8月15日靖国神社風景
靖国神社の風景2題
(その1)
戦後60年の8月15日の靖国神社
2005年8月15日の訪問記
伊達美徳
今年(2005年)は8月15日、野次馬で東京九段の靖国神社に行ってみました。
このところ総理大臣が参拝して近隣諸国が怒りアレコレあって、有名になりました。
戦後60年目の節目の年(科学的な根拠はないでしょうが)とかで、どんなことが起きてるのかなあと興味津々、でも、実はたいしたことはありませんでした。
起きてるだろうなあと思ったことが起きていたのは、終戦60年国民大会なる例の単純論調の絶叫が続く集まり、そしてこれも戦争懐古賛美らしき本やら映像やらの販売、無宗教の慰霊施設設置反対署名運動、みんなで参れば怖くない国会議員の集団参拝、日の丸を振る軍服の一団など。
これらは当然やってるだろうと予想しましたが、ちょっと気になったことは、野次馬らしくない若者たちの姿が多いことでした。大勢の若者カップルが賽銭箱の前で手を合わせていて、もしかしたら初詣と間違えているんじゃないかしら、間違えているのならともかく、どこか不気味な 感もありました。
死者を貶めたくない遺された生者の心理と戦争暴力とがないまぜになると、このような社会現象がおきるのかなあと思うのでした。
いずれにしても戦死者を讃えると戦争駆動装置にならざるを得ません。いや、駆動装置だからこそ讃えるのか。南海に没した叔父もここに合祀されているのでしょうか。
それにどんな意味があるのか理解できません。(050824)
(その2)
靖国神社は日の丸小僧・軍隊コスプレおじさん・歴史教科書おばさんなど不思議風景
2013年8月15日の靖国神社風景
<徘徊人> 伊達美徳
あまりに暑い日々で出歩く気もしないのだが、それでは身体老化が進むと、熱風の中を東京徘徊に出かけた。われながら物好きである。
それというのも、今朝起きてヒョイと気が付いたら8月15日なのである。そうかあの日か、じゃあ、靖国神社に行ってみよう、用はないけど身体運動して健康のためになるなと、そして好奇心が背中を押してくれた。
地下鉄九段下駅から地上に出れば、ちょうど陽は中天にあって熱気が迫りくる。九段坂の木陰を伝いながら登れば、おお、おなじみ右翼街宣車の騒々しい絶叫である。
鳥居をくぐる。ものすごい人出だろうと予想していたが、それほどでもない。実は8月15日に来るのは初めてではない。2005年にも来ている。
では本日の靖国神社のガイドツアーを始めましょう。
鳥居の手前の路上で、こんな幕を掲げてTシャツを売っていました。
桜の木陰のそこここに戦争記念碑がたっています。これは1918年から22年のシベリア出兵で大敗北した部隊の碑です。日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦で勝ち続けていた日本軍が、初めて大敗北した戦争でした。
そばに立つ説明板には、隊の悲劇だけ書いてあって、そういう歴史的な評価は書いてありません。生き残りの兵が建てたから、そういうことなのでしょう。
その碑の近くには「慰霊の泉」なるモニュメントがあります。無粋な碑や彫像がおおい靖国神社の中では珍しい現代造形です。作者は井上武吉。
その隣には「戦跡の石」なる壁があり、沖縄、フィリピン、ミャンマーなど太平洋戦争の悲劇の地から持ってきた石が壁にはめ込んであります。
やってきた若者2人がレイテとかコレヒドールとか地名を読んで、どこ?外国だろうなあ、と会話していました。
そこでは多くの日本軍人も死にましたが、現地住民もたくさん殺されました。フィリピンのマニラでは日本軍が市街戦作戦をとったために、住民が10万人も死んだそうです。そういうことも込められた石なのでしょう。
こんな格好の子どもがいました。いっしょの女性が外国人のようでしたから、単なる遊びでやらせているのか、わかってやらせているのでしょうか。
境内にある露店ではこんな本を売っていました。
こんな署名運動もやっています。今日はアベさんはやってくるのでしょうか。それとも来ないのでこうやって署名運動でしょうか。
いい大人が軍服コスプレをやっていました。今日、ここだからでしょうか。
なんと、ナチスの制服コスプレ男も、映画でおなじみの鉄兜も持って。
日の丸、旭日旗若者たちも。
この炎天下なのに、参拝の人たちが拝殿の前に長い行列をでつくってまっています。お正月の初詣風景です。
これが拝殿、その向こうに神明造の本殿の屋根が見えています。
拝殿の前で拝む人たちです。若い人が多くて老人が少ないのは、この暑い日にでてくるような物好き(わたしのこと)はいないし、出て行きたくても家族に止められているでしょう。それにしても若い人たちが、きちんと拍手と礼をしているのに驚きます。神社の生まれの私でさえわすれているのに、。
