地震津波原発日記(その7)
2011年11・12月

2011年11月2日水曜日

519価格ゼロ円の原発被災土地

原発被災土地の地価がどうなるのか気にしていたら、こんな新聞記事が出た。

「国税庁は1日、相続税や贈与税の算定基準となる2011年分(1月1日時点)の路線価に、東日本大震災直後の地価下落を反映させる調整率(倍率)を発表した。(中略)第一原発周辺の警戒区域と計画的避難区域、緊急時避難準備区域(9月30日解除)については、放射性物質などの影響を算定できないとして、調整率の設定を見送り、税務申告の際、路線価の欄に「0円」と記せるようにした。国税庁は「土地の価値を0円と判断したわけではない」としている」(読売新聞2011年11月1日夕刊)

路線価は税制上の値で、国税庁が「土地の価値を0円と判断したわけではない」と言っても、現実の土地取引価格に影響するのは常識である。地震津波被災では対応する調整率を示したが、原発被災地では示すことが不可能としてはいるが、実態は価格ゼロを不動産業界では意味するだろう。
地震津波は天災だから、天災の影響を受けやすい土地の価格が低くなるのは、取引上ではあたりまえ。だが、原発事故被害は天災ではなくて人災である。これまでも人災による被害はあってもそのまま土地価格下落に影響することは、ないことはないだろうが、ほとんど一過性だっただろうと思う。

原発の場合は、人災ながらもその影響の深刻さ、時間の長さ、範囲の広さがはなはだしいから、土地価格へも大きな影響が長期に響く。その公的な認知が、原発被災地の路線価対応でようやく始まったといえる。さて、その土地価格ゼロ円になった財産下落について、その原因者の東電はどう補償するのだろうか。
いま行いつつある被害補償に、この項目もあるるのだろうか。多分、ないだろう。核毒の濃度、除染の具合、元に戻る期間など、算定条件があまりにも難しい。だからといってこの財産侵害を等閑視しておいてよいことでもない。

そのいっぽうで、こんなことも考えるのだ。
これは8月22日にこのブログに書いた記事21世紀の「谷中村」は「核毒の森」
http://datey.blogspot.com/2011/08/47921.htmlであるが一部再掲する。

『「菅政権は、東京電力福島第一原発の周辺で放射線量が高い地域の住民に対し、居住を長期間禁止するとともに、その地域の土地を借り上げる方向で検討に入った。(朝日新聞8月21日朝刊)」わたしでさえ予想していたのだから、その筋の業界のかたがたは、現地地権者との折衝に、すでに動いていらっしゃるかもしれない。こうなったら、政府は土地建物立木等権利移動凍結・価格凍結の施策を今すぐにでも打つべきである。もたもた遅れている間に、妙なことをする人々が介入してきて権利移動・価格高騰が起きると、結局は住民にも国民にも迷惑がかかることになる』

つまり、住民がもう戻れないと見られる土地、つまり路線価ゼロ円の土地を、いまのうちに所有者から買い叩いて買占め、いずれ政府なり自治体なりに高額に貸したり売りつけようって、そういうアウトローなことが起きるのではあるまいかって、ことである。わたしの杞憂であれば幸いである。

(追記111103)
相続税が減額されるってことは、国の税収が減るってことである。その原発によっての減額に関しては、その原因者の東電が、原発事故がなかったなら徴収できるとみなした差額の税金を、国に補填をするべきである。でないと関係のない沖縄の人までも被災することになる。
同様に、固定資産税も減額になるだろうし、その他、土地取引にかかる諸税、事業所がなくなるに伴う諸税など、もろもろの減少についても同様である。


