11月9日・10日の両日、私は会社の旅行で金沢を訪れることになった。当初、総勢9名であったのだが、仕事の関係で2名欠けて、最終的に7名の旅である。
特急・雷鳥は新大阪を出て、京都を過ぎ、琵琶湖西岸の湖西線を走る。最初は曇り空に霞んだ琵琶湖が見え隠れしていたがそのうち山の中に入る。山は紅葉というにはまだ早く、木々はまだらにくすんだ色をしている。その中にあって、里や山畑に植えられている柿の木が目につく。鈴なりに成った小粒の柿は鮮やかな柿色で、くすんだ色の山の中でひときわ目立つ。やはり、ここにも秋がきていた。
太平洋岸ですごしてきた私にとって、日本海側の風景はめずらしい。目を凝らして記憶にとどめておこう。敦賀駅に停車した。
敦賀は古くは大陸貿易の拠点であった。日本海側の物産を琵琶湖経由で京都・大阪に運搬する重要拠点でもあった。江戸中期に北前船が発達してやや寂れたが、良港であることに変わりない。
車窓から立ち上がって海のほうを望むと、住宅地に混じって高い煙突から煙をはく工場なども見える。寂れたとはいえ、現在でも良港を背景に、産業があるのだあろう。敦賀を過ぎ、福井を過ぎると、最初の目的地、東尋坊の芦原(あわら)温泉駅に停車する。新大阪から約2時間の行程である。
芦原温泉駅で下車して、バスで20分ほど行くと、国定公園「東尋坊」に到着する。海面から垂直に切り立った崖は自殺の名所として知られるが、私にはさほどに険しくは感じられなかった。しかし、飛び込めば死に至る可能性は高い。
始めて見る日本海は波穏やかで、九十九里の荒波を見て育った私には、湖のように見えた。荒天にはまた別の顔をみせるのだろうか。
東尋坊とバス停の間、数百mには土産物屋が軒を連ね、呼び込みも盛んだ。ここで生活している人々の活気が感じられる。
東尋坊で昼食を食べ、土産物屋を一通り見て回ったあとは、芦原温泉駅に戻り、今日の宿泊地、金沢に一路向かう。
JR金沢駅からタクシーで10分ほど行くと、そこは、金沢市内随一の繁華街、香林坊である。
最初は通りの両側にオフィスビルが立ち並び、少し先に行くと商店街になる。タクシーの運転手の話しでは、この辺の路地路地にスナックがたくさんあるとのことだ。飲んべえには楽しみな街だろう。
ビルの1、2階はショーウィンドウになっていて、若者の姿が目立つ。金沢城址から通じている百万石通りと交差するあたりに、「109」と書かれた大きなビルがある。そう、東京・渋谷の「109」と同じなのだ。この辺は東京・渋谷と同じように、ちょっと、お洒落な若者の街の雰囲気をもっている。
商店街は、雪国らしく、歩道に雁木がついていて、雪の降り積もる冬でもショッピングに不自由ないようになっている。
雪の降る冬の寒い一日、歩道の前にうず高く積まれた雪を除けながら、電灯の灯った暖かそうな店内を覗き込んで行く、そんな情景が目に浮かんでくる。
雪の金沢もぜひ見たいものだ。商店街が切れる犀川(さいかわ)の鉄橋の手前200mほどを左に曲がると、今夜の宿、ワシントンホテルがある。
ホテルにチェックインして町にネオンが灯るころ、ぞろぞろと歩いて、食事にでかけた。
場所は、繁華街の香林坊を抜け、観光名所「武家屋敷」のちょっと手前にある料亭「魚半(ぎょはん)」だ。目立たない店だが、昔は金沢大学生が一度は行ってみたい店のひとつだったそうである。この辺は城の外郭部に当たるのだろう。城郭地の高台から少し下り坂になっている。坂下の通りは昔はお堀だったのかもしれない。
この坂の途中に「魚半」がある。すでに、予約してあり、今夜は「ごりの刺身」のコースメニューだ。一階はテーブル席で、2階が座敷になっている。傾斜地の中腹に建っているため、前の道路側から見ると、私たちの入った山側の一階の暖簾口は2階に当たるのだそうだ。
