雑談とチョウチョ
山岸 宏(元筑波大学)
昨年の1月に内藤先生から、江原有信先生の墓所についての問い合わせの書簡が届きました。電話でお返事をしたところ、いつもの先生らしいお話ぶりで大変お元気なご様子でした。近くにいながら賀状を交わす程度で、お訪ねもしていなかった後ろめたさが、和らぐ思いでした。そして5月の初めに伊藤希氏から、先生が1月に亡くなられたとの連絡をいただき、大変驚きました。同時に江原先生の墓所の問い合わせは、終活の一環だったのかもしれないと感じています。
私が内藤豊先生に初めてお会いしたのは、東京教育大学が筑波大学としてつくばへ移転しつつあった、昭和50年代初頭でした。新米の助手として移転の雑用に追い立てられている時期で、まだ建物もできていない筑波大学にUCLAから赴任された先生が、教育大のセミナーで講演された時でした。江原先生が東京府立第五中学校(東京都立小石川高等学校)で教えていた時の生徒だったというつながりで、筑波大学に来られたそうです。それまでゾウリムシには全く縁がありませんでしたが、電気生理学的手法を駆使して単細胞生物の行動を解明したストリー性豊かなお話に、感動したのを覚えています。以来20年近く親しく交わらせていただきました。内藤先生は、私がこれまで接した研究者の中で最も畏敬するおひとりであり、研究面で多くのことを学ばせていただきました。ゾウリムシの門外漢としては、最も先生の仕事を理解していると自負しています。内藤先生と出会えたこと、内藤研究室の皆さんと楽しい時間を共有できたことをありがたく思っています。
思い出すことが故人に対する最大の供養になると聞きました。先生に関するいくつかのことを思い出してみました。
先生はお茶(コーヒー)を飲みながら雑談をするのがお好きでした。6階の角のゼミ室をお茶室と称して(ほかの研究室には迷惑な話ですが)、もっぱら雑談に使用していました。そこで雑談に費やした時間は膨大になります。しかし先生の雑談はその知識の多様性と深さ、さらにはあくなき好奇心とユウモアから大変楽しいものでした。膨大な時間は決して無駄な時間ではなく、研究面だけではない多くのものを学ばせてもらったと思っています。
先生はチョウ採集が趣味でした。しばらくお休みしていたようですが、つくばに来てその趣味が復活しました。私もチョウ採集が趣味でしたので、つくば周辺や遠方への多くの採集行に同行させていただきました。一番の思い出は、1992年の10月に沖縄で動物学会大会が開催された折の採集行です。大会の1週間前から、内藤先生、東北大の樋渡先生、大網氏、私の4名で、石垣島、西表島そして沖縄をめぐり歩きました。仕事を忘れ、朝から晩までひたすら網を振りながらチョウを追いかけた至福の日々は、私の宝物として記憶に刻まれています。先生はチョウの標本をすべて友部の茨城県立博物館に寄贈されたようです。私もまだですが、きっとそこに行けば、採集者:内藤豊と書かれたラベルの付いたチョウの標本がみられるのではないでしょうか。。
先生は比較的早い時期から入れ歯を使用されていました。先生曰く、「私の年代は、成長期が戦中、戦後の食糧難の時代だったので、歯も体もガタガタです」。そうは言いながらも平均年齢を超えて頭脳明晰でおられたわけで、まさに大往生であり、見習いたいものと思っています。
ご冥福をお祈りいたします。
2020-07-01