩いてケーブルカーの駅に戻る。一周約4Kmの散策であった。
ケーブルカーで山頂から降りてちょっと左手に歩いて行くと屋島東照宮がある。この境内になるのだろうか、昔の民家などが移築されている。その一角にわらぶき屋根の民家を改造したうどん専門の食堂がある。この店の名物は「家族うどん」だそうだ。
おおきな木のたらいに釜揚げのうどんが盛られて出てくる。3~4人前くらいの分量だろう。このたらいを囲んでみんなでうどんを喰うのである。
つゆはかつおだしと醤油の薄口である。ねぎの薬味をたっぷり入れおろし生姜を加える。たらいからうどんを箸でつまみ出してこのつゆに付けて食べる。
麺は歯ごたえがあってつるつるしている。これが本場の讃岐うどんだと思うとひたすら食べた。
屋島の散策を終わった私たちは琴電を乗り継いで栗林公園に向かう。栗林公園は紫雲山の麓に造園された高松藩の庭園だ。
先日NHKの「堂々日本史」を見ていたらエレキテルで有名なかの平賀源内は高松藩の下級武士の出身で、江戸で本草学を修めた後あらためて高松藩に召し抱えられ、この栗林公園内で朝鮮人参をはじめとする薬草栽培と研究をしていたそうである。
現在はまったくの庭園でお殿様の道楽のなせることと見えるが当時は実用的な機能も併せ持っていたのであろう。
園内には見事な松が多く植わっている。私の従兄弟が造園業を営んでいることもあって植木に多少興味のある筆者は不謹慎ながらも値付けを試みた。あれが100万、こっちは300万、あれは1000万を下らないだろうととにかくすばらしい枝振りの松ばかりだ。
その見事さに300年以上に渡る職人の丹精に頭が下がる思いであった。この庭園は回遊式大名庭園様式で池と丘をふんだんに配してある。歩いていて心が落ち着く庭園である。
庭園内に民俗資料館があったのでのぞいてみた。瀬戸内海で行われていたタコ漁で使われた蛸壺が展示されていたので写真に撮った。
栗林公園を最後に今回の旅は終わった。今回の旅はよく歩き、よく食った。翌日は足が痛くて階段を上がるのに苦労した。しかし、自分の足で歩いた旅というものも良いものだ。きっと、良い思い出として残ることであろう。
平成9年11月12日
掲載の写真はKODAK DC40で撮影しました。