予約した時間より早く着いてしまったので、仲居さんがあたふたと準備を始めた。ほどなく、ビールと料理が出てきた。乾杯のあとは銘々勝手に料理をつまむ。総勢7名、このメンバーはお上品な人やお疲れの人が多く、静かな雰囲気の中で食事が始まった。料理は懐石風で、富山湾で採れる海の幸が中心である。
美味しいと思った料理は、治部煮(じぶに:なにやら、前田利家と石田三成の関係を想像させられる)、鱒のかぶら寿司、メバルの塩焼きである。珍品はふぐのぬかづけだ。ぬかの風味がきいて、清酒(さけ)のさかなに良く合う。いかの黒造りも清酒に合う。
ここで、ついに、こらえきれなくなった源内先生が清酒を注文した。日栄という地酒で最初は甘口、あとから辛口を注文した。なかなかすっきりとした良い清酒である。
ほどよく時間をすごしたころ、ついに、今日のメイン料理、「ごりの刺身」が出た。5cm位の小さな黒光りのする川魚で刺身にすると親指ほどの大きさの身でしかない。身は黒ずんで、味は淡泊、感激する美味しさではない。活き造りなので指でたたくと頭がまだ動く。生き物の宿命とはいえ、人間とはむごいものだ。”ごり”は、あの映画「エイリアン」に出てくる、エイリアンの幼体の面相にそっくりだ。
エイリアンを食べて食事はお開きになった。
このあと、香林坊のカラオケで2時間、得意の喉を披露して散会となった。今回のメンバーに新入りがいて、尾崎清彦の「また会う日まで」を熱唱した。ちなみに彼は尾崎清彦とは親戚関係にあるそうだ。そう言われてみれば、もみあげを生やせば似ていないこともない。ただ、もう少し、優しい顔をしている。
翌朝、私は早起きをして、犀川の川辺を一人で歩いた。20年前、出張でこの地を訪れて、犀川べりの和風旅館に泊まった記憶が私をそうさせたのだ。
石の見える幅広の川を透明でキラキラと輝く冷たそうな水が流れゆく。そんな思い出が深い記憶の中にしまい込まれていて、金沢と聞くとそれがいつもよみがえってくるのだ。今回の旅は私の青春をたどる旅でもあるのだ。
残念ながら、今日の犀川は、昨晩の雨で川が増水しており、濁った水が流れいる。しかし、車の通りも少ない朝のひんやりとした静寂の中を一人歩いていると、遠い昔の自分がよみがえってくるようだ。
川を横切るように数匹の鴨が泳いでいく。川の中ほどのコンクリート塊の上でカモメが一羽、羽根を休めている。セキレイだろうか。尾の長い野鳥がチッチッチッと鳴きながら私の横をサーっと飛んでいく。川の両岸にずらっと植わった桜の古木は葉が黄色から赤に替わりつつあり、秋の訪れを感じさせる。
河川敷の両岸にはよく整備された遊歩道がついている。20年前にはなかったはずだ。犬をつれて散歩する人、ジョギングをする人がいる。一角の植え込みには、深まりゆく秋に抵抗するかのように、赤い花が少し残っている。この遊歩道には「犀星の道」という名前がついている。犀星とは、金沢出身でこの犀川をこよなく愛した文人、「室生犀星」のことだ。室生犀星の「犀」はこの犀川からとっているのだ。
犀川の上流方向に目を向けると、遠くに、薄墨色の雲がたなびく山並みが見える。そして、さらにそのうえ遠くに尖った真っ黒な山が一つ二つと見える。何という山だろうか。3千m級の山だろう。
河川敷から石の階段を上って道に戻った。青い橋を渡って足をホテルの方向に向けたが、もう一度戻り、橋の上から遠くの山を背景に犀川の写真を撮ることにした。写真を撮っていると、自転車に乗った娘さんが私の横で止まって声をかけてきた。「向こうに見える山は何という名前ですか」「観光できているんですか」「お元気で」。女子大生くらいの歳だろうか。話すときに目がきらきらと輝いて笑ったときの口元が可愛い。昔、テレビの「青い山脈」に出演していたデビュー直後の坂口良子を思い起こさせる。20年前の心のときめきがいまここにある。そんな錯覚を起こさせる朝のひとときであった。
