法末集落2012初秋風景

棚田の稲刈りが終わった初秋の法末風景

伊達 美徳

2012年、初秋の10月初め、法末集落を訪れた。
5月の田植えのあと、草刈りにも、9月末の稲刈りに来ることができなかったので、4か月ぶりである。
その間で何かが変わるほどのこともあるまいと思うのだが、やはり変わっていることがある。もちろん自然や農業の風景は変わるのは当たり前だが、人間の営み風景が変わっているのだ。
では、久しぶりに集落を一巡してこよう。わたしたちが現地活動拠点の家(通称「へんなかフェ」)がある地区名は「おじゃんち」と呼ばれる。小千谷道のことである。

ここは集落の北の端で、6軒の住家がある。今年はそのうちの2軒の家で土蔵が消えた。豪雪で傾いたので取り壊したのだ。
今年は住む人の一部も変わった。一軒の家では家長がなくなり、年老いた女性の一人暮らしが始まった。これはこの集落では珍しいことではない。互いに助け合って暮らしているし、近くの街に暮らす子や親せきがちょくちょくやってくる。
この家長が耕作していた棚田を、集落の他の農家やわたしたちの仲間で引き継いだのである。そうやって集落の人々で農耕地を維持していくのであるが、いつまで続けることができるだろうか。

おじゃんちの中の空き家に、都会から新たな住人が入ってきた。その家からピアノの音が聞こえるのは、法末の新しい息吹かもしれない。
おじゃんちの6軒の家のうち、3軒は余所からやってきた人が住んでいる。こうやって集落は存続していくのかもしれない。
集落の中心部では、一昨年の冬に住人が亡くなって以来の空き家が、きれいさっぱりと消えている。この住民は都市からやってきて住み着いた人だった。
集落の真ん中に立っていた火の見櫓が消えた。鉄骨でひょろりと立って、半鐘をつるした姿は情緒があった。とっくにその役割を終えていただろうが、無くなると集落のランドマークが消えたようで、さびしい。

(2011年冬の火の見櫓)

県道の一部改修ができて、集落の真ん中あたりの道が広くなった。その道のそばにあった土蔵が消えて、その母屋に暮らしている老夫婦は、今どちらも病院である。去年からわたしたち仲間で、その老夫婦の耕していた棚田の稲作を支援している。

池田地区にあるもう4年も前から空き家があり、次第につぶれて自然に帰っていく。そうやって消えていった住家の跡は、ススキが生い茂り、木が生えて昔の自然に戻っていく。

集落の南端の愛宕山の頂から集落を眺める。森と棚田と家屋とが典型的といってもよい山村風景を見せている。初秋の今はまだ早いが、秋が深まるとブナの紅葉が緑とパッチワークをつくって実に美しい。

やがてこのような風景が登場する

尾根筋のブナの森は、私のお気に入りの場所である。森の中に座りこんで、緑に包まれて染まりそうになりながらじっとしている。風によるブナの枝葉のざわめき、ひっきりなしに次々とやって来るいろいろな鳥の声、アブの羽音、森は意外に騒がしい。

尾根から集落と反対方向の谷に降りて、尾根の下を貫通する「丑松洞門」と呼ばれるトンネルを抜けて集落へと戻り道に向かう。このトンネルは集落の隣の谷を水源とする棚田の耕作のために通う道として掘ったそうだが、いまはその棚田は森となってしまった。
トンネルとそれにつづく道だけが、昔の集落の営農圏域の広さを想起させる。最盛期には500人以上もいた住民が食料を確保するためには、それほど広く田畑が必要であったのだろう。

トンネルの中にはコーモリがたくさん住みついている。暗闇の中を歩いていくと、顔の前や頭の上を羽音をたてて群れが飛び交う。ちょっと怖いが、敵はレーダでも持っているらしく、当たってくることは全くない

トンネルを抜けると「丑松洞門渓」とよぶ広い谷に棚田が広がる。稲刈りのが終わった棚田は、緑の中に黄色の自在な形を投げ出している。

銀色のすすきの群れが風になびいて、やさしく騒がしい。

秋風にそよぐススキの穂が揺れ動く動画をどうぞ

集落内に戻り、わたしたちがもう7年も耕作している棚田に寄る。3段で600平米ほどの広さである。稲刈りが終わってそばの杉の木につくったハサに稲束をかけて、天日干しをしている。米の飯は機械乾燥米よりも天日乾燥こめのほうが、はるかに美味いのである。

ここに架けてもう2週間、乾いたころなのでこの稲を下して脱穀する目的で今回は法末に来たのだが、水分を測る器械は18パーセント以上を示している。これは16パーセント以下になったら脱穀をするのだ。明日か明後日は脱穀、精米して、今年に新米のうまい飯を食うことができるだろう。(2012.10.04)