2011年11月13日日曜日

529除染、滅染、移染

昨日と一昨日に「福島会議」が福島大学で開催、わたしは行けないがネット中継を少し見た。
放射能に関して専門家がチェルノブイリの現状に関して調査したことを語っったあとで、質問や意見があったなかでの会場の女性からの発言。その人は地元の方らしいが、放射性物質の除去に熱心に取り組んで活動しているそうだ。
その除染の方法は、汚染地にEM菌を撒くのだそうだ。そうすると放射能がぐんと下がるので、あちこちでやっているが、公的機関でも積極的にやれ、みたいなことをおっしゃった。
え、そうなの、初めて聞いた。EM菌てのは多様な微生物によって土壌とか水質の浄化をするのに使うとかって、聞いたことはある。だが、微生物が放射線を浄化するというか、半減期を短縮するって、そういうことが本当にあるのかしら。
ネットで調べると、賛否両論があてなんだか分からない。わたしは放射線物質のことはなんにも知らないが、なんだか信じがたい。現地のその会議に出席している知人に、FACEBOOK経由で聞いてみた。
「EM菌で除染できるって、真剣に発言したおばさんがおられましたが、本当ですか? 核の毒を菌が食うんですか?不思議」
知人の返事。
「その方、私の斜め前に座っていた女性ですね。真剣そうでしたよ。でも現場の住民はわらをつかむ思いなので、その後もみんなで話を聴いてあげました。本日(昨日)の高畑さんの放射能分科会の最大の話題でしたが、EMにせよなんにせよ放射性物質の「無害化」ではなく「移動」にしかすぎない、ということをなかなか理解してもらえず苦労していました。でも、各分野の専門家とよばれるような人たちでもわからないことだらけなので、ましてや被災した一般市民が、不正確な情報による俗説に振り回されるのは、やむをえないことと思います。正しい知識・情報を共有することは最重要課題なのですが、同時に現場(追い詰められた現地住民)の感情に配慮した情報の「伝え方」にも、もっと工夫が必要だと感じました」
なるほど、現地に入った人だからこそ、実体験として現地の人たちの感情が身に染みて分かるからこそう、そう言えることですね、おぼれるものの藁かもしれないが、つかむ藁がそこにあることで、次に流れてくる浮き輪をつかむ手だてになるってことを、支援なさる現場の人たちは知っているのですね。
それにしても、除染は単に移染に過ぎなくて、決して減染でもまっしてや滅染でもないってことが、実に重要なポイントである。これまでは除染とは、物理的な汚染は水に流すし、生物的あるいは化学的な汚染は煮沸や薬によって完了するものだった。水俣病や四日市公害の除染も、時間はかかっても、基本的にはそうであった。ところが核毒はまったく次元が異なるものだから、なんとも理解するのが困難である。人間に「三尺流れて水清し」の時代があったことが、いまや夢みたいである。


2011年11月18日金曜日

534間違っているぞ原発事故用語

福島第1原発の事故以来、なんだかよく分からない言葉がマスメディアに登場するのだが、どうも間違って使っているような気がするので、ここであげつらうことにする。

●「放射ナントカ」がわからん

放射線、放射能、放射性物質など、どう違うの? 新聞に書いてある解説をたまには読むが、すぐに忘れる。専門的な用語はおいといて、要するに問題は「核毒」のことでしょ。
「核毒」とはわたしの造語である。放射ナントカが人体に毒があることに要点があるのだから、そこのところをわかるような言葉遣いにしてもらいたいので、「核毒」といってしまってはどうだというのが、わたしの提案である。
「人体に直ちには影響がない放射ナントカ…」といわれてもピンとこない。「直ちには影響がない核毒…」といってもらいたい。そのうちに毒が回ってくるってわかるからね。
ついでに、原子力発電は核分裂によって出る熱でお湯を沸かし、その水蒸気で発電機を回すんですってね。意外に原始的な原子力である。で、なんでも核融合ってのもあるらしいが、分裂で熱が出るならその反対の融合は冷却するんでしょうね。核融合で瞬間冷凍原子爆弾ができるのだろうか。

●「除染」じゃなくて「除汚」でしょ?

この事件ではじめて「除染」なる言葉を知った。長い人生ではじめてであったので、手元の広辞苑をひいたが、載っていない。もしかしてこれは造語なのだろうか。
造語なら仕方ないにしても、読んだだけでは意味が分からないどころか、間違っている。汚染は「汚く染まる」のだから、その汚れをとり除くのなら「汚除」(漢文風に「汚を除す」ならば「除汚」か)であるはずだ。誰かが「汚染」から類推して「除染」と言い出したのだろうと、わたしは類推する。
さらに問題なのは、核毒の汚れはとり除くことが不可能ということである。何かに着いた核毒を雑巾で拭いてそこからとり除いても、毒は雑巾に移っただけ、その雑巾を水洗いすると水に毒が移る、水を流すと下水道に移る、そして処理場にどんどんと蓄積されて、毒はどんどんと毒性を増してくる。
汚除して汚除しても、汚移するだけで、ますます汚増汚貯する始末である。除染なんていい加減な言葉は、誤解を招くだけのような気がする。明快に「移毒」といってほしい。

●「電源喪失」って「童貞喪失」みたいなものなの?

