【東京路地徘徊】麻布我善坊谷風景今昔未来譚(その1)
【東京路地徘徊】
麻布我善坊谷風景今昔未来譚
<徘徊人> まちもり散人(伊達美徳)
全目次
1.徘徊老人が“発見”した東京の谷底街
2.我善坊谷底の落合坂を西から東へ歩く
3.我善坊谷の北側の風景を鑑賞しながら行く
4.我善坊の南側の風景を鑑賞しながら行く
5.我善坊の谷底と丘上の昔
6.我善坊谷の住人たち(永井荷風の愛人、正宗白鳥、岩野抱鳴)
7.我善坊谷の未来を勝手に想像する
麻布我善坊谷風景今昔未来譚
(その1)
1.徘徊老人が“発見”した東京谷底街
◆人間の時間と空間反比例の法則
健康のためというよりも、単なる好奇心で街なか徘徊をやっている。
基本的にはご近所での街なかを、ふらふら適当にやる。時に遠くに用事があって出かける場合は、用事のある目的地にまっすぐに至らないで、ちょっと離れた場所から、おおざっぱに見当つけて、徘徊寄り道して着くようにする。
要するに、好奇心と有り余る暇とを同時に消費し、無い金を消費しないという、一応は合理的な行動のつもりである。
この時、わざわざ徘徊する距離と時間が、事前の検討課題となる(大げさに言えば)。
10年くらい前までは、仕事などで忙しくて時間のないことが問題だった。いまは時間はいっぱいあって、これは問題はきれいに解消した(きれいすぎてヒマすぎるという問題が発生た)。
ところが距離については、かつてはかなりの距離を歩いても平気だったが(65歳の時、1日に30km歩いたことがある)、いまは肉体的衰えが持続歩行距離をどんどん縮めていくのらしい。今や2、3時間でへこたれるのが、なんともなさけない。
つまり、時間と空間は反比例するという、新法則をわたしは発見したのである。
◆地図をにらむだけで予習なしの未知の街徘徊探検
そこで最近は、目的場所の3キロ程度手前の鉄道駅から歩くことにして、その徘徊路線を地図をにらんで考える。
その路線選定基準は、以前によく知っているところで、長らくご無沙汰しているところがよい。その後の変化を見て、浦島太郎気分を味わうのである。乙姫の連れがいないのがキズだが。
あるいは、まったく知らなくて、しかもゴチャゴチャグネグネしている街である。土地区画整理事業やら近頃の大規模再開発やらがされていないところである。そこでは、もしかしたら昔の日本の街の姿を見ることができるかもしれないと、老人らしく懐かしむ楽しみがある。
そうやって選んだはじめて行く知らないところでも、ただ地図をにらむだけで決める。
今ではインタネットで大方の場所について詳しい情報を事前に得られるのだが、ぶっつけで行く方が面白い。時には期待が空振りもするが、どうせ遊びだから、それでよい。
今回(2013年7月)の最終目的地は、東京の港区の愛宕山の麓である。そこで夕方から飲み会がある。
六本木あたりから出発が良かろうと、地図でゴチャゴチャグネグネ街を探したら、見つかった。麻布台一丁目あたりである。東京や横浜でこういうところは、たいていは尾根筋か谷筋かである。
ここを中心にして前後によく知っているがご無沙汰の地の、六本木駅あたり、アークヒルズ付近、神谷町元パストラルホテル付近、虎ノ門環状2号線工事中あたり、愛宕下路地などをルートに組み込んで、その地図をプリントした。準備はここまでである。
◆近い将来消える路地の街を発見
これから書くことは、いかにも知ったかぶりの記述をするが、現地写真のほかは、実は帰宅後にインタネットや図書館で調べた結果である。
こういう徘徊はしょっちゅうやっているのだが、収穫があることは少ない。面白いことがあれば、このわたしの主宰する「まちもり通信」サイトや「伊達の眼鏡」ブログに載せることにしている。
今回ここに載せるのは、知らないないままに入り込んだ谷間の街が、どうもアヤシク変だったからである。異界のごとき感じにおおいに興味がわいて、ここに記録に残すことにした。
インタネットには、この街ことを書いたのページがたくさん出てくる。だがどれも踏み込みがない記事ばかりで隔靴掻痒の感がある。
そこで自分で靴の中に手を突っ込んで痒い水虫を掻いて踏み込むことにした。ヒマなな徘徊老人のお遊びレポートである。
とりあえず、これが徘徊した道筋である。青線が1回目、緑線が2回目。
出発の六本木駅から目的地の愛宕までは、普通に歩けば30分くらいだろうが、ここを3時間もかけて歩いた。まんなかあたりに狙いの港区麻布台1丁目がある。
帰宅後に調べたら、この谷は「我善坊谷」というらしい、江戸時代は下級武士の与力同心の社宅地だったらしい、永井荷風や正宗白鳥など文士にゆかりがあるらしい、どうやら近いうちに消える街らしい、などなどを知った。
そこで、興味がわいて、見落としたところを見に、もう一度行ってみた。この熱中症になりそうな猛暑の真昼間を、ふらふら2回も徘徊するわたしに、なにやってんだいと自分で言いつつ。
2.我善坊谷底の落合坂を西から東へ歩く
◆六本木駅やアークヒルズあたりでプチ浦島太郎気分
では徘徊開始!
