核毒の森と海

核毒の森と海      伊達美徳

 1986年4月26日にウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号炉が爆発して大量の放射線物質つまり核毒をまき散らした。
 原発から30km圏や300kmも遠くのホットスポット地域が永久に居住禁止、消えた村や町は500にもおよび、40万人もが故郷を追われたそうだ。 goole erthでその今の様子を空から見た。プリピャチ市に原発のためのニュータウンがあったのだが、もちろん今はゴーストタウンである。 住棟の間は森となっている。まさに「核毒の森」である。 もしもこれが雨量も多い温暖な日本なら、もっと緑の生い茂る深い森になっているはずである。

●参照・プリピャチ・ゴーストタウンhttp://static.panoramio.com/photos/original/42440870.jpg
・チェルノブイリ原発石棺http://static.panoramio.com/photos/original/41850379.jpg
・プリピャチ・ゴーストタウンとチェルノブイリ原発石棺http://static.panoramio.com/photos/original/13702819.jpg


 同じように福島第1原発のあたりも同じ高度からのぞいてみた。
 福島第1原発事故の今後はどうなるのだろうか。 都市や地域の計画をやっていたわたしが気になるのは、原発から発した核毒汚染地域の今後である。多分、永久に居住禁止になるだろう。
 この写真の範囲は、多分、ゴーストタウンとなり、20年後は深い森になっているのだろう。 そう、その地には核の毒が浸透し、人間は入れない禁断の「核毒の森」である。 何も知らない森の動物たちには、天敵の人間がいない楽園となり、地に潜み植物に入りこむ核の毒を身に摂取して生きるだろう。 それはすでに今、放棄した飼い牛やペットが、そうやって生きている。生態系に何かがおきるような気がしてくる。

●参照(セシウム汚染地域)http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY201108290502.html?ref=any

 日本にも、かつておきたチェルノブイリと似たように、人災によって大規模に村落を廃止して居住者を追い払った事件があった。足尾鉱毒事件で渡良瀬川中流にできた、巨大な鉱毒沈殿用の渡良瀬遊水地である。鉱山が渡良瀬川に流した鉛や砒素などで人間が摂取できない核毒が、この遊水地には沈殿しているのだろう。今はレクリエーションの地となっているが、このために流した農民たちの涙の沼でもある。
 ついでに南海の楽園に見える、マーシャル諸島のビキニ環礁も見よう。1946年から1958年にかけて、アメリカが67回もの核爆弾の実験を行ったところである。このあたりの諸島にいた多くの住民たちが、ふるさとを追われた。
 1954年3月の水素爆弾実験で放たれた放射性物質は、240kmもはなれた諸島の住民を襲って被爆させた。その海域にいた日本の漁船も被爆して、船員が死亡、漁獲は原爆マグロといわれて日本漁業は大きな被害をこうむった。このとき「死の灰」と呼ばれた。なお、その人類の暴挙を記憶するために、ユネスコは2010年に世界文化遺産に登録した。

●ビキニ核実験
http://www.panoramio.com/photo/2435200?source=wapi&referrer=kh.google.com

●南海の苦楽園
http://datey.blogspot.com/2010/08/300.html

福島原発も、その悲惨なる人災の現代史を記憶するために、世界文化遺産に登録しよう。http://datey.blogspot.com/2011/03/408.html

(2011.09.04)