福島第1原発が事故を起こしたのは「電源喪失」によるのだそうだ。要するに事故を防ぐ電力がこなくなったってことらしい。
わたしがひっかるのは、まず「電源」である。電源とは「電源開発」というように、発電所のことだろう。福島原発は確かに電源だが、電源喪失の電源は他の発電所から来る電力のことを言っているようだ。それなら他の発電所が地震で消え去ったのかと読んでみたら、それは無事で、要するに電力が来る電線が切れたってことらしい。じゃあ、電源喪失じゃなくて電線喪失でしょ。
さらに「喪失」がおかしい、ヘンである。普通は喪失ってのは、処女(童貞)喪失とか記憶喪失とか権威喪失とか気力喪失とかって、どんと心に響く属人的な状況に使うのである。電気なんて物理的なことには使わないもので、金銭喪失で貧乏とか、食料喪失で腹ペコとか、あなた、言いますか?ここは「
電力遮断」なんでしょ。
なお、本当の電源喪失とは、発電能力を失った福島第1原発がまさにそうである。いまや「
強力核毒大型ゴミ」であるが。

2011年12月5日月曜日

544被災地に賃貸住宅政策を

東北の震災地域では、復興に向けての市民参加の街づくり計画策定の動きが著しいようだ。高台移転か現地再建か、それはそれぞれの人生の時間がもとになっているから、理想と現実の狭間に多くの人たちが落ち込んでいるだろう。
これから続くひとりひとりの生きる時間を推計しながら、そのために復興という名目で短期に投資をすることが果たしてどれだけ有用なのか、迷うことだろう。地域への投資の時間と、人生への投資の時間とのギャップをどう乗り越えるのだろうか。
しかも共同の街づくりとなると、一人一人の時間をみんなの時間に置き換える必要があるから、ことは複雑である。たとえそれが一致したとして、新たな街ができて地域社会の再建が一時はできたとしても、人の命はそれぞれに異なる。高齢社会でしかも後継者の少ない少子社会では、再建した地域社会はどこまで保つのだろうか、その不安は付きまとうだろう。
中越震災復興の山村の現状を、いまこそ検証する必要があるだろう。投資効果だけで判断してはいけないのはもちろんだが、復興はどう生活を支えることができたのだろうか。わたしが見てきた中越被災山村でのこの7年間の経験は、単純には評価できないものがある。
気になっていることは、住宅の復興が経済政策としての旗振りとなってしまって、社会政策であることを忘れはしないだろうか、ということである。
日本がアジア太平洋戦争からの復興にあたって、当初は社会政策としての住宅づくりであったものが、60年代から経済政策になっていいった。庶民に大借金をさせて仕事場から遠い郊外に小さな住宅を持たせて、保守中流層にすることで55年体制を維持したのである。一生かかって返すような大借金しなければ家に暮らせないなんて、こんなおかしなことはないと思う。
その体制が崩壊した今、いまだに日本には住宅問題があることが見事に露呈した。衣食住の前2者がファッションとグルメになったのに、最後の住だけは2重ローンとか、住宅難民とか、ホームレスとか、幾多の問題を抱えている。そして震災はその問題をさらにむき出しにしている。大地震は高齢社会における地域の消滅スピードを、ど~んと背中をたたいて押してくれた。
また経済政策としての住宅作りを、このたびの大震災の後にもやるのではないかと気になる。しっかりと公営住宅を建て、賃貸住宅政策を促進するべきである。高齢社会のまっただなかの被災者たちが、借金をしなければ住宅にすめないような持ち家優先政策は、あきらかにおかしいと思う。不動産屋的復興政策を排除するべきである。
それにつけても思うのは、原発被災地では復興を言葉にさえできないことである。除染(この言葉は除汚の間違いのような気がする)をどうするのか、いや除汚ができるのかどうかさえわからず、その先をいうことさえできない。そういう現実に直面しても、それでも原発はこれからも存在するのか。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に核ふりつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に核ふりつむ。