六本木駅で地下鉄を降りて、駅付近の街の変化をウロウロと眺める。
地下鉄駅上の「ラクロス六本木」というビルには、わたしも昔に開発にかかわったことがある。岐阜県が土地の一部所有者だったので、県のコンサルタントをしたのであった。現ビル内を見ると岐阜県は撤退したらしく、県のアンテナショップも観光案内所もミニシアターもなくなっている。
当時の梶原さんとい県知事が、岐阜県をに売り出すプロジェクトだったが、どうしたのだろうか。
にぎやかな六本木通りの裏道にはいると、墓場はまだ健在であった。繁華街のすぐ裏がこれだから面白い。向こうに見える超高層が墓石と競い合っている。すぐそばにも再開発ビルが建っている。
もうこのあたりならビックリする程でもない変化の街を、プチ浦島太郎気分で眺めていた。
このあたりは起伏が多い。しばらく上り下りする細い裏道をヨロヨロ歩いて、アークヒルズの南、泉ガーデンなる巨大ビルの前までやってきた。
もう10年以上前になったが、アーク森ビルに慶応大学院の教室があって(今もあるか)、都市空間論の講義をしに週1回、5年ほど通っていたことがある。
わたしの記憶では、このあたりは坂道だらけの路地に、ちまちました家やらお寺が立ち並んでいたような気がする。巨大ビルと言えばアークヒルズくらいなものだった。今はたくさんの超高層ビルが立ち並んでいてずいぶん変わっているようで、浦島太郎気分になる。
でも巨大開発にはもう興味がないので、そちらには背を向けて、今日のお目当ての街へとさらに南へ都道放射2号脇の「行合坂」を南に下る。
◆お目当ての麻布台は名前と違って谷底街
行合坂の谷底から放射2号を背にして東に左折、ようやくにして本日の狙いをつけた「我善坊」に、西から入った。町名に台とついているから尾根かと思ったら、意外にも谷底の街だった。
この谷底の中央を東西に走る道を、「落合坂」というらしい。坂と言ってもかなりなだらかに下って行く。左右の街並みの奥に急な崖が立ち上がって、谷底街を挟み込む。
おお、この両側のゴチャゴチャ下町的雰囲気は、あきらかに高級住宅街イメージの麻布ではないなあ、丘も谷もいっしょくたに麻布台と町名変更したらしい。
江戸時代は我善坊丁、近代になって麻布我善坊町町だったけど、そりゃあ麻布台のほうがイメージは良いのだろうが、でも、なんだかなあ。
なお、谷底街の東部の谷が終わるあたりは、かつては「西久保八幡町」といい、今も麻布台ではなくて虎ノ門と言っている。しかし、ここでは東西分けて呼ぶのが面倒なので、この谷底の全部を「我善坊谷」とよび、中央を東西に串刺しする道の全部を「落合坂」とよぶことにする。
まず我善坊谷あたりの拡大図
そしてこれがあたりの地形図
車のすれ違いも難しい谷底の落合坂が東西方向に通り、やがて東の飯倉、神谷町方面の桜田通りに谷を抜け出る。
道の両側には低層の木造住宅やアパートが並び、一部に中高層の集合住宅ビルが挟まる。その背後は高さ30mほどの崖であり、その上の尾根から巨大なビル群が谷間を覗き込んでいる。
この谷地の南側が飯倉台地、北が仙石山とよばれている。
◆落合坂を西から東へ向かって進みつつ見る風景
ここで記録としてわかりやすく写真を整理して載せる。実はグーグルストリートでこの道を見ればよく分るので、ここには精選して載せる。ただし左右の路地や坂などの面白さはグーグルストリートではわからないので、あとで詳しく載せる。 (地図はこちら)
落合坂の正面に霊友会釈迦堂の大きな黒いピラミッド屋根が見える
この谷間の東のランドマークとなっているが、真っ黒強大すぎてちょっと不気味な感もある
というわけで、写真が多いページになった。わたしのページは、原則として写真よりも文章の主義だが、ここは近い将来に消える風景なので、その記録のために例外的に写真が多い。
いつの日か、この風景とその時の風景とを見比べると面白いと思うのだが、残念ながらそれを行うのは、わたしではなさそうだ(年齢からみて)。