「小さな世界」がつくる水平的ネットワーク利用
投稿日: May 08, 2011 3:10:5 AM
以下の文は、2002年に日経新聞社のデジタルコアに寄稿した文を元に、手を加えて改版したものです。あの当時と今と、意外なほどに進展がありません。「失われた20年」になろうとしているのでしょうか?
ディズニーのテーマ曲のひとつ、「小さな世界」は、ある意味でコミュニティの本質を言い当てたタイトルである。知人の知人が、実は会社で机を並べている同僚の知人であったという類のことは、実世界で数多く体験されることだが、情報ネットワークの利用に関して大きな示唆を持っている。
■垂直構造に偏ったネットワークの諸問題
今のインターネットは、小規模な放送局が乱立するモデルから抜け出せていない。ある企業のWebページに求める情報は、人それぞれに異なり、千差万別の情報が得られてしかるべきであるのに、誰が見ても同じ情報であることを前提とし、よりTV放送に近いリッチネスを目指したアニメーションや動画が大量に発信されてようとしている。このため、利用者ごとの目的の違いを補うために、大量の情報をめ込めるだけ詰め込んで、皆の見える高いところにおいておき、セルフサービスで必要なものを探し出してくださいという、上下垂直構造にならざるを得ない。
これは、情報の内容だけではなく、表現の仕方、インタフェースの設計についてもほぼあてはまる。老若男女をとわず、同じマウスとキーボードの操作を強いられている、これまでのWebを中心とした「インターネット」は、あくまでも新しいメディアを利用する試行錯誤の第一段階と考えるべきだろう。また、上下関係があるがゆえに、それを管理する「権限」が生じてくる。また、権限とは表裏一体となる「責任」についても、著作権侵害や、プライバシー侵害、非社会的なメッセージなど、情報がネガティブな働きをしたときの判断が、ますます複雑になってきている。
■水平的な「友達の輪」は意外と広い
一方で、情報ネットワークの利用の仕方について、社会的にも理解が進んでくるにつれ、少し違ったインターネットの利用の仕方が増えつつある。情報を高いところに陳列しておくのではなく、もっと人間を中心とした輪の構造(水平構造)の中で、自分のほしい情報を取得しようという発想である。自らの疑問にピンポイントで答えることのできる人を、すばやく探し出すことができれば、検索エンジンから吐き出される、大量のゴミ情報と格闘する必要も減るはずである。
このモデルがうまく機能するための条件として、情報を「高いところに置かなくても済む」ことが保証されなくてはならない。無論すべての種類の情報が、この条件を満たすということではないが、「小さな世界(small world phenomenon)」という、社会心理学の研究テマが最近注目を浴びている。1960年代に、何段階の知人関係を積み重ねれば、直接コンタクトのない遠隔地に済む2人の間が、結ばれるだろうか、という実験が行なわれた。詳細は割愛させていただくが、大体6回、「友達の友達」を繰り返すことで、目的の人をポイントすることができたそうである。
これは、日常生活の中でわれわれも経験する、「世の中狭いもんだねえ」を検証したものである。逆をいえば、われわれの等身大の知人関係によるネットワークは、意外と広いのである。こうしたネットワークを有効に利用すれば、中央の高い位置で一元管理を行う便利なサーバーが存在しなくとも、つながりの連鎖で目的の人から目的の情報を取得するのは、思ったほど非効率ではない可能性も示している。
■ピアツーピア(Peer to Peer)型メッセージボードの実験
ブロードバンドのネットワークは、決して映像などの情報を一方向的に「配信」するモデルでの利用だけを考えるべきではないと書いた。そしてそれに伴い、中央の管理者としてのサーバーを省略したピアツーピア・アーキテクチャの登場場面が増えるだろうということを述べた。このピアツーピアこそが、上で述べた「小さな世界」を前提としたシステムなのである。
その一部を検証するために、指導学生である田中祐一郎君を中心に実験を行った。50人のコミュニティで、ピアツーピア型の設計で擬似的に作成したサーバーレス電子掲示板システムを利用して自由にメッセージの交換をしてもらい、そのときの情報の流れを分析した結果、平均して3.5ホップ(メッセージ転送数)で、全員が同じ内容を共有することができ、上に述べた社会心理学の実験や、理論的に計算した予想とも符合する。
サーバーやネットワークの過負荷が原因で、巨大掲示板などがサービスを中断せざるを得ないケースが時々見うけられる中で、筆者らは、このピア・ツー・ピアー型設計方式を、新たなコミュニティサポートの方式として注目している。(注 この部分は2003年当時の記述)
■水平的ネットワークにおける権限と責任
このような、管理者不在のネットワークが成立しうるということは、社会的に見ても、これまでとは異なるサイバールールについて考えはじめなくてはならな いことを示している。これまでの、クライアント・サーバー型の構成では、サーバーが存在する以上、何らかの形でそれを管理運営する人が必ず居て、いざ事件や事故が起きたときには、責任を問う対象が存在していたが、水平的で、アドホックなネットワークでは、管理者も管理権限もない代わりに、責任の追求もしづらくなる。
匿名性が存在すると大変な手間と労力がかかることになるだろうが、このような場合、情報の発信元(メッセージタイプの情報であれば発言者)しか、責任を求める相手は居そうに無い。既に、ソフトウェアの違法コピーや音楽著作権をめぐる、ピアツーピア・システムの規制の動きが出てきている。仮に今後、利用者数が増加するとすれば、モラルに訴える以外に効果的な規制の手段は無く、ネットワーク社会のあり方に関しての思想的な背景にまで影響を与えるかもしれない。