2011年12月8日木曜日 ●

547古臭い地震命名

神奈川県では大地震でやってくる津波の高さを、ド~ンと高く予想し直すことにしたという。鎌倉では相模湾から押し寄せてきた津波は、2キロ奥の八幡宮の裾までやってくる。わたしが8年前まで住んでいたところは、さらに奥だから大丈夫らしい。 ところが、8年前に引っ越してきた横浜都心の今の家は、津波に襲われるらしい。おやおや、そうとは知らずに危険なところに引っ越したのか。 でもまあ、共同住宅ビルの7階にある空中陋屋借家だから、うちまでは波は到達はしないだろう。もっとも、3.11地震では津波でビルがバタ~ンと横倒しになった例もあるから、安心してはいられない。

鎌倉市の中心部は、都市計画の景観地区や高度地区指定で、15m以上の建物は禁止だから、14.4mなんて津波高さだと、屋上避難しても攫っていかれるかもしれない。
世界遺産になるかならないかって景観よりも、人間の命のほうが大事だと、避難用の特例高さビルを作るのか。それとも周りの丘陵のあちこちに、逃げてのぼりやすい道を作るか。こちらのほうがやりやすいだろう。
それにしても、地震の命名はどうして明応地震(1498年)、慶長地震(1605年)とかって、元号なんだろうか。貞観地震というのもあるなあ。阪神淡路は昭和地震、今年の3.11地震は平成地震といっているのかしら。どうして、1498地震とか、1605地震とか、1995地震とか、2011地震とか言わないのだろうか。元号では、今から何年前におきたことなのか、どれくらいの間隔で起きているのか、そのような歴史感覚がともなわないだろうに。命名者は地震学会か何か知らないが、古臭いところである。


2011年12月14日水曜日

552放射線量測定器つき家電製品

家庭電化製品が売れないとのこと。そうだろうなあ、うちなんか7年前のアナログTV受像機(これで十分、わたしは見ないんだもの)、PCも8年前のXP(なんだか怪しい音を時々出す)、ヒゲ剃り機は20年前の景品(このフィリップス製品はすごい)、カメラは3年前に買ったセコハン(目視ファインダーつき、今は売ってないなあ)、冷蔵庫は9年前、洗濯機は去年(9年前のが壊れた)、ラジオは20年前、CDコンポはいつだたっけか?、てなもんである。
で、家電製品業界に起死回生の販売促進秘策を教えます。あらゆる製品に放射線量測定器をつけるのである。TV画面には、「ただいまのこの部屋のセシウム132の線量は1000ベクレルです、至急逃げましょう」なんて出てくる。カメラで風景を写すと、写った場所の線量が示される。洗濯機だって、「この洗い物は1000ベクレルです、すぐ捨てましょう」って表示が出るのだ。ヒゲソリ機だって、「ただいまそったひげの中には800ベクレル、あなたは内部被爆しています」なんてね。
冷蔵庫は便利ですよ、「ただいま入れたニンジンは、、、」なんて、いちいち教えてくれると、もう何にも食っていられなくなる。
プレファブ住宅や建売住宅にもつけておいて、一定以上の線量になるとザ~ッと清掃が始まる自動核毒掃除機(除染装置ともいう)つきで売り出すといいね。


2011年12月17日土曜日

554福島原発事故の政治的収束

今朝の各新聞社の社説の最初の2~4行である。各社のスタンスが現れて面白い。これを原発問題への各社の科学的対応と見るか、政治的対応と見るか。
基本的には政治的対応と見るのだろうなあ、なにしろニュースのもとが政治的収束なんだろうから。
としてその口調を見ると、政権スリヨリ度がなんとなくわかるのかもしれな。スリヨリ接近度の高い順に、産経、読売、日経、朝日、毎日、東京の順か。
えっ、産経は反政権の超保守って思ってたけど、原発では近いのかい、あ、いや、政権が産経にスリヨリつつあるのかもなあ。

読売

野田首相が、東京電力福島第一原子力発電所の「事故収束」を宣言した。発生から9か月、ようやく応急措置を終えたということだろう。新段階への移行を国内外に発信する意義は大きい。

日経

福島第1原子力発電所の原子炉は落ち着いてきたにしても、「事故は収束した」と言えるのか。住民や作業員の安全確保を考えても政府の判断には疑問が残る。

朝日

野田首相がきのう、記者会見で福島第一原発事故の「収束」を内外に宣言した。周辺の人々が避難生活を強いられていることや、本格的な除染などの課題が山積していることに触れ、事故炉に絞った「収束」だと強調した。だが、そうだとしても、この時点で「収束」という言葉を用いたことは早すぎる。