ちょっと横に行き、ここは能楽堂です。もう20年も前でしたか、3月の末の桜の花盛りの初春の夜、ここで友枝昭世の「善知鳥」を観たことがあります。寒くて寒くて、震えながら見ているのですが、ひょいと舞台に引きずり込まれて寒さを忘れる瞬間もあり、夜桜の妖艶と善知鳥の猟師の不気味とが不思議な空間を作り上げていました。
ここに書いてある名前になんとなく記憶があります。最近なんだか変なこと言って何の党だったか除名された政界渡り鳥といわれるお方です。でもファンの方はいて、ご一緒に参拝されるのですね。
こんなTシャツの若い男がいます。わかって着ているのでしょうか、かっこいいファッションでしょうか。ほら、外国人が変な漢字の書いてあるシャツ着ていることあるでしょ、あれかなあ。
ごつい男が道に立って行く手をさえぎり、むこうには見物人らしい群衆がいます。これって、アベさんの参拝を迎えるところかも、、よし、行ってみよう。
物見高い見物人たちの中に入って、やってくるアベさんを待ちます。なかなかやってきません。道をはさんで向かい側は報道関係者専用で、大勢がカメラやマイクロフォンを持って待っています。こちらの中から「朝日新聞は帰れ!」「TBSもNHKも帰れ」「そうだそうだ」なんてヤジが飛びます。女の人の声も混じります。へえ、そういう人たちの席なのか、ここは、。
どなたか分かりませんが、VIPらしい人がやってきて、到着殿に入ってゆきました。観客席からパラパラと拍手が起きました。
桜の木陰だっだけど、VIPはなかなか来ないし、立ちんぼで待っているのも暑いし、もうバカらしくなって遊就館に行きます。昔からのクラシックな帝冠様式建築ですが、向こうにモダンデザインの新館をくっつけたらしいです。ヘンにクラシック物まねをくっつけるよりも、これでよかったと思います。
遊就館の前にこんな母子の彫刻があります。ほかの野外彫刻が偉い人とか軍馬や軍犬、大砲や軍艦とか無骨なものばかりなのに、これは優しい。
右に人物写真の碑があります。この人はインド人のパール博士で、日本の太平洋戦争敗戦による「極東国際軍事裁判(東京裁判)」の判事のひとりでした。戦勝国が敗戦国を裁く法理の矛盾をとなえて、被告人全員の無罪を主張したことで知られています。靖国神社が祀る戦犯とされた人たちを無罪と唱えたことを顕彰しているとしたら、それはパールさんに失礼になるような気がします。彼は戦争犯罪そのものは否定していないのですから。
では遊就館に入ります。でも入館料が800円もするので、無料エリアだけにします。入っていきなり蒸気機関車があります。戦争と関係あるのかしらと説明板をみたら、泰麺鉄道を走っていたのだそうです。そう、映画「戦場に架ける橋」で有名なビルマ(ミャンマー)とタイを結んで、戦時中に日本軍が無理やり敷設完成させた鉄道です。無理な工事と完成後も爆撃で大勢の死者を出し、特にイギリス軍など敵の捕虜を酷使して死なせたことで知られます。そのあたりのことは説明板には書いてありませんでした。この鉄道工事中のところを通ってインドに攻め込んで敗退した部隊の兵士だった方から、当時の話を聞いたことがあります。(参照:大橋正平戦場物語)
そしてこれがかの有名なゼロ戦だそうです。
遊就館のミュージアムグッズの宣伝をします。ゼロ戦がらみというか、ただいま公開の映画「風立ちぬ」がらみでしょうか、こんなものも、、。
さて、また鳥居をくぐって九段坂を下ってゆきます。歩道にあれこれと露店のようなものが出ています。ああ、これが問題の歴史教科書ね、、え、でも、何を正しいと言うのかしらと見れば、日の丸の旗のもとに「河野談話撤廃署名」と見えるから、そうか、そちらの方なんですね。
これも教科書問題ですか。ほかにも道端では、天皇陛下万歳や、靖国神社崇敬などの気勢を上げている人たち、日の丸の旗を身にまとう人などもおられました。どうも騒がしい集団、営業露店、靖国神社と特に関係ない活動などは、境内には入れなかったようです。8年前よりも境内が静かな感じでした。
あの右翼さんの振る旭日旗はここで売っているのでしたか。
九段坂下の登り口にある昭和館も、なんとなく靖国神社がらみの施設のように思えてきます。鬼才・菊竹清訓が設計して1999年に建ちましたが、どうも菊竹さんの作品の中では駄作にしか思えません。
九段坂下にある軍人会館(いまは九段会館)は、靖国神社によく似合います。だが、2011年の震災でホールの天井が落ちて死人を出したので、もう使用していないようです。とりあえずまだ建物は姿を消していませんでした。
その近くの太陽神戸銀行ビルは、いまは「あおぞら信託銀行」と看板が出ていますが、まだとりこわされていませんでした。東京では超高層ビルでもいつ壊されるかわかりません。日本設計による設計で1977年に建って、ちょっと変わった姿の超高層は印象に残りました。
古本屋街をふらふらしていると、右翼さんが大きな怒鳴り声をこんなところでなさっていました。靖国神社の徘徊はこれで締めくくりになりました。まったくもう暑い日でした。
(2013年8月15日記 伊達美徳)