福島第一3号炉爆発は核爆発(および臨界)という風評

投稿日: May 07, 2011 11:49:23 AM

風評被害について別の稿で書きました。それとは別に、社会的な「理解」というのはこういう形で起こるのだと言うサンプルとして、今議論を呼んでいる現象を書き留めておこうと思います。

原子力工学の理論面で考えて、3号炉の爆発は「核爆発」の可能性は少ないです。ただ、ネット上の情報はいろいろ混乱があるようです。それは、

これらの事が組み合わさって、疑心暗鬼を助長している様に見えます。

社会面での現象については、別に分析しましょう。ここでは、核工学的観点から普通の意味の「核爆発」はありえない事を書いておきます。

(核爆発と臨界)

まず、「核爆発」の定義とは何でしょう?同時に使われる用語「臨界」とは何でしょう?前者は広島長崎をはじめ、その後多くの核実験で起こされた「爆発」が核的な反応により引き起こされたものとして定義されるでしょう。普通は一定上の大規模なエネルギー放出を持って「爆発」というべきだと思います。

後者は1999年のJCO事故により世間に広まりました。ただし、JCOで起きた現象は核爆発ではありません。現場で被害を受けた方も、その場で身体的な損傷を生じたと言うよりは、大量に被曝した放射線の影響で亡くなられています。

今回の3号炉の爆発は、核爆発であったかというと、答えはNoです。「極小の核爆発」という表現をネット上でする人も居ますが、それは形容矛盾です。「小さな巨人」というのはレトリックとしては成立しますが、科学的な表現ではありません。

ではそうなると、臨界が起こったかどうかが焦点となります。JCO事故と同様の現象が現場で発生したのかどうか、これは上記の3項目が絡んで、この部分で誤解を増幅している様に思います。

(臨界とは?)

臨界とは、炉工学的には中性子のバランスがとれている状態を意味します。核分裂が起こり、そこから発生する中性子が一定の条件を満たして次の核分裂を起こし、連鎖反応となり、エネルギーの生成を継続します。「一定の条件を満たす中性子」の消費量と供給量がバランスがとれている状態が「臨界」状態であり、科学的に厳密な定義がある訳です。ちなみに核爆発を起こすには、バランスをとるどころではなくそれを遥かに超えた大幅な「超臨界」、つまり中性子の供給過剰状態になっていないといけません。

JCO事故では扱っていた物質の組成が、核的化学的に安定した燃料ペレットとは全く違いますが、核燃料を加工する過程において通常は供給量が消費量を下回るような条件で作業していたはずのところ、謝った操作により供給が増えてバランスが釣り合ってしまったという状態です。ちなみにこの状態を長時間保持するのは、静止した自転車のバランスをとるのと同様に難しく、自然な変動ですぐ未臨界に戻るか、超臨界に一瞬踏み込んでから、系にフィードバックがかかってまた未臨界に戻るのが普通でしょう。十分な量の核分裂物質と程よいエネルギーまで減速された中性子が安定して供給されないと、臨界を維持するのは大変難しい事です。従って、今回は核燃料プールの広い範囲で継続的に「臨界」に達する事は考えられません。

「局所的瞬間的臨界」という言葉も使われているようですが、これも科学的な表現ではありません。時間と空間を都合の良い様に区切って需給バランスを計算すると、ウラン235を含む系であれば「局所的瞬間的臨界」はどこでも起こりえます。しかしそこで生成されるエネルギーは、とるに足らないものです。

もっとも人々の心を惑わせているのは上記3項目のうち3番目でしょう。これはわざわざ解説するまでもなく、映像の資格的効果、ハワイと言う遠距離まで及んだ事象の重大さからくる印象が支配的です。ちなみにウラン、プルトニウムが放出された事と「核爆発」、「臨界」はまったく別次元の話なので、どんな爆発が原因であろうとも、特にプルトニウムの毒性を考えるとこれは由々しき事態です。しかしながら、不安を感じるのはそこまでで充分であり、更に「核爆発」や「臨界」は必要ありません。

最近はこれに加えて、都内の路上に溜まっている黄色い物質(花粉と思われる)がウランの加工過程で生じる「イエローケーキ」だとか、さまざまな「都市伝説」の卵が生じてきていますが、いずれも偏った理解や誤解に基づくものです。