内藤先生、有難うございました
僕が研究生として内藤研でお世話になったのは、1985年〜1986年夏までのわずか1年半でした。広島大学大学院の博士課程にいたのですが、指導教授が博士の学位を出さない先生で、学位を出してもらうまで待っていたのでは、40才近くになってしまいそうでした。こんな年齢で学位をとっても研究職のポストにつける訳もないので、思案したあげく退学しました。
退学したものの、もはやどこか他の大学で論文博士を出してもらう以外、学位を取得する方法はありません。しかし、これは不可能に近いくらい難しいことでした。一体何のために、どこかのよく知らない学生のために、ボランティアで大変な労力と時間を費やして博士号をだしてあげる必要があるのか。そんな奇特な教授が日本のどこかにいるとも思えませんでした。
居候させてもらっていた研究室の先生がある日、「筑波大学の内藤 豊 先生にお願いしてみようか?」と。内藤先生は、ゾウリムシの電気生理学の大御所で、僕らのような研究分野の若い者にとっては神様のような存在でしたので、これはもう恐れ多い話でした。「1年くらいかけてブレファリスマの光行動の研究を進展させれば博士号が出せると思います。」という内藤先生の有り難いお返事を頂き、筑波大学に移ってブレファリスマの光行動の研究を再開することになりました。
内藤研には、単細胞生物の光行動を解析するための装置はそろっていましたが、一部の測定装置を自作したり、それらをセットアップする作業をしなければなりません。最初に自作したのは、先生に書いてもらった回路図どおりにハンダ付けして組み立てたシリコンフォトダイオード光強度測定装置です。研究室には、内藤先生自作の大がかりな膜電位測定装置がありました。オシロスコープ以外は全部、回路図をもとに電子パーツを基板に組み込んで作ったそうです。断線したコードのハンダ付けくらいしかしたことがなかった僕にとっては、もう別世界です。回路図のことは最後までよくわかりませんでしたが、回路図をもとに、電子部品をハンダ付けして測定装置をつくることはできるようにはなりました。電子部品をつなげて測定装置をつくるのにはまってしまい、ブレファリスマの光行動の解析の合間に、暇さえあれば工作の毎日です。
内藤先生の教えの1つは、「生理学分野の研究に費やす労力の9割は実験装置の作成である。実際の生物を使ったデータとりは1割に過ぎない。」でした。「精度や再現性において、あやふやな測定システムを使ったのでは、何回実験しても信頼できるデータはとれない」ということです。筑波に来るまでは、砂上の楼閣のような測定装置を使ってやっていたので、目から鱗でした。
秋頃になると、英語で博士論文の執筆を開始しました。1章ずつ先生に添削してもらい寒くなる頃には原稿が出来上がりました。当時はまだ英文ソフトが市販されていないときで、内藤研の卒業生の人が作られたソフトを使って書きました。その時も、その後も思ったことですが、内藤研には、すごい人たちがいるなと思ったものです。
論文審査が終わると今度は最終試験を兼ねた発表会です。研究内容に関わる容赦のない質問が次から次へときます。しまいには、「あなたは広島大学の博士課程にいたのに、なぜ筑波大学に博士号を申請するのですか?」という最も恐ろしい質問まで飛び出す始末です。これには、ある先生が、「あそこは博士号を出さないからね〜」と、助け舟を出してくれたので本当に助かりました。
そして3月に論文博士の学位授与式です。論文博士の場合は、一人ずつ壇上に上がって研究科長から学位記を受け取るのだそうです。内藤先生に、「どんな格好でいったらいいですかね?」と尋ねると、「ジーパンでいいんじゃないですかね」と。さすがにそれはどうかと思い、スーツはもってなかったので、スラックスにジャケットという格好で行くことにしました。しかし、授与式が始まると会場から逃げ出したくなりました。ジーパンどころか、自分と同じような格好の人はどこにも見当たりません。最低でも紺か黒っぽいスーツ、それ以外の人は礼服です。学位記を授与する研究科長がモーニングで、もらう方が礼服です。冷や汗をかき、博士の学位の重みを痛感し、内藤先生と筑波大学に感謝した1日でした。
それまで、中四国以外に住んだことがなかったので、筑波での生活はとても新鮮でした。よそからやってきた僕を、内藤研や隣の石坂研の人たちは、とても親切にしてくれたので、すぐにうちとけることができました。その年は、ちょうど筑波万博が開催されていて、OさんやSさんと万博会場によく行きました。もちろん展示物を見るためではありません。コンパニオン見学です。
内藤先生が繊毛運動の大御所だったP. Satir先生に紹介してくれて、1986年の夏からアメリカに渡りました。アメリカに出発する前の何ヶ月かの間、卒論で入ってきた冨永さんや加藤さんと一緒でした。
12年前、筑波大で原生生物学会が開催されたとき、内藤先生のお宅を訪ねました。内藤研にいたとき、1度家に招待してくださったことがあり、そのときの記憶をたよりに歩いて探したのですが、結局たどりつけず、先生に電話して迎えにきてもらいました。昔の記憶はいいかげんなものです。
もう1度くらいお会いしたかったかな。
[ブログ「マツオカ博士の単細胞生物学こぼれ話」(http://blog.livedoor.jp/t_matsuok-t_matsuok/archives/21803767.html)に加筆したものです。]
2020-06-03