内藤豊先生を偲んで
大網一則
大先生が亡くなりました。謹んでお悔やみいたします。
私が内藤先生のお名前を初めて知ったのは、論文の中でした。神経や筋肉の関係の講義 に興味を持ち、大学4年生で生理学の研究室に入り、慣れない難しい論文を調べながら、 読んでいたときのことです。内藤先生の論文が目に止まりました。ゾウリムシのトリトン モデルの論文でScience誌に載ったものです(Naitoh & Kaneko, 1972)。当時、複雑 な生命現象を解明するには、生化学など、物質に活路を求める報告が一つの流れでした。 ただ、私が興味を持っているような生理学的な現象は、依然、あまりに複雑すぎ、物質を 調べても理解できないのではないかと感じていました。しかし、内藤先生はこの論文の中 で、生理学的な行動制御を、いともシンプルにわかりやすく解明してあり、何とスマート で、センスの良い論文なのだろうと深く感銘を受けたことを覚えています。この論文に加 え、内藤先生のスマートで正確無比な電気生理の論文の数々は、私のその後の研究の方向 に大きな影響を与えました。そんなわけで、私の中で、内藤先生は世界を股にかけて活躍 する日本人の代表格の研究者でした。Naitoh & Kaneko (1972) Science 176, 523-524
実際に先生にお会いしたのは、私が修士の学生であった 頃、筑波大で科研の班会議が あった時です。お髭の先生 が、前の方で、頻繁に質問や 意見を述べられており、鋭 い! と感心しておりました が、この先生が内藤先生でし た。当時、班長をされていた と思います。その後、故あっ て、私が学位をとるときに大 変お世話になり、さらに筑波 大で先生の教えを長らく受け ることとなりました。 私にとって、あまりに大恩 があり、大きな影響を受けた 先生なので、何を書いて良い ものやら当惑しますが、徒然 なるままにいくつかの逸話を 紹介いたします。
生農B棟6階のオフィスで書類を見ている内藤先生
手作りのアンプ
内藤先生は、多くの論文を発表されていますが、そのうちの中心にあったのが、膜電気 現象の測定、解析を行う、電気生理学的な研究でした。手法としては、微小な細胞に、細 胞を壊さないように極めて細いガラス針を刺して、細胞膜内外の膜電位差を測定するもの です。この測定は特殊なもので、精密で特別な電気回路の利用が不可欠でした。内藤先生 の実験セットには、手作りのアンプが、見事に並べられて機能していました。当時の電気 回路は、今のデジタル主流とは異なり、アナログのものです。アンプの中心部には、オペ アンプと呼ばれるICが使われていました。当時、ICに関しては、日本のものはアメリ カ製には、はるかに及ばず、特に電気生理の測定に使うような、高性能の製品はなかなか 手に入りませんでした。内藤先生の作ったアンプ類の中心には、アメリカ時代に入手した と思われるアナログデバイセズのOPアンプが入っており、あーすごいなと思ったのを覚 えています。アナログデバイセズのICは同じものでも、精度によって3種類の規格が用 意してあり、それぞれ、末尾にJ、K,Lと表記されていました。梅、竹、松(天丼、鰻 重などのあれです)のようなもので、性能が順次良くなってゆきます。Lのオペアンプ(42Lなど) は、軍用にも使え る規格で、日本で はほとんど手に入 らなかったもので すが、これらが、 惜しげもなく使っ てありました。こ れらアンプは、ア ルミ板を切ったフ ロントパネルに各 種スイッチ類をつ けた形で、鉄製の 枠に組み込み、 シールドボックス 内のヘッドアンプ のコントロールを 含めて作動させて おり、見事なもの でした。
最終講義を終えた内藤先生
芋刺し、ニヤッ
電気生理学的測定には、精密なアンプ類が必要な上に、極めて微小な細胞を生きた状態 で扱う繊細で高度なテクニックが必要でした。私は、内藤先生の研究室で、ゾウリムシの 化学受容に興味を持ち、膜電気のレベルで解析を試みようと思い、微小電極を刺す実験を 始めました。毎日唸りながら測定を試みていましたが、なかなかゾウリムシの生き様を率 直に見られたと思うようなデータが取れません。泳ぎ回るゾウリムシに針を刺すのは容易 いことではなく、苦戦していました。しばらくして、ようやく、納得がゆくデータが取れ 始めたかなと感じた頃、内藤先生とお話しして、細かいところを含め、先生、ここはこう しませんでしたかなどと、興味津々で話しかけていましたが、先生は、ニヤッとして一 言、芋刺しにして、少し戻すんですとおっしゃいました。結構長い時間かけて、なんとか 私が身につけた方法の上を行っており、大胆かつ繊細で、ははー感服しましたと思わされ ました。芋刺しとは、焼き芋を串で貫くように貫通することであり(本来人に使う用語の ようです)、ここでは、ゾウリムシを微小な電極で貫通して、少し戻すことにより、その 先端を細胞内に安定に置くことができる、という方法を指しています。ニヤッとしていた だいたのがとても嬉しかったのを覚えています、
内藤先生と奥様(トレモントホテルだと思います)
泳ぐ神経細胞
内藤先生のご専門は、改めて思い起こすと一般生理学であったと思います。ゾウリムシ という単純な体制の生物を材料にされていましたが、求めるところは、ゾウリムシの性質 ではなく、生命現象の一般的な仕組みでした。ゾウリムシは、解析に有利な材料を使った ということだと思います。その結果、ゾウリムシをして、”泳ぐ神経細胞” であるという表 現、捉え方が出てきたのだと思います。単細胞生物から、ヒトまで通用する生命現象の原 理を見出すという発想は、博物学的な生物学の見方とは異なるもので、大変勉強になりま した。
初めのところで書いた、トリトンモデルの実験は、ゾウリムシの繊毛逆転が、細胞内の Caイオン濃度により制御されていることを見出したものであり、今では、一般的に知ら れている、様々な生命活性の制御におけるCaの役割の一端をいち早く示したものです。
退官時に卒業生が集まったパーティーで
論文の直しは膝付き合わせて
内藤先生が学生の文章を直す時、大抵は、学生本人を脇に座らせて、絞り出すように時 間をかけて文章を添削してゆかれるスタイルでした。科学論文における文章の重み、正確性、論理性などなど、思い知らされる時間でもありました。これは本当に為になりまし た。怪しげな、あるいは不正確な記述に対しては、これはどういうことですかと、必ず、 実験の方法、結果、はっきりとした論旨を問い正してくれました。私も、学生の文章を直 すときは、自ずとこのスタイルになっていました。ただし、内藤先生と異なり、学生のた めになっていたかどうかは定かでありません。
石垣港から西表島大原へ向かう船の中で、手にされているのは蝶採集用の竿 (左は樋渡先生、1987/10/11)。
学生たち 内藤先生のもとには、優秀な学生がたくさん集まりました。筑波大学の学生だけでな く、内外の自立した研究者も、長期、短期の滞在をして、内藤先生のもとで研究をしてゆ きました。ただ、そういった優秀な学生、研究者だけでなく、研究や勉強よりもサークル や他のことに熱中しているといった学生も内藤研には集まっていました。先生の優しく、 また、幅広い人柄を偲ばせるものだと思います。
偉大な研究者であり、優しく、また、厳しい教育者でもあった内藤先生、ご冥福をお祈 りします。
西表島にて、バックは古見のマングローブ。
2020-06-24