気泡亭豊先生とのこと
岩本 政明
先生が旅立たれたことを聞いてから、古いパソコンを開いて先生とのメールのやり取りを一つひとつ読み返してみた。先生のメールの署名には常に「気泡亭豊」とある。いろいろな思い出がそれこそ気泡のように浮かんできたが、そのうちのいくつかを綴ってみる。
出会い
Richard Allenさんにポスドクとして採用され、ハワイ大学の研究室を初めて訪れた日、気泡亭先生は挨拶もそこそこに畳一枚くらいある白紙を机に広げ、地図を描きながらホノルルの街のことをあれこれと私に教えてくれました。勝手にイメージしていた人物像(具体的には省略)とはずいぶん異なり、気さくでフレンドリーな方だと感じました。あれはきっと初見の若者に対する先生なりのお気遣いだったのでしょう。私が院生の頃には先生はすでに筑波大学を定年退官されていて、私は日本で先生にお会いしたことはありませんでした。私にとって先生は筑波の人ではなく、ハワイの人であり、陽気なマノアの仙人といった感じでした。当日の光景をあまりに鮮明に思い出せるため、つい数年前のことのように感じますが、あれからもう20年も経ちます。
仕事
J. Exp. Biol.誌に載ったIwamoto et al. (2005) に関しては、頑張ってデータをとり、自分の中でストーリーも出来ていたのですが、先生は「これは私が書きます」と言って、一筆も書かせてくれませんでした。完成まで2年、出来上がった論文は大作で、先生はその執筆で何年か寿命が縮まったとのたまっていました。当時の私には到底あのような作品に仕上げることはできませんでしたし、今でも無理です。結構すごいことを結論した論文だと自負しているのですが、ややこしすぎるためか、マニアックすぎるためか、あまり引用されていないのが残念なところです。ごく簡単に言うと、ゾウリムシは細胞内に入ってくる水を収縮胞で排出している(キリッby教科書)という理解はそれでいいんですかねえ、といったことがデータとシミュレーションで示されています。詳細は、先生が命を削って書き上げた本作 [1] にあたってください。
約束
先生とは世間話の類ばかりしていたように記憶しています。週末は何していたとか、どこそこに美味いものがあるとか。これは偏に先生と十分にサイエンスを議論するだけの力が私に無かったためであり、先生を独占できる貴重な時間がたっぷりあったにも関わらず何とも勿体なかったという思いです。「マサアキくん、とりあえず何に対しても初めに違うと言うのですよ。違う理由はあとから考えるのです。」と教わりましたが、私は、性格上そのような議論を吹っかけることは一生できそうにありません。
私がホノルルを去ることになったとき、先生とある約束をしました。この先、二大誌(NatureとScienceのこと:“新興誌”Cellは先生の眼中に無い)に論文を先に載せたどちらかに他方がビフテキをもてなすというものです。まだ約束を果たせておりません。次にお会いするときはビフテキをご馳走になりながら、先生を正攻法で論破できるよう研鑽を積んでおきたいと思います。
[1] Iwamoto M, Sugino K, Allen RD, Naitoh Y. Cell volume control in Paramecium: factors that activate the control mechanisms. Journal of Experimental Biology 208 (3), 523-537.
2020-06-29