9時にホテルを出て、武家屋敷を観たあと、黄色や赤に色づいた街路樹がずうっと続く百万石通りを金沢城に向かって歩いた。30分も歩いただろうか。百万石通りが突き当ったところが兼六園だ。突き当たりを真横に走る道路がお堀通りだ。左に折れてやや歩くと城郭の高い石垣がずっと続く。反対の兼六園側は所々に石積みがあるものの全体的にはなだらかな小山状になっている。あとで気がついたのだが、このお堀通りは、城と兼六園の間に穿たれた堀のあとなのだ。
目の前に城郭がそびえ立っている。石川門だ。金沢城はこの石川門を残して他の建物は残っていない。数年前まで広大な城内は金沢大学のキャンパスとして使われていた。大学が移転したあとには、無人のコンクリートの学舎と雑草の茂る庭が残っている。石川門を過ぎたあたり、通りの反対側に兼六園への登り口があった。山側に土産物店が並ぶ緩やかな坂道を上っていくと、そこが入り口である。お堀通りを挟んで前方の石垣の上に、先ほどの石川門がどっしりと建っている。かつての城の偉容が忍ばれる。
秋の観光シーズンということもあって、園内は大変な混みようだ。お年寄りの団体客が多い。その中に若いアベックが一組、二組と目につく。あの有名な雪吊りが始まっていて、ほとんどの松は幹の頂きから円錐状に荒縄が掛けられている。もみじは真っ赤に紅葉している。真っ黄色の葉をした木もある。
だいぶ天気が回復してきて青空が見える。大きな池の周りに配されたこれらの木々が空の青さを写した水面に映えて、まるで絵画の世界に迷い込んだようだ。瞬間、そんなことを考えたのだが、すぐに現実に引き戻された。とにかく人が多いのだ。記念写真がとれる場所には必ず、おばさんたちが群ている。少しはゆっくりと景色でも眺めればよいものを、ひたすら記念写真を撮っている。家に帰って、写真を前に家族に旅の思い出話しをすることが楽しみなのだろう。
私の今回の写真のテーマは、光と影、紅葉の色である。
いつもは36枚撮りのフィルムを2~3本使ってしまうのだが、気に入った絵はいまだに一枚も撮れていない。今回はこのような反省から12枚撮りのフィルムを1本だけ持ってきた。1枚1枚に精魂を込めて撮影しようと考えたのだ。
目で見た物とレンズを通して見た物は違って見える。如何にその時の心像を記録するかが私の勝負どころになる。ただ綺麗に写っただけではだめで、その時々の自分の「こころ」が写し込まれていることが望ましいのだ。では、どのように撮れれば満足するのか説明しろと言われても困る。難しいのだ。なにやら偉そうなことを言ってるが、実は私は写真に関して無学で未熟者なのだ。時間をかけて勉強していきたいと考えている。
日本の3大名園のひとつ、兼六園は加賀百万石・前田家が造園した庭園で、お城から堀一つ越えると広大な庭が広がっている。昔はお殿様やお姫様がお供を引き連れて四季折々の自然を楽しんだことだろう。園内では、紅葉の透きとおるような赤が綺麗だったが、林の中の散った落ち葉に時折射し込む木もれびや、椎の巨木の根本を覆う苔の深い緑もまた、印象に残った。
今回の旅のコーディネータは会社の書記の志水さんである。昨年、結婚したが、未だにお嬢さんと呼ばれている。京都美人で物事をはっきりいうタイプだ。わがままの多い男どもをリードして、旅を無事に終わらせてくれた。文を終わるにあたり、最後に感謝の言葉を贈りたい。
「ありがとう」
平成8年11月12日
写真はいいねっと金沢から引用させていただきました。