産経

福島第1原子力発電所の事故について、野田佳彦首相は原子炉が「冷温停止状態」に達したとして、事故の収束に向けた工程表の第2ステップの完了を宣言した。大震災で大破した原子炉が、初期の危険な状態から脱したことを意味する大きな節目である。

毎日

世界に類のない重大事故発生から9カ月。政府が冷温停止状態を宣言したことで東京電力福島第1原発の事故対策が大きな節目を迎えた。原子炉の安定した制御は人々が待ち望んできたものだ。しかし、その実態は危ういバランスの上に乗ったものであり、本当の収束からはほど遠い。

東京

福島第一原発の「事故収束」を野田佳彦首相が宣言した。放射性物質の放出や汚染水の懸念も残り、絶対安全の保証はどこにもない。廃炉までの長き道のりを考えれば、幕引きとはあきれ返る。


2011年12月27日火曜日

559核毒マッチポンプ事業

東芝という会社が、福島原発事故で核毒に汚染された土や水を除毒(除染ともいうらしい)する事業で、一儲けしようと乗り出すとのニュースがある。asahi.com(2011年12月26日)にこうある。

放射性物質で汚染された土や水をきれいにする新装置を東芝が開発、26日に公開した。コンテナに積んで移動させることもできる。今後は東北や関東などの自治体向けに「出張除染サービス」を売り込む予定だ。除染サービスの費用は1日数百万円を想定している。(以下略)http://www.asahi.com/national/update/1226/TKY201112260524.html?ref=any

たしか、東芝って会社は原子力の事業をやっているよなあ、事故を起こした福島第1原発にも絡んでいるのかどうかしらないが、これって典型的なマッチポンプだよな~。常識的には、無料でやるべきことである。はずかしくないのかしら。次は東電などの電力会社が核毒除去事業(除染事業ともいう)を始めるだろうなあ。なんでも、原子炉には製造者責任がないのだって読んだことがある。だから福島原発事故にメーカーは表に出てこない。原子炉作って儲け、事故で儲ける、これじゃあ事故がある原子炉を作るのがあたりまえだよな。

2011年12月28日水曜日

560核毒の森つくりが始まる

福島第1原発から出た核毒汚染物を、まとめて集めておく場所を決める手続きがようやく始まろうとしてきた。除染除染といってもしょせんは滅染ではないので、移動して集めるだけ、だからだんだんと毒が濃くなってくるばかりである。それら毒物質をあちこちに集めて置くわけにはいかない、どこかにまとめて集めて、毒が消えるまでおいておくしかないってことは、誰でも知っていることだ。
そして、その場所をどこにするかについても、ほぼ誰もが予想していることである。発生源の原発あたりに決まっている。ただ、誰もそれを言えないだけだ。いつまでも言わない、決めないってわけにはいかない。ようやくそれが動き出したらしい、

細野環境相は28日、福島県の佐藤雄平知事や同県双葉郡の8町村長らと面会し、東京電力福島第一原子力発電所事故で放射性物質に汚染された同県内の土壌などを保管する中間貯蔵施設について、同郡内に国が建設することを正式に要請した。知事は受け入れに向けて地元の意向を尊重する姿勢を示した。町村長らが受け入れれば、今後、国は地元と建設場所を選定する。(中略)
細野環境相は施設は1か所とし、同郡内に建設する理由に、▽推定の年間被曝(ひばく)線量が100ミリ・シーベルト超で除染を進めても住民の帰還が極めて困難な地域がある▽高線量で除染による大量の汚染土などが出る地域に近い――ことなどを挙げた。
環境省が10月に示した工程表では、2013年度内に施設の基本設計や用地取得を終え、15年1月をめどに汚染土壌などの搬入を始める。(2011年12月28日14時01分 読売新聞)

どうもよくわからないことは、どうして当事者の東電が行かないのだろうか、ということだ。これでは事故は政府のせいになってしまっているが、それはおかしい。せめて社長が細野環境相とともに行動して、地域に対応するべきとおもう。
原子力発電は国策だから後始末は政府がすべてやるんだというなら、これから以後、電気代はすべて税金にしてしまって、東電には収めません。
この事故のために使っている税金からの支出は、東京電力が後で全部返してくれるんでしょうね。東電のためにわたしの税金を使うことは大反対です。

参照→核毒の森と海
http://sites.google.com/site/dandysworldg/kakudoku-woods