内藤豊先生の思い出
私が初めて内藤さんにお会いしたのは、東北大で助手をしていた50年前に遡る。当時、論文博士の取得後、ゾウリムシ(P. caudatum)の接合に関与する突然変異体を得ることに取り組み始めていた。その処理細胞の中に、行動の変わり者がいるのではないかと、内藤さんが仙台まで出向いて形質チェックをされていた。その時はこれぞというものはなかったものの、このご縁で、その後UCLAにおられた内藤さんからミュータント取りの話が届き、本格的に取り組むことになった。当時、UCSBにヒメゾウリムシ(P.tetrauleria)で先駆的に行動突然変異体を分離し、成功を収めていたChing Kung 教授がいた。しかし、内藤さんは、日本で伝統的に使ってきた、ご自身も研究材料としてきたゾウリムシでのミュータントを求めておられた。ゾウリムシのミュータント取りは、薬剤での誘発処理からスクリーニングまで約3ヶ月かかる。生理学者には到底受け入れ難い時間だったと思うが、辛抱強く待っていただき、2年の時を経て、何とか突然変異体をいくつか得ることができた。この時分離したミュータントは、結局私の定年までの仕事につながった。
帰国して4年後のある日、今度は、筑波大学の助教授に呼んで下さった。同じ実験室で内藤さんの学生さん達とも親しくしながら、仕事することになった。振り返ってみて、私の人生にとって、本当にまたとない、ありがたい機会を与えてくださった恩人、という想いが湧いてくる。
内藤さんは知的好奇心が旺盛で、科学の分野を問わず、筑波大学の教員用ラウンジで、議論好きの人を捕まえては科学談議をしている姿が目に浮かぶ。UCLAでも、ランチタイムになると、殆ど毎日大学のバーガーショップに出かけ、Roger Eckert教授の院生といつも仕事の議論をしていた。
群れるを好まず、来るものを拒まず去る者は追わず、卒研生も自分で発掘したテーマに取り組み、それを全面的にサポートする形で研究指導されていた。印象に残っているエビソードがある。4年生の卒業研究の発表会が、具体的な日程になってきた頃、一人の男子学生とオフィスで議論していた。なかなか面白い実験結果を議論していたそうである。その時、「ところで君の指導教官は誰だね」と尋ねたところ、その学生は「内藤豊先生です」と答えたとのこと。ペンペンと額をたたきながら、その顛末を愉快そうに教員ラウンジで話しておられた。内藤さんでしか通用しないエピソードではなかろうか。仕事の議論には、誰のどのようなテーマでも本気で関わっておられたのである。
退職後にも、ハワイ大学で研究を続けられるなど、その研究に向かう姿勢には尊敬しかない。
心から申したい。ありがとうございました
